第4話 魔装人形

 朝、と呼ぶにはまだ肌寒く、朝陽すらも注ぎ込まないその部屋で、イオリはくぐもった声を上げた。

「ふ? ぐぐっ‥‥‥ふぐ」

 なんだ?

 顔の前に何かいる――息が、鼻の奥に――なんだこれ。このガザガザとした毛ざわりこれは――。

「ってもう、フィービー!」

 目を開いたらそこにあったのは、真っ白な海原だった。

 いや、違う。雲の中でもない、これは飼い猫の‥‥‥長毛種の真っ白な猫の尻尾だ。

 そう気づくのに数舜を必要とした。こいつがベッドのうえにあがってくることなんてめったにないのに。驚きでそれを押しのけるのを忘れてしまったほどだ。

 猫はフッ、と鼻を鳴らし、ふあああっと大きく伸びをすると飼い主の胸の上で毛づくろいを始めた。

 こうなるとなかなか退いてくれない。

 ベッド脇にある置時計を確認すると、朝の六時をちょっと回った頃だ。

 起きるにはまだ少し早い時間だった。

「なんでそう私の夢見の邪魔をするんだ、お前は。悪い子だ」

 両手で掴み、上半身を起こすと、猫をゆっくりと床の上に降ろしてやる。彼女はちらっとこちらを見上げてから面白くなさそうにどこかに行ってしまった。

「……なにの夢を見ていたんだっけ」

 俯くと垂れてくる髪が面倒くさい。手櫛で後ろにやるも、細くて量が多い自前のそれは、また胸元まで黒々と上半身を染めてしまった。

 陽光を自然に取り入れるため、寝室の窓にはカーテンを着けていない。

 そこに映し出された自分の姿を見て、イオリは「はあ……」と盛大なため息を漏らした。

「もう少し、こう。男らしく胸板が厚くなったり、筋肉がついたりしないもんかな」

 種族、というよりは一族の習慣に倣い、髪は常に背中まで届いていなければならない。そのせいもあってか、女性に見られることも多い毎日だ。

 背格好も百六十とあまり高くなく、見た目だけならば、黒めに黒い瞳の美少女がガラスの向こうからこちらを見返している。猫のようだと形容される目元は二重で目もとが薄いせいか、たまにいつも怒っているようだと言われてしまう。薄い唇に透けるような白い肌、高い鼻梁もまた人を寄せ付けない理由のせいだろう。

 そして何よりその頬骨あたりから、顎にかけて二本の線が縦筋を引いている。

 両方に二つずつ。合計、四本のそれは、見ようによってはタトゥーのように見えないこともない。

 この容姿を持つ者は、魔族でも神族でも、精霊や妖精は愚か、人の世界でも忌み嫌われて蔑まれる。

「魔装人形、か」

 自分たちの種族と言ってもいい、その形容詞を呟くと、普段から寝るときは一糸まとわない生まれたままの姿で眠るイオリは、ベッドから起き出して、全身をドレスルームに置いてある巨大な鏡に映し出した。

 少女のような裸身。

 無駄な贅肉も無く均整の取れたその裸は、神が岩から削り出した天使たちのような美しさを見せていた。

 しかし、胸はなく男性か、女性かを決める性器もまたそこには見当たらない。

「もう少し男性と分かる容姿に設計して欲しかったよ。魔人様」

 創造主にそう愚痴をぼやくと、渋い笑みを鏡の自分に一つ残して、イオリは仕事に向かう準備を始めた。

 マンションのどこかにいる猫のエサを補充し、砂場を清掃して今朝が生ごみの収集日だったことを思い返し、指定のゴミ袋に燃えるゴミだの生ごみだのを詰めてから家を出た。

 黒髪を後ろで結いひとつにまとめ、魔法使いの被るような柄の部分が青く染まった黒のとんがり帽子を目深にかぶる。

 合成繊維の白いズボンに、上からワンピースタイプのチェニックのようなものを被り、その上からメッシュがついた防弾性の薄い胴衣を着込んで、さらにそれが隠れるように藍色のジャケットを羽織る。

