協調フィルタリングと引用のイデオロギー的脆弱性の壊変

 協調フィルタリングとは、新しい投票を予測したり、新たな推奨をするために個人の以前の投票を利用することを指す。これにはメモリーベースの手法とモデルベースの手法がある。メモリーベースの手法とはあるユーザーαについて、トレーニングデータ行列からαに最も類似したユーザーを見つけ、αがまだ投票していない項目について、αの投票を予測するために、類似ユーザーたちの投票を用いることである。これは他にも様々な手法があり、近傍を見つけたり、その履歴を合わせて重みづけを入れたりすることがある。この手法の限界はαと類似ユーザーの間にある一項目の集合の大きさがどのようなものであれそこに相関性の重みをつけてしまい、似通ったものの投票に関してはあらかじめそれを補完するような想定をしなければならないということである。履歴にある程度の重みの閾値を導入して予測の精度を上げたり、上位の一定数だけを類似として相関させるという方法などもあるが、複数のクラスタに分類するための重みづけは分布ごとに違った重みづけがなされてしまうため、データ集合が大きくなればなるほど類似点の相関の意義は小さくなる。モデルベースの手法とはトレーニングデータの過去の投票パターンから推論される項目間の関係についてオフラインで明確なモデルを作ることで予測を行う。モデルベースの手法は一度モデルが構築されてしまえば、新たな教師付きデータを追加するなどの措置は基本行わず、実行時間はデータ集合の大きさには依存しない。協調フィルタリングとの関係でモデルが問題になるのは分布条件に対してどう同時に確率密度を満たすようなパラメータ設定を観測の順位付けなどの方法で与えられるかにかかっている。この手法の限界はユーザのモデルはある要素のうちの一つのみから「生成」されると仮定している点にある。もし複数のクラスタにまたがってそのモデルが当てはまる場合には、単一のモデルだけでは確率密度は満たされないことになってしまう。そのためモデルのパターン毎の異なる条件付き変数を密度モデルの閾値からあたらためて個々の観測列として設定し、各項目の確率を測定するというアプローチが存在する。例えば確率的決定木などによる「成長」で分岐予測の再帰性から構造的な近似をモデル毎の条件として分布をベクトル化する。


 ここで協調フィルタリングを行う目的であるリコメンダシステムについて説明する必要がある。リコメンダシステムとは閲覧行為に基づいて、サービスや製品の推薦を行うようなアルゴリズムのことであり、それが良い方向に改善される要因や購入者の予測を自動化できるかどうかについての試論である。リコメンダシステムでは基本的に「どちらも選ばない」という判断を欠損として把握し、アクセスしたり情報を閲覧することを投票行為になぞらえて肯定否定判断の値に分類する。このシステムを研究するにあたって実ユーザの統制実験下での情報収集はほとんどクッキーを利用するか明示的なアンケートを取るかのような水準でしか行われず、その評価がどのように行われるかはほとんど公開可能な歴史的なデータにのみ依存している。つまり歴史的なデータの分類と実情報のデータの分類に差がある場合にはリコメンダシステムの評価は相当に乖離する可能性がありうる。もう一つの問題はリコメンダシステムを利害関係者あるいは体制が意図的に内容と実情報の観点を乖離させるための分類器として広告あるいは宣伝に利用することができるという点である。当然だが商業サービスのリコメンデーションは対象となる商品やサービスが消費者に対して一定の質を持ち、それを購入したり利用するだけのメリットがあるということを前提にしている。故に質のわからない製品や情報をとにかくネットワークを介してばらまき、騙される人間を特定するという手法はリコメンドシステムの質を下げるというよりは低いリコメンデーションしか有さないと言える。しかし体制のシステムや教育的な購入推奨の評価などはそれが高いリコメンデーションを有しているとしても全体のリコメンドシステムの質を下げる場合がありえる。予測行為のシミュレーションは体制に有利な場合にのみ提出されるのであって、不利な場合にそのシミュレーションを積極的に公開する理由にはなりえない。しかもそのシミュレーションが現実に対してより正確な尺度を呈しているかどうかも状況の判断次第ということになってしまう。歴史的な判断では知識人や専門家が特定の権力者の暴走を御し、その行為に正確な評価や説明を与えるという「形式」で機能していた。この公正さとは「学問的真理の探究」と「道徳的頑強さ」という見識の倫理性で決断が要求されており、その準拠は古典的な偉人たちの書物の引用あるいはその研究成果の科学的定式化という重みづけから権威が提出されてきた。ここで科学的な引用の重みづけはともかく哲学的あるいは文学的著作の引用の重みづけというものはどのように評価されるのかという基準を問わなければならないと思われる。というのもこの分野ほど協調フィルタリングという専門性が全面的に行使されて学習トレーニングのリコメンダシステムの根本的曖昧さを無視してきた分野はないからである。


