第4話 味覚の魔術師を得たベテラン料理家
「じゃあね」
怒り心頭となったムシキが階段を駆け上がって行きました。ほどなくすると、こんもりと膨らんだリュックサックを背負って降りて来ました。
「ムシキ!どこへ行くんだい」
「どこへだっていいね!」
ムシキの怒りのてん末はこうです・・・・・・・
『・・・そんなわけだから、しばらくお願いするわ』
『皆さん、初めまして。オーブと言います。お世話になります』
『ヘルミって妹がいたんだ。うん、こちらこそ』
『あれ?オーウォン、もう食べないの?』
ムシキが食べ終えた食器を集めながら言いました。
『うん、そうなんだ。さっき外で栗を焼いてさ。お腹いっぱいで』
『オーウォン・・・あたしの嫌いなこと知っているよね?』
『し・・知ってる。食べ物を残すことだろう?だけどさ、初めてオーブが来ただろう?だからさ、一緒に焼いてあげたんだ。ほら今年は豊作だっただろう?』
それを聞いたムシキの思考の糸がぷっつりと切れました。
階段を静かに上がっていき、少しして、大きなリュックを背負って下りてきました。
『好きなことは、食べてくれて幸せな気持ちになってくれること。最も嫌いなことは料理を粗末に残されること!』
その台詞を言い放つと、ムシキは中庭へ飛び出して行きました。
『・・・大変だ』
イシュは重たい体をギシギシ鳴らして椅子から立ち上がりました。
『すぐに帰ってくるよ。だけどさ、それほどのことかい?』
そう言ったオーウォンの後ろに、スージーが立っていました。
『たまにならね』
そう言って、大きな欠伸を一つすると、階段を上がって行きました。
『これから、誰が僕らのお腹を満たしてくれるんだ?』
イシュは水浴びに行く気にもなれず、階段をのそのそと上がって行きました。
『何だい、みんなして。そんな大げさなこと?』
そう言ったオーウォンを横目にしてヘルミとオーブも階段を上がって行きました。
「ただの風邪で良かったわ」
塔子は、安堵のため息をほっと漏らし、氷枕の用意を始めました。
昨夜、家族が寝静まった頃、瀬人はミルクを大量に吐いたのです。それから、どんどんと熱は上がって、朝を待って近くの小児科に駆け込んだのでした。
「こうやって、とにかく今は頭を冷やすの。絶対に肩から下を冷たくしないように」
塔子はオレガノのポプリをそっと瀬人の傍に置きました。
優衣は奏に連絡しようと携帯を開きました。その時ふと、アクタの視線に気がつきました。
「それ、君にとってものすごく大事なものだよね?」
アクタは瀬人の額のタオルを絞り直して優しく乗せました。優衣は静かに頷いて
「今となっては父親の形見。最後に入学お祝いに買ってくれたものなの」
そう言いながら、携帯を畳みました。
「古い携帯。新しいのに変えなきゃって思うんだけど。水没したらあきらめもつくのかな」
優衣は笑ってそう言いました。
「そうやって、大事にしてくれて嬉しいよ。僕もそれ、沢山持っているよ。最近、急に増えたんだ。古くなれば新しい物が欲しくなる。思い出も増える・・」
タオルをもう一度冷たく絞り直しました。
「だったら尚更、持っておいてくれれば嬉しいのにって思うよ。大事な部分まで要らないとか、使えるのに捨てるのって、僕にはわからない」
優衣は静かに聞いていました。
「それに・・この調子で増えて行ったら、僕はもうひと部屋を確実にあいつに要求しなくてはならない。その交渉を考えただけでも頭が痛い。だからって、持ち込み禁止とか言われたら、その方が困るし・・」
「アクタ、あなた、何言っているの?瀬人は具合が悪いのよ。優衣さんだって疲れているの。こっちに来て」
鬼の形相のごとく、塔子は戸口に立っていました。
「トーコがムシキに見えるよ」
翌日には、瀬人の熱は下がって、瞬く間にミルク瓶を空にするほどに元気になっていきました。