 別にイオリが女性士官の制服を着ているというわけでもない。これが、魔王軍の制服だというだけだった。

 腰から細剣を吊るす大柄のベルトを吊るすと、あとは軍靴に足を入れて準備は完成する。

 上着の左胸部分に魔王軍の将校である階級章が縫い付けられていて、どうにも威圧的に見えそうなが、イオリは好きではなかった。

 魔族の生きる魔界は地下にあり、しかし、地上にも魔族は棲息する。

 イオリは地下の魔界で生み出された、数百体現存する魔装人形の一体だ。そして、自身で考え生きることのできる、独立した生命体でもある。

 主を変え、生きる場所を変え、いまでは西の大陸に生きる魔族たちの王、フェイブスタークの下に仕えることで、生計を立てていた。

「明後日は久しぶりに外食だね」

 玄関横の靴箱の上に飾ってある妻の遺影にそう告げてから、部屋を後にした。

 住んでいるマンションは軍の借り上げている高級将校用の寮になっていて、そこのロビーには魔都グレイスケーフ各地にここから往復する専用の車両が待機している。イオリはいつもと同じく、西の駐屯地往きに乗り込んだ。

「おはようございます。一等捜査官」

「おはよう」

 まだ若い運転手は、オーガ族の若者だった。

 額から突き出した二本の角が、まだまだ伸びそうなほどに艶で光っている。車内に常備されている飲み物から何を選ぼうかと冷蔵庫に手を伸ばそうとした時、イオリに一つの黒い革で装丁された冊子が渡された。

「司令部よりこれが届いております」

「……なに。いきなり‥‥‥」

「あ、いえ。さきほど転送されてきたものですから。その、自分の階級では開くことできません」

「ああ、そういうこと」

 軍事機密保持の為に、冊子にはそれを検めることのできる権限が付与された者しか開けない仕組みになっている。

 手をかざし、魔力を注いで権限を付与されていることを確認すると、冊子は自動的にぱらりと開いて空中に文字を並べた。

 そこには仔細を述べた命令書と、身分証明書、そして旅券が一つ‥‥‥これは紙製の物が挟まれている。

「なんで私なんだ」

 イオリは呻いた。

 そこにはグレイスケーフとは真逆の大陸の南側。

 オルブレイン公国と言う名前のまだまだ発展途上に近い、獣人や人が住む公国の名前がありカルサイトという田舎町に飛ぶように、との指示があった。

「明後日は命日なんだぞ? 上は何を考えているんだ!」

 呪いをかけるように上司の名を小さく叫ぶが、それは本気ではない。

「戻ってくれ」

「は? DASISには?」

「行かなくていい。戻れ、準備をしてくるから待っていろ。それから空港だ」

「はっ!」

 DASIS――魔王軍犯罪捜査局の捜査官、魔装人形イオリは、一時間後には空の旅人になっていた。




 指令に従いオルブレイン公国に唯一ある、飛行船の発着場に到着したのが昼過ぎの事。魔都よりの定期便は日に六本しかなく、今夜までに現地の魔王軍出張場に入るようにと指示を受けていたから仕方なく特急を使用する羽目になった。

「……転移魔法を使えばすぐなのに」

 飛行船乗り場から、この国では多分、最先端。魔都においては半世紀以上昔に製造された車両の模造品ともいえるタクシーを利用して、さらに車に揺られること三時間。

 足場は悪く、悪路はイオリのお尻と精神と嫌というほど削ってくれた。

 ようやくカルサイトの街に入り、予約しておいたホテルの前まできて降りようとしたら、高額なチップを寄越せという。荷物を降ろして欲しいか、それともチップを払うか、なんならその美しい身体でも良い。嫌ならこのまま荷物をセダン型の車両のトランクに入れたまま去る、と脅すから差し出した手を軽くひねってやったら運転手は席を飛び出し、あわてて荷物をそこいらに放り出すと、悲鳴をあげて逃げ出してしまった。

「おーい‥‥‥チップは要らないのか?」

 素早い逃げ足に感心しながらタクシーを見送っていたら、犯罪の温床とも名高いこの街は、表通りの一等地にあるホテルの前ですら、昼間から平然と置き引きをするものがいるらしい。