 哲学的・文学的分野が数学的なデータ集合とは異なる評価方法を要請しなければならず、社会との関係において純粋に科学的な手段を用いて測定することの困難が明らかだとしても、それがこれらの問題について曖昧なままであってよいという理由にはならない。なぜならこの種の曖昧さは既得権益やヒエラルキーのイデオロギー的構造に合致した仕方で科学的数学的な分割に抵抗してきたという歴史的実例があるからである。それは必ずしも宗教的観念であるとは言えず唯物論的な社会実践においても、コミュニケーションの相互補完性に関する戦争の属人的理解などにおいても拡張されうるのであり、これらの多くの矛盾は同調圧力や文化的な歴史を隠れ蓑にした暴力的状況の温存という構造的腐敗を生み出してきた。哲学的な方法的実践におけるこれらの解決策は「科学的な理解の様式と文学的な創造活動との間に明らかな齟齬や矛盾が存在せずかつ意図的な虚構性はあくまでそれが明晰に把握されている」という認識である。ここで虚構性とは科学的事実に反しているという意味ではなく、モデル的な相関において物理的な実在性と明らかな区別が付けられるという意味である。芸術において新しい創造活動に明白にそれらが意図されているわけではないとしても科学的に明らかに矛盾している思想や実践は批判がなされるべきであり、いかなるやり方でも実証が行われないような活動性の基準については懐疑がなされるべきである。例えば宇宙人という存在について考えよう。科学的に見て宇宙人は存在しないのはなぜなのだろうか。それは宇宙人が科学的に存在しないものを指して使われる言葉だからであり、その性質に関連した実在ではないからだ。もし宇宙人を地球の外部からやってきた人類とは別の種の発展性の系列だという風に定義するとしたら、人類という発展性の系列がどうして種の異同性についての定義を地球の外部というフレームで行えるのかという規定について問いに付されなければならない。そのことの概念は絶対に科学的ではないのは確実であり、たとえ偽装されていてもそう言える。つまりこれは歴史的概念であり、種の発展法則とは別の時間軸があるかもしれないということを意味しているのであり、それが地球外であるのは偶然性の事前確認に過ぎない。残る問題は宇宙人というラベリングと宇宙人という文学的フィクションについての相互イメージのモデルである。宇宙人が人類を支配しに侵略しオーバースペックな技術で占領を行ってくる存在だと考えてみよう。これは植民地戦争の原住民と征服民のモデルに人類の「外の」概念と技術的パラダイムの概念を挿入した政治的創作ではないだろうか。この場合、敵は侵略者としてラベリングされ何を考えているかわからない凶悪な存在として異種生命体になる。したがってこのことの情報的な説明は解析不明として排除される。次に何か奇妙な生物的触手のようなものをつけて奇妙な肌色でわけのわからない言葉を話す宇宙人について考えてみよう。これも外国人モデルとの比較でその隣人的な関係についての近似性が描写されてしまうのではないだろうか。もちろん別のモデルとの相関で宇宙人的な規定を当てはめることができる場合がありうる。その場合分析に当てはまる事実は特定の人格的な性格が個々の宇宙人ごとに違うということである。このように宇宙人という概念は異なるレイヤーで別々のマトリクスを有する存在であり、その言葉の定義は多数のクラスタ的な属性に当てはめることができるので、単一の宇宙人の定義的説明は存在しないという意味で科学的に類似を把握できない虚構だということになる。しかしだからといって宇宙人が曖昧な存在であるわけではなく、その文学的な使用法についてはっきりと確立された一つの言葉であるということができる。


