付喪神アクタの日常
御法川凩
第1話 付喪神、人間世界へいざ
振動音の音。
「次は、富士見です。お出口は左側です」
立ち上がる人にならいながら、人々は戸口の方へ流れていきます。
摩擦音ともに電車が止まり、月へ降り立った宇宙飛行士のように人々はホームへと流れて行きます。
ホームに上背のある青年が呆然と立っています。
秋も終わりの白いシャツは寒々しく、ヨレヨレに擦り切れたズボンに麦藁帽子という出で立ちは、通り過ぎる人々の視線を浴びるのに十分です。
空は真っ青な秋の空。
「良い天気だ」
改札口に出ると、迷うことなく青年は左に歩き出しました。それから、駐輪場の脇を通り過ぎようとした時、ふと立ち止まりました。そして、並んだ自転車の中へ。
「君かい?」
ギーギーガチャン。ギー
自転車は錆びて、チェーンが外れています。ただ、パンクしていないというだけで、使うには相当のメンテナンスが必要そうです。
青年は、そんなことはさほど気にならないようで、涼し気に自転車を押しました。
ギーギーギー。ガッチャン。
緩やかな上り道。少し押し疲れて立ち止まりました。ふと何かを見つけて、視線の先に落ちているものに、駆け寄りました。
「持ち主は・・・いないようだ」
人差し指と親指に収まった青色のビー玉をクルクル回しながら覗き込みます。じっくり眺めた後、それを鞄にしまい、それから、ペットショップの看板を左に。人目の少ない路地裏へと回りました。道を背にして、自転車を止めて、指先で自転車全体を空で囲いました。
すると、みるみるうちに自転車は小さくなり、掌に乗るほどのサイズにまで小さくなりました。まるで、お菓子についているおまけのおもちゃのようです。
それをしまい、代わりに何やら取り出しました。それもまたビー玉で。青年は胸が高鳴る思いがして、にんまりするのでした。
「これはどこへ置けばいい?ばあちゃん」
白いセーターの青年が荷物を抱えて部屋に入ってきました。
「奏、そう呼んだら駄目だって言ったでしょ?」
家の奥から現れたのは少女でした。豊かな髪を片方で結んで荷物を一つ青年から受け取って両手で抱え込みます。
「ごめん、慣れなくてさ」
「仕方ないわね。今は私達だけだし、でも気をつけて。ああ、それは全部お台所に運んでくれる?」
箱の中には巨峰とデラウェアがぎっしり入っていました。今年の夏は猛暑で、けれど、雨も定期的に降っていたこともあって、実りの多い秋となりました。
「上杉さんから頂いたの。あの人、毎年くれるのは嬉しいのだけれど、私のこと誰だと思っているのかしら」
「こんにちは」
青年の後ろに続いて、若い女性が頭を下げました。すらりとした、髪の短い女性でした。胸には白い小さなお包みを抱えています。
「ああ、いらっしゃい!どうぞ、入って」
少女はリビングのソファーに女性を促しました。
それから、手際よくお茶の用意を始めました。ポットに茶葉を入れて、お湯を沸かします。
「朝からずっと車で、疲れたでしょう?ほら、ここに座って。お茶を入れるわね」
上着を脱ぐ間、少女は彼女の腕の中から、お包みごと上手に受け取りました。
柔らかくて、小さな生き物。奏と彼女の赤ちゃんです。
「全然泣かない。不思議」
母親は驚いて赤ん坊の顔を覗き込みました。どうやら、父親ですら泣いて手に負えないほど、人見知りをするようでした。
「あなたのお名前は確か・・・・セト・・瀬人くん」
赤ん坊は、名前を呼ばれて、不思議そうに瞳を輝かせています。 今度は、少女を見て、にーっと笑顔を浮かべました。二人はまるで、年の離れた姉妹のようです。
「今日は寒い寒い。瀬人くん。お風邪さん、ひかないようにね」
塔子は瀬人の肩にハーフケットで母親ごと包みました。
「ばあちゃん!」
奏は車から荷物を全部運び終えて、最後の紙袋を手に戻って来ました。
「こら!そう呼ぶなって」
お湯が沸騰した音がして赤ん坊を母親に優しく委ねました。少女はガスを止め、お湯をポットに注ぎました。コゼーを被せたところで、また、奏に呼ばれました。
「何べん呼ぶの?用があるなら入ってきたらいいでしょうが」
少女はふてぶてしく靴を履いて玄関を出ました。外の光で一瞬目が眩みそうでした。
奏は道の前にいました。
「だってさ・・」
どうやら、庭の入口で誰か立っているようです。近づくにつれ、少女は胸が高鳴るのを感じました。
とても、大切な人のような人のような・・
「トーコ!」
そう言いながら、満面の笑みで青年は手を振りました。
「私?」
「ばあちゃんの知り合い?何か見たことない人だからさ」
もう一度よく青年に目を向けました。擦り切れた洋服、麦藁帽子、そして、小麦色の肌。青年は何のためらいもなく少女に抱きつきました。草の匂い、花の匂い、土の匂い、お日様の匂い。
温かいホッとする感覚。紛れもなく、自分の知っているものでした。
「アクタ・・・」
「思い出した?トーコ。やっぱり、目的がなければ忘れちゃうんだね」
「アクタ?・・アクタ!」
あれから、十一年が過ぎたのです。
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