第5話 おかえりなさい、又会う日まで

瞬く間に月日は過ぎ去り、次の新月まで残すこと一週間あまりとなりました。

「優衣さん、お誕生日おめでとう」

クラッカーがパンと鳴りました。今日は優衣の二十八歳の誕生日でした。王族や雲上人達の食卓とばかりに、彩り溢れた料理がテーブル一杯に並んでいます。


「今日は私のためにありがとうございます」

「優衣の誕生日はいいなあ。俺のときは確か、素麺だけ?素麺だけだぞ?」

「何言っているの?ケーキだってあったでしょ?それに、この前は、何もしなくていいって言ったの、奏でしょう?」

「そうだっけ?」

「あなたには誕生日もクリスマスも、散々してあげたし、もう思い残すことはないわ」

「どういうこと?そう言わず作ってよ。素麺で良いからさあ」

塔子は寂しそうに笑って、肩をすくめました。


「新月になったら、私も行く」

「え?」

アクタははしゃぐように喜びました。

「ああ、何とかって花を見に行くんだ。でも、だからって、誕生日はお祝いしてよ」

奏以外は塔子の言葉の意味を理解していました。理解しようとしないのは奏だけです。

「優衣さん、奏をお願いします」

丁寧に、心を込めるように、塔子は頭を下げました。

「嫌だな。もう戻って来ないってこと?ホントにさ・・?」

「ここまで、あなたといられて十分。これほどの幸せってないわ」

「賛成できない」

「奏?」

「ばあちゃん、若くなって戻ってこれたじゃないか。だから、一から人生だってまた始められる。何でまたそっちへ行く必要があるんだよ」

そういう奏はまるで子供そのものです。

「俺はそんなの認めない」

「奏」


「ねえ」

むくれる奏の前に真っ先に声を掛けたのは優衣でした。

「前にさ、両親の代わりに育ててくれたおばあさまのこと、感謝しているって」

優衣は奏の目の中に入るように覗き込んでいます。

「あなた、そう言っていたわよね?」

「そうだよ、感謝してる。だから、まだ傍にいて欲しいんだ」

「いつまで?いつか、私達だって、老いていくのよ?」

「なあ、優衣、飛躍しすぎないか?」

「いいえ、見て。今では私たちの方がそうなのよ?」

奏は黙ったままいました。


「おばあさまに、何かしてあげたいのなら、それはいつ?」

「それは」

握っていたおもちゃが手から離れて瀬人はぐずり始めました。慌てて、また目の前に差し出すと、瀬人は声を立てて喜びました。

それからまた、元気よくそれを左右に振り、今度はクーファンの外へ飛んでいきました。

今度は嬉しそうに瀬人は手足を動かしています。

「分かったよ・・・いや、違うそうじゃなくて・・・ばあちゃん、今までずっと傍に居てくれてありがとう。寂しいよ」

「・・奏」

「ばあちゃん・・・」

気が付くと目の前には暖かいお茶が用意されていました。その一口は良薬のごとく体に染み入りました。

「多分、あなたたちのことは思い出せなくなるかもしれないけれど」

「大丈夫。こっちは、ばあちゃんらのことは忘れないから」

「僕も忘れないから大丈夫」

アクタが得意げに言いました。近頃、何だか二人はよく似てきた気がします。

「それに、今はもう一人じゃない」

そう言って彼は小さな掌に触れました。

「家の管理をお願い。といっても、もうあなたたちのものね」


アクタは優衣の方に向き直りました。

「それ、大事にしてよ。まあ、いずれ、僕の所に来るとは思うけど」

優衣はにっこりと頷きました。

「何のこと!?」

塔子とムシキはキッとアクタを見上げました。

「な、何でもないったら」




新月の夜、ヘルミはやってきました。

二月を過ぎて立春を迎えたばかりでは、まだ夜の外気は震えるほど寒く、塔子は極太のウールで編んだばかりの大きなブランケットを両脇に抱えていました。一つを寝ている瀬人の足元に。瀬人の隣には優衣と奏が寝息を立てています。

そっと、塔子たちは家を出ました。

外は真っ暗闇です。その中で何故かヘルミだけが白く浮き出ているかのように見えます。

「大丈夫?」

大丈夫・・とヘルミの言葉を復唱して、どんどんと離れていく我が家を見つめました。

ヘルミの透き通った羽の中に三人は一瞬にして包まれてしまいました。足の裏から地面が触れなくなり重力はなくなりました。

「あいつともう少し遊びたかったな」

そう言って、アクタは左手を広げて見せました。

「ほら、この前開けた箱の中身さ。これが欲しかったんだ」

それはビー玉でした。次は右手を広げました。

「こっちは前にトーコにもらったもの。多分同じものだね」

「じゃあ、あの子にもらったのね。きっと」

「コレクションが増えたよ」

アクタは上機嫌でそれをしまいました。

「はあ。もう少し本当はいたかった」

「私も」

「ええ!ムシキまで何言っているの。これじゃあ、私の立場がないわ」

「こっちだと料理のレシピが広がるんだよね」

それぞれがため息をつきました。

「また、いつか来ようよ」

少しずつ上昇して、屋根上まで上がりました。今でこそ新しく改築しましたが、嫁いで来た時はボロボロの古い家でした。最初の頃はお風呂が外にあったり、トイレも外だったり、不便な家でした。今でも昨日のことのように覚えています。