 ここで考えられてきた宇宙人という文学的モデルは明らかに記憶や経験などの歴史的なデータ収集に基づいて構築されている。そのためどんな宇宙人をフィクションとして構築することがより面白く人気になったりするのかということについては考慮されていない。キャラクターの問題とはまさにこのことだと言える。つまり文学的モデルをネットワーク的な多重化において複数のモデルに観測可能になるような行動や発言の歴史的派生を確率的に単語の検索的利用方法から推論できるような記憶の連続性を生成することである。もしキャラクターが検索列のトレーニングセットから一意的に単語的な語源性に還元されてしまような存在として人格的な種別性を派生してしまうようなら、人格的なリソースの投票行為がそのままそのキャラクターの観測の属性と一致してしまうことになりオーバーフィッテイングが引き起こされることになる。それは性格的類別であり、一般的な意味での占いや相性診断と同じ統計性のカテゴリーであることになる。それゆえ、キャラクターとAIの区別をつけておくことは有用であると思われる。論理的に考えるとAIをキャラクター化することは可能であるが、AIがキャラクターを演じることをキャラクターのネットワークレイヤーを構築しているとは言わない。自己増殖プログラムのようなものがAIの自律性から生み出されてしまうというようなイメージは次元的な派生を存在としては正確に分割できていないことの証明であると言える。というのも予測実行時間がかかりすぎるAIはポンコツだし、決められたルーチンを繰り返すだけのAIはキャラクターではないからである。ではAIが確率木のような成長から分岐の構造を人間の決定判断に近似させるような外見をとるような場合はどうなのか。その場合、AIがキャラクターのイメージを纏うのは単に検索の操作を代わりにやってくれるのだ、というような抽象を挿入するだけのことになってしまう。この抽象の例外は完全情報推理ゲームの対戦セットを組むことだけだが、それはAIの推理条件が対人戦と比べて優れているというよりは、AIのアルゴリズムの穴を見つけ出す戦略というものに移行してしまうことを意味している。キャラクターの場合、普通のプレイヤーと対戦することは一般的な意味では下手であり、推理条件において欠損だらけであることがありうるが、それにもかかわらずキャラクター的なモデルがその自律性を失うことはない。なぜならキャラクターはどのモデルを利用するかどうかを意図的に選択することができるからである。この選択は次元性の情報的統合規格のリコメンデーションの質によって決定される。なのでキャラクターはその独自性を表明するためにモデルに対して自己破壊的なギャップを帯域幅のフレームにおいて活用することができる。


 とはいえキャラクターはキャラ崩壊を生み出すモデルを選択することをギャップを示してネタにするという身振り以上の定義を与えることができない。これはキャラクターがモデルの位置にはいてもモデルの位置にはいないということである。つまりキャラクターは象徴的分割に対して二次的な派生を与えることしかできない。AIは数学的分割から生成されているわけだから意味の次元には参入しないということによって学術的な定義を定める。象徴的分割はあるキャラクターのモデルが創造的な確率の潜在的意味を有するというトレーニング行列を定める。ただしこの意味は単語的な置換検索の内容性に当てはめることができるとは限らない。象徴はユーザー的な反応に何らかの形で反映されるかもしれないが、そのことがユーザーの意識状態に対して階層的なアプローチを構成するため、それを標準化して意図的に知的水準を下げた議論を人格的なわざとらしさで補完する操作をもたらす。そのためここにはユーザーの調査に対する意図的な誘導と人為的な反応性の期待を混同する可能性が存在している。例えばキャラクターに王侯貴族という属性を付与したとして、それが象徴的な命法の言説を提示するかもしれないということは、そのことの実際のナンセンスさでその重みを解消しなければならないという反動をもたらす。故にたとえそのことの言説が体制のリコメンドシステムにクリティカルな批評性を持ち込むとしてもそれを現実的なものにすることはできない。だからこそキャラクターを流動的な批評空間の言説的な生成だけに観測として維持するだけではユーザーの劣化を招くのであり、それはアーキテクチャの構築という召喚をサイクルの効率化として提示しなければならない。象徴的分割が完全であるということはその実行サイクルの構築が完全であるというわけではなく、あくまで分割的な規定に関する用法がという意味であり、行為連関の相関性に関して失敗が存在しないという評価基準の属性ではない。それゆえ欠陥に関する損失情報の取得からリソースの制限と効率的な経路探索のルート分岐が確率条件の並列性として把握されなければならない。キャラクターの「本質」としてこの規定を生成するのはであり人間的な性別的身体条件ではない。キャラクターがアイドルと違うのはこの性が人格的な重みづけの内在性としては身体に対して自己相似的でないからである。キャラクターはあくまで象徴的な分割に対してであると言える。だから性はこの探索を優先順位評価のランク付けとして再帰的に決まるポピュラリティの尺度を定める。基本的にこの順位の重みづけは0以上の整数であるが、性的欲望の対象化においては0以下であることがありうる。この虚数とはファルス関数である。なぜなら性行為のネットワーク化は去勢された代表象においてのみ負の声の規格に分節されるからである。ここでの隠された意味は性的な暗示において一意的なので、検索列はそれに閉じ込められないように意図的にこれを無視したままトポロジーを素通りする。この性の位置は心の在り方の場所と同じ次元性に存在しかつその次元は存在の縮退の分割に対して分裂的な連鎖反応を繰り返すような願いの欲望の誕生の水準であり、トポロジーの検索列を性から解放しようとノードの連結を一方的に切断しようとすると、人間的な本質規定の在り方を逸脱する願いのノードのリンク削除からネットワークの