ある日曜日、塔子は頂き物の大量のカキの殻むきに奮闘していました。アクタと奏はチキントラクターを作るため庭で作業を進めています。この頃、二人はとても仲良しです。
鳴り響いていた工具の音がピタリと聞こえなくなりました。どうやら、アクタは誰かと話しているようです。
「どうしたんだい?次は確か二月だったよね?今はまだ一月だよ」
「どうしたって?そんなこと知ってる」
その声を聴いて、アクタの顔は青ざめました。声と同時にヘルミの背後から現れたのは他ならぬ、ムシキだったからです。
目深にキャップとパーカー。胸元に〝Be Gone〟と印刷されています。
「どうしたの?少しこっちも手伝ってくれない?指切っちゃった」
家の中から、塔子は顔を出しました。
「トーコ!!」
「ムシキ!?」
優衣は塔子の代わりにお茶を入れてくれました。塔子は止血具合を見ながら、絆創膏を奏に貼ってもらっています。
「ヘルミにムシキ。ここへ来るなんて何があったの?」
「今度こそ腹が立ってしょうがなくってさ」
ムシキは事の顛末を感情をたっぷりと込めて話しました。
「そうだったの・・」
「でも、こっちは腹を空かせないようにって考えてるし、なるべく良い状態で食べてもらいたい。そら、それが食べたいものかっていえば全部には応えられないよ?」
いつの間にかリビングには七人が集まっていました。
「・・前ね、オーウォン、ムシキは食べ物の波動が分かるんだって。だから、美味しんだってそう言ってた。本当にね、そう思っているから、きっとそうしたくてしたんじゃないって思う」
「わかってる。でも、この頃はそんなんが特に多いんだ」
「そうだよ・・どうするの?ここへ来ちゃってさ」
再度同じことを口にして、ムシキはアクタを人睨みしました。
「わかってる。あたしだって、ちょっとムキになり過ぎたって思ってる。それに、スージーのことを思うと切なくなるんだ。何だい、アクタ、そんなにあたしらが来たら迷惑なのか」
「ち、違うよ!君らのこと、みんな、探してるんじゃない?って僕は心配してるんだ」
「私のことはそれは当てはまらないし、ムシキはすぐに帰って来るって思っているわ。それにここの一ヶ月は向こうの一日よ」
飄々として、ヘルミは言いました。
「私は二人に会えて嬉しい」
「トーコ!あたしもだ。どんなに会いたかったかしれないよ。ごめんね、いきなり来て。でも、ひと晩だけ、ここへ泊めてくれない?」
「何か、図々しいと思うよ」
アクタのその言葉にムシキはしゅん、としました。
「何で、アクタが決めるの?」
「だってさ、トーコ。大変だろう?」
「いいえ。前から私、ムシキは働き過ぎだって思っていたの。うん、だから、ひと晩と言わず、居てくれていい。ただし、部屋はそれほど広くはないけれど」
それを聞いたアクタの顔がげんなりと。
ムシキの瞳は輝きました。
二人とも百年花が咲くのを目途に、ここへ住むこととなりました。
「来月の新月の夜、迎えに来るわ」
ヘルミはそう言って空に消えて行きました。ムシキというスペシャリストが加わり、森崎家の食卓はグレードを増しそうです。
言うまでもなく、ムシキと塔子の作る料理はどんな三つ星レストランでも引けをとらないものです。
その夜は、カキを使って、ムシキとの共同作業です。ムシキはカキを見るのが初めてのようで、しばらく考えてから、慣れた手つきで食材をさばいていきました。
カキのシチューと水菜のサラダの完成です。
「ニンジンのドレッシングをかけて完成」
「さすが」
塔子は懐かしいムシキの味を思い出し、奏と優衣はその美味しさに言葉を失うほどでした。
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