 タクシーから降ろされた四つの旅行鞄は、ふと目を離した隙に搔っ攫われていた。

 そして、その辺りの路地に四人の男たちが各自、別々の方向に逃げ去っていく。

「さすが、田舎だ。ここまで治安が悪いとは思わなかった」

 見渡せば、四つ辻には必ず制服警官がいるし、ここは一等地だけあって各国の領事館やその出張場、役所や公営カジノ、総合ギルドのカルサイト支部ビルも周囲にはあるというのに、彼らは仕事をしようとしない。

「大した税金泥棒だな。おーい!」

 制服を着た男たちに「荷物を盗まれたんだが」と苦情を唱えたら見下したように、鼻先でせせら笑われた。

「魔王軍なら、自分で取り返されては?」

「差別をするのか。私はこの国へさっき来たばかりだぞ? それも正規の――」

 手順を踏んで、と言う言葉は手ぶりで却下された。もう聞きたくない、勝手にやれ、俺たちは知らない。そんな素振りだった。

「……依頼はしたぞ」

「知らないな。ここでは誰もが善人だ。悪人はいない。裁けるものなら好きにすればいい」

「その言葉、覚えておくぞ」

 見て見ぬふりがこの国の正義なら、こちらはこちらの正義を履行するまで。

 イオリは腰から細剣を引き抜くと、己を中心として半径百メートル、高さ二十メートルほどの半円状の結界を生み出す。

「おいっ待て! なんだこれは?」

 どこかで悲鳴が沸き上がった。

「心配ない。ただの索敵用の‥‥‥結界だ。無害だよ」

 陽光を遮るような薄く黒い結界のそれを不気味そうに見上げる警官を無視すると、イオリはその中にまだあるはずの自分の荷物たちを探り始めた。


 飛び降り自殺の現場に到着し、付近に未確認の遺留品などはないかと現場検証を行っていたアレックスたち、内務調査局のメンバーがそれを目にしたのは、昼下がりのことだった。

 大気にぴりっと電流のようなものが一瞬走った。敏感な獣人の尾はその気配を感じ取り、ぶわっと膨らんで持ち主に異常を伝える。

「なんだ?」

 誰かが「おい、見ろ!」と叫ぶのが聞こえた。そちらに向くと、市内に黑いドーム状のものがいきなり出現したように見える。その中を、剣を抜いた人が早足で逃げていく市民を追いかけているのが見て取れた。

 この街で剣を持ち歩くことが出来る者は限られている。

 警官か、衛士か、それとも冒険者だ。

 最後だとしたら、また自分たちの後始末が増える。

 班長が叫んだ。

「検証は一旦、中止だ。市民を守れ! どこのギルドの登録者だ、酔っ払いが!」

 瞬時の判断でメンバーは個々に銃を引き抜くと、犯人とおぼしき人物へと駆け出していく。アレックスもまたホルダーから二挺の拳銃を両手に持つと、獣人の能力を生かして高い跳躍とともに、隣のビルとビルの合間をコウモリが飛び往くように駆け抜けた。

 壁を蹴り、屋上を跨いで真っ先にその人物に追いついたのは自分だと気づくと、威嚇射撃をしようと銃口をそちらに向けた。

 ここでは警告なんてものは必要がない。

 怪しければ撃ち、足止めをしてから考える。それで大抵のことが済むくらい、カルサイトは治安が悪い。そして、いまもまさにそんなチンピラか、もしくは冒険者が犯罪を起こしているのだと獣人は空を駆け、銃を標的に向けながら、そう考えていた。