それから、記憶の中にいる家族がいたるところに現れました。ボロで継当てられたちゃんちゃんこ姿の二人の家族は縁側でこちらを見上げていました。

次にその奥から出てきたのは奏と優衣でした。二人もまた、同じように見上げています。

風もない穏やかな夜空は三人を完全に消し去りました。






「ただいま」

オーウォンは台所から出てきました。

「戻って来て早々なんだけど、アクタは料理って作れたっけ?」

ふと見ると、見知らぬ顔が台所の中に立っています。

「実はムシキ、ここを出て行っちゃってさあ。大変なんだ」

「反省した?」

と、ひょっこりとムシキ本人が現れました。

「何、朝食の準備かい?手伝うよ」

それを慌てて制止するようにオーウォンはややっと丸い両手を広げました。

「いいんだ!ムシキは休んでて。こっちは、うん、大丈夫だから。たまにはそういうのもいいだろう?」

「いいけど・・」

くすくすと笑っているのは懐かしのスージーでした。

「スージー!!会いたかった。新月の夜空が君の色だったんだ。それを会いたくて仕方なかった。ごめんよ、勝手に出て行って」

言いながら、ムシキはスージーに飛びつきました。

「それでね、今日は歓迎会をしようと思うんだ」

「誰の?」

オーウォンは涼しい顔で野菜を切りながら、ふと現れた懐かしいその姿に目を奪われました。

「トーコ!!」

今度は塔子が涼しい顔をしてはにかみました。

「センチュリープラントを見たくて・・戻ってきちゃった」

「だって、お孫さんは?一人ぼっちだろう?」

塔子は首を横に振って荷物を下に降ろしました。

「今はもう違うの。だから、私はお役目御免になったの」

「そうかい?だったら、大歓迎するよ!君の部屋はもちろんそのままだからさ」

「ありがとう、これから、よろしくお願いします」

「なあ、それで、イシュは?」

アクタは二階から荷物を置いて降りて来ました。

「ああ、あいつなら・・」

ちょうどオーウォンが言いかけた時、裏庭から地面を揺さぶるような音が聞こえてきました。

「帰ってきた」

何やら、相当興奮しているようです。手には何か握りしめていました。

「どうしたんだい?」

ようやく三人の姿を捉えたようで、イシュはそれぞれの顔を食い入るように見つめた後、ようやく、重たい口を開こうとしました。

「まずいことになった。前に埋め直したあの石の近くにこれが落ちていた」

そう言って、テーブルに置いたのはハンディサイズの地図帳でした。それが何を示しているのかを理解したのはトーコとムシキ以外のものたちです。

「ヘルミ姉さんにもう一度連れて行ってもらいましょう」

「そうだな。それに、もう一度、埋め直す必要がある」

「でもまず、お茶にしましょう」

ムシキは久しぶりに立つ自分の台所でカモミール茶を淹れてきました。おかげで、張り詰めていた空気が幾分和らいだ様子です。


「これ・・って」

自然に開かれたページには赤く丸印がされていました。

「トーコはここを知っているのかい?」

オーウォンは、背を必死に伸ばしてテーブルから顔を覗かせていました。

「もちろんよ。だって、私の住んでいるところの近くだもの。ここは大きな山々が連なる場所よ。そうね、相当の山奥。途中までは行けるけれど、その先はバスか・・・とにかく、行くには規制がかかっているわ」

「なら、掘り起こされるにはまだ時間がかかるな・・・よし、これから出よう」

「僕も行く」

アクタが言い、イシュは頷きました。

「オーウォン、今回は君にも来て欲しい。もしかしたら、君の想像力が必要になるやもしれん」

「わかったよ。でも、夕飯を食べてからでいいよね?」

「まったく、緊張感がないなあ。いいよ、食べ終わったらすぐに出発しよう。アクタ、遮蔽箱を忘れるな」

「了解、トーコ、お腹空いたよ」

「はいはい」

いつの間にやら、台所には三人のシェフが揃っていました。これからは、

ムシキ一人に負担はなさそうです。けれど、食べ物を残した時の雷もまた、三人分になるのでしょう。




ある昼下がりの休日。

ショッピングモールの本屋で一人の女性が一冊の本を手に取りました。

「お母さん、お金ちょうだい」

「何?ガチャ?この前お小遣いあげたでしょう?」

「そんなのないよ。もう少しでコンプリするんだって!」

「だめ」

そう言いながら、母親はその本を手にして、レジへと向かいました。

「ちぇ、お母さんだけずるいな」

「ありがとうございました」

本屋の店員はその後、たった今売れて行った本があとわずかなことに気が付きました。発注のリストに加えようと在庫確認のためパソコンを叩きました。


本のタイトルは『ムシキ&トーコのミラクルレシピ』

作者不明、在庫はなし。


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付喪神アクタの日常 御法川凩 @6-fabula-9

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