第2話 価値観の違い
「これ、美味しい」
アクタがそう言いました。
「そう?ヨモギの蒸しパン。紅茶には合うかしら?」
それを聞いて、熱いお茶をすするように一口飲みました。
「合うね。美味しいよ」
不思議な顔合わせでした。アクタの名前を思い出せてから、もう何年も忘れていた記憶の蓋が一斉に開きました。
楽しかった生活のこと、夢のようなあの日々。もう一つの家族。
「ええと、お孫さんだね?初めまして。僕はアクタ」
それを聞いて塔子は噴き出しました。
「アクタ!何年経っていると思うの?孫はこっち。この子はその子供の瀬人」
「ああ、そっか。改めまして、僕はアクタ。トーコの友達」
「初めまして。ばあちゃんがお世話になりました。あの・・事情は何となく・・・ですが、聞いていたので、分かります。本当に不思議な世界もあるんですね。ばあちゃんが最初いなくなって、戻って来た時には驚きました。僕より若かったんで」
確かに。とアクタは頷きました。
「その後、もう一度戻らないといけないから。そう言って、またいなくなってしまって。その間、何も覚えていないらしくて。でも、帰って来てくれて本当に嬉しかった」
「あそこから出てしまえば、人間は記憶を失くしてしまうらしいんだ。きっと、最初に覚えていられたのは、トーコに使命があったから。両親のいない君のそばにいたかったから、トーコはその使命を立派に果たして、ここへ戻って来たんだよ」
しん・・・として今度は奏の隣にいた女性が噴き出しました。
「ごめんなさい。つい」
「あ、いいんだ。君は、瀬人くんのお母さんなんだね?」
「はい。優衣といいます。実は私たちもさっきここへ来たばかりなんです」
頷いて、アクタはもくもくと蒸しパンを一口入れると、止まらなくなっていました。
「アクタ、もしかして、お腹が空いている?」
「うん。最後に食べたのは二日前に食べたムシキの晩御飯だからさ」
「ムシキ!?元気なの?」
「元気だよ。それに今でも、一日で誰かが必ずトーコの名前を口にするよ」
とても懐かしい記憶です。アクタ、ムシキ、オーウォンにヘルミ、イシュにスージー。一斉に懐かしい顔が浮かんで来ました。そして、ビオトープ。
「実は、コッソリここへ来たんだ。僕ならほら、人間と変わらないだろう?」
確かにアクタは、出で立ちはさておき、見た目は人間の青年なのです。
「街へ続く道に出るまではヘルミに連れてきてもらった。そこからは歩いて、電車に乗って、歩いたかな・・・」
「ヘルミは朝のお勤めがあるものね」
「うん。春までは毎日」
脳裏には美しいプラチナブロンドの髪に、羽のようなローブをまとったヘルミの姿が浮かびました。朝露を運ぶ妖精です。
「あのさ、しばらくここに居ていいかな」
「もちろんよ!」
他の二人は塔子の不思議な体験のことを知っていましたが、塔子らの会話までは理解できずに静かな傍観者となっていました。
「いけない、お腹空いているのよね。ちょっと待っていて」
そう言って、慌ただしくエプロンを頭に通しました。
「ああ、美味しかった。お腹いっぱいだ。ムシキ以外の作る料理を初めて食べたかもしれない」
塔子はそれほど時間のかからないもので満足できるものと考え、オムライスを作りました。
「そう?ムシキみたいには上手に出来たかしれないけど」
「美味しかったよ!」
アクタは立ち上がって、そう言いました。
ムシキ、色の無い世界の住人。彼女に見える色は相手の感情だけ。家族の三食とおやつを毎日作ってくれたの姉のような存在。
「ありがとう、嬉しい」
空腹が解決出来た後、次の問題点に塔子は気が付きました。
「アクタ、着替えは持ってきたの?」
アクタは屈託のない笑顔で首を振りましたアクタの隣にいる奏をちらり。二人は身長差があるうえに、体格も違うようでした。
「そうねぇ」
その午後、塔子はアクタを連れて、近くのショッピングモールに行くことにしました。
到着して、アクタは慎重に車を降りました。まるで棒のように突っ立ったまま、呆けています。
「こりゃすごい。とても大きな倉庫だ」
「倉庫じゃないわ。お店なのよ。これから、あなたのお洋服を見に行くのよ」
奏はベビーカーを車から降ろしました。瀬人は車に乗ってからずっと眠ったままです。
高い天井から始まるホールには平日だというのに、人は集まっていました。
「紳士服と・・」
塔子はいつもの店に行こうとエレベーターへと向かいました。ちょうど交代で降りてきた子供がアクタの顔をじっと見つめて立ち止まりました。
アクタは微笑み返しましたが、無表情のままです。母親の手を握って歩きながらも、さも気になるようでこちらを見つめています。
「僕なんかした?」
「何もしてないわ」
チン。二階の扉が開きました。
「ねえ、ばあちゃん。どこ向かってる?」
「どこって、ほら、あそこ」
塔子は老舗ブランドの紳士服専門店へ入って行きます。そして、並べてある商品を端からじっくりと探し始めました。
「うん。これなんかいいんじゃない?」