「――っ女?」

 しかも、冒険者じゃない。

 魔王軍のそれとわかる恰好をしていた。逃げているのはまだ若い男たちで、彼女の持つ細剣の腹で打ちのめされては地面へと倒されていく。

 その手並みは見事なもので、少女はものの数秒で追いつめた男たちを、叩き伏せていた。

「おい、動くな!」

 魔王軍の関係者だとわかると、話は違ってくる。警告を発し、それでも従わないようなら弾丸をお見舞いすることになるだろう。その際の、安全は保障しかねた。

「獣人か」

「なんだと?」

 彼女は特に珍しくもないというようにつぶやき、男たちが背負っていた荷物を回収していく。まるでこちらのことを意に介していないようだった。

「動くなと言っただろう! 撃たれたいのか?」

「……やれるものなら、やればいい。私は私の正義を履行しているだけだ」

 正義を履行している? まるで酒に酔った冒険者崩れの世迷言のように聞こえた。集めている荷物だって誰のものだか分かりはしない。相手がそう言うのならば遠慮は無用だ。

 アレックスは構えた銃口の一つから、威嚇の意味を込めて四発の銃弾を発砲する。二発は、彼女の足元付近に。一発は、これから取ろうとしている大きめの旅行鞄と彼女の手の間の空間に――それは地面に当たって跳ねた。もう一発は、彼女がこちらに向けている剣の柄を握るその手に向けて撃ったつもりだった。

 しかしどういう魔法を使ったのか、その最後の一発は空中で爆ぜた。‥‥‥というよりも、剣先で両断されてそう見えただけだった。

 自分の右わきにある石壁にそれの欠片が音を立ててぶちあたるのを見て、アレックスはおいおい、と脇腹に汗をかく。

 銃弾を弾くならまだしも、両断するような剣士がいるなんて、悪い冗談だ。まさしく、伝説の英雄や勇者が出てくる物語の世界の話に思えてくる。

「狙ったな?」

 誰何の声とともに、少女があっという間に距離を詰めてきた。走ったというよりも空間を短縮した、そんな感じに見て取れた。

 勢いよく迫るその剣先と彼女の顔はほぼ同位置にあり、その両頬にそれぞれ薄く二筋の線が引いてあるのを認識したところで、アレックスの身体は反射的に発砲していた。

 銃声は二発。しかし、彼女に向かった弾丸は六発を数える。

 優れた獣人の視力は三発を彼女が避け、二発を剣先で弾き飛ばし、一発を口にくわえて迫るのをスローモーションのように観測させた。

 首元に加速する銀光が揺らめく。片方の台尻りでその腹を受け止め、首を咄嗟にカバーして鬼気迫る剣先から逃れる。片方の銃口を相手に向けるでもなく、手のひらの上で引き金に指先だけを引っ掛けてくるくると回すと、それはアレックスの上半身をカバーできるような楕円形の盾へと変化した。

「っ――ふんっ」

 上半身をその内側に潜めたまま、回転させて相手に全力でそれを叩きつけてやる。普通の冒険者ならあっけなく吹き飛ぶはずのそれを、目の前にいた少女は余裕の表情で受け止め、あっさりと剣を中空に放り投げると、ぶつかってきた盾まるごと、勢いはそのままにアレックスを後方に放り投げた。

「うそっだろ!」

 その勢いはすさまじく、受け身を取る間もないままに獣人は壁に叩きつけられそうになる。

「くそっがーっ」

 怒声とともに短く呼気を吐くと、左足に込めたその一撃で岩壁を打ち砕いてどうにか衝突を防いだ。

「なんて破壊力?」

 驚きの声が少女の口から漏れた。

 相手は空から落ちてきた自分の剣柄を器用に受け止めると、その切っ先をこちらに向けて容赦ない一撃を加えようと腕を引き絞る。多分、今度はとんでもない一撃がくる。それを予見して、二挺の拳銃の双方を二つの盾に変え装着したとき、援軍が追いついた。

「おい、待て! なにしてる、もうやめろ! 敵じゃない」

 班長がそう怒鳴るのが聞こえた。

「なんだと?」

 そう怒鳴り返すと、油断なくこちらを伺いながらも少女は後ろからやってきた他の捜査官たちにも目を向ける。

「やめろ、敵じゃない」

 まだ戦闘態勢を解除しないアレックスに班長は無慈悲に通告した。

「お前の新しい相棒だ‥‥‥アレックス」

「どういうことだ、おい。ふざけんな!」

 盾を元通りの銃に変化させてホルスターに収めるとアレックスはまだ昏い空に向かい叫んでいた。



 イオリは新しいおもちゃを手にした気分だった。

 あの警官たちの言い方も、この街、独特の歓迎の仕方も気に入らない。

 しかし、目の前に立つ奇妙な獣人には興味が湧いた。

 いきなり空からやってきて、警告し、発砲する。その一発が自分の手元を狙っていると弾丸の軌道から予測して断ち切って見せたら、今度はあの蹴りだ。いかに獣人とはいえ、あんな分厚い石壁を蹴り崩せるとは思えない。何かの無詠唱魔法でも使ったかと思ったが違った。