そう言って手に取ったのは渋めな緑のコットンシャツでした。数枚その辺にあるものをアクタの体に当ててみます。
「何かお探しですか?」
そこへ恰幅の良い店員が声を掛けてきました。
「そうなの。彼が着るものなんだけど・・」
「これは嫌だよ。何も想いが込められていない」
店員は怪訝そうにアクタを見ました。そして、明らかに煙たげな様子で二人を交互に見ていました。
「ばあちゃん!ちょっと待って。僕が一緒に選ぶよ」
奏は、三階の店へアクタを連れて行きました。
「やっぱり、そうよね。最初から奏にお願いしたほうが良かった」
その間、通路にあるソファーに座っていましたが、思いのほか男二人の買い物は長く、塔子はじっとしていられなくなりました。
「おばあさま、どこへ?」
「あそこに子供服があるみたいなんだけど、見に行かない?」
見ると向こう三軒から先から子供服売り場のようでした。静かな瀬人を確認して、優衣は立ち上がりました。
「これ、可愛い!」
塔子の手に取ったものは、もこもことしたペンギンの着ぐるみでした。
「これも可愛い。可愛いったら可愛い!」
陳列してあった服を次から次へと持ち上げて、目を細めながらうっとりとしています。
「それ、良いですよね?今日入荷したばかりなんですよ。弟くん?妹さん?」
優しそうな店員は塔子の目線したに腰を下ろしました。
「孫よ」
塔子はきっぱりと答えました。
「これ、もう一つサイズの大きいのはないの?これから、成長が早いのよね」
そう言って腕組みをしました。それを聞いた店員は静止して、呆気にとられています。
「この一つ大きいサイズをください!」
すかさず優衣は店員に言いました。
「あ、ありがとうございました」
サイズがあるのを確認してから、レジを済ませて商品を受け取ると、何ともぎこちない感じで店を後にしました。
「ああ!あのペンギンを買うのを忘れちゃったわ!」
「いいんです!また今度買いに来ましょう」
小さな大人をなだめながら、ベビーカーを静かに押しました。来た方向の反対側に行ってしまったせいで、余計な買い物袋が増えてしまったようです。ベビーカーのフックは買い物袋でいっぱいになりました。
「どこ行ってたの?携帯鳴らしたのに」
奏は優衣に言いました。
「ごめんなさい。気づかなくて」
アクタは優衣の手にした携帯に視線を向けました。
「良いものはあった?」
奏を見ると少し疲れた表情で笑っていました。
どうやら、良かれと思って連れて行った服屋を通り越し、一周しても気に入った服が見つからなかったようでした。
「今度、古着屋にでも連れて行くよ」
奏は、アクタの好みのものが大量生産にはないことを理解しました。
「悪いわね。アクタは色々な感情がこもったものが好きなの。それを忘れていたわ」
広すぎる店内をくたくたになりながら歩き続け、あっという間にお昼となりました。買い物袋をロッカーに預けて、食事をすることにしました。
渡り廊下を挟んで飲食店の並ぶ場所へ移動です。お昼の真っただ中。次々に名前が呼ばれたのち、ようやく四人はテーブルに座ることが出来ました。
アクタの瞳はらんらんと輝いたまま、塔子はそれを監視するように落ち着いていました。
「あれは何?」
そう言いながら待ったなしで飛び出して行きます。それを追いかけて塔子はアクタの元へ。
「ばあちゃん!」
その大声に人々は振り返りました。ばあちゃんと彼に呼ばれた少女は着席してからも、奇異な眼差しの洗礼を受け続けました。料理が運ばれてくると、よほど腹が減っているのか、アクタは黙々と食べていました。瀬人は今日ばかりは、両親の気持ちをおもんぱかってか、ずっと穏やかでした。
「ねえ、これ、君とまだ居たいって言ってる」
アクタはゴミ箱にたった今捨てられた合成樹脂の小さな人形を拾い上げて、少年の目の前に広げました。
「だって、コンプリしちゃったから要らないんだ」
「コンプリって何だい?」
「全部の種類をそろえたってことだよ」
待っていた友達が行こうよ。と言って、袖を引っ張っています。
「でもさ、それ、すごい君のことが好きみたいだよ。一緒にいてあげたらいいんじゃない?」
「めんどくさ」
男の子は、アクタの持っている人形をぶんどりました。
塔子は反対側のお店で動物のイラストでそろえた子供用品を眺めていました。
「これ、可愛い」
どれ?とアクタはそれを覗き込みました。その先には陳列棚三段に渡って、食器やカトラリーなどが並べてあります。
「見て、アクタ。これとても軽いわ。素材はセラミックね。水玉の牛って可愛い」
角の無いプレートでした。中は三つに仕切ってあります。
「軽いね」
「来年になれば使えるわよね」
塔子はそれと、柄の部分がゾウとキリンの形をしたフォークとスプーンを買いました。
買い物を全て買い終えて、五人はようやく家路へとつきました。
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