 蒼い髪に蒼い獣耳、蒼い尾。

 そうだ、忘れていた。こいつは単なる狼の獣人じゃない。その身の内に風の精霊を宿して生まれてくる風の精霊王の眷属――蒼狼族だと、理解する。

 それならばあの破壊力もそうだし、空を飛ぶように駆けてきた理由も説明がつく。ついでに、自分の結界が通用しなかったのもそうだ。彼はどこまでも隠密に行動するための手法を知っている。それを熟知していて、風の精霊にイオリにそれと悟らせないように大気の変動を操作させたのだ。

 こんな優秀な精霊使いにはここ十数年ほどお目にかかっていなかった。二十年と少し前に終わった、あの魔族と他種族との大戦‥‥‥聖戦でもいたかどうか。そして、あの奇妙な魔道具も気になった。盾になり、銃になり、もしかしたらそれ以外の特性を秘めているかもしれない。

 こんな面白い相手と剣先を交えたという現実が、どこかに置き忘れてきた戦士としての本能を呼び覚ましそうになる。

「カルサイト、面白い街だな」

「俺は面白くないね。まったくもって面白くない。あと二日だって言うのに、こんなのが新しい俺の相棒だと? ふざけるのもいい加減にしろ」

「あと二日? なんだそれは」

「なんでもない。俺の記念日があと二日後にある。それだけだ」

 与えられたおもちゃに興奮する魔装人形とは真逆で、蒼い狼の獣人は憤然やるかたないという風にぼやいていた。

 イオリが予約したというホテルに荷物を運ぶ手伝いをさされ、例の四人組を置き引きの現行犯で警察に引き渡したら、「あんな凶暴な冒険者を野放しにされては困るんだよ」とクレームを受け、おまけにこうして死体のあった現場の共同捜査で一から説明をする役目を上司から与えられた。

「弾を両断したんだぞ、どこまでも危険な魔獣と変わらない!」

 その訴えは無視されて今に至る。

 自分の自慢だった二挺拳銃も、それを応用した逮捕術もまったく通用しなかった。これまで誰一人として破られたことのなかった盾ですらも‥‥‥苛立ちの原因となっていた。

「結界を張ってもいいか?」

「どうするつもりだ。勝手なことをするな」

 しかし、それは質問の答えになっていない。

 イオリは無許可で結界を発動させた。

「あっ、こら。何してんだよ」

 慌てて止めようとするも、それはあっという間に塔の全体を覆い尽くし、数秒で消えてしまう。

 余りの呆気なさに発動に失敗したのか、とアレックスは首を傾げた。

「被害者は自分で落ちて、サソリに身を喰われた、と?」

「そういうことだ。検視官はそうレポートに記入している」

「失われた肉体に宿っていたはずだ。少しばかりの魔力が。それはどこに行った?」

「さあ? サソリどもが喰ったんじゃないのか?」

 塔の上から落ちるなんて想像しただけでも恐ろしくなる。そう呟くアレックスを尻目に、イオリは地面を這うサソリたちを指さした。

「珍しいのか?」

「いいや。この地方ならよくあることだ。地下に群生地でもあるのかもしれない」

「ふうん‥‥‥」

 興味なさげにそう言うと、イオリは細剣を引き抜き、その一匹を串刺しにしてから口元に運ぶ。

「お前っ、信じられないやつだな! 死体を喰ったかもしれないサソリなんだぞ!」

「だが、珍しくはないんだろ?」

「だからって自殺現場のそれを喰うやつがあるか、大体、それはセアオサソリと言って猛毒を胎内に持つ‥‥‥平気なのか」

「別に問題ない。人ではないからな、私には毒は効かないよ」

「あの騒ぎといい……狂気もいいところだ。この狂乱人形め」

「おいおい、それは差別発言だ」

 イオリは私だってお前と同じように生きているんだぞ、と片頬を持ち上げて抗議の声を上げ

た。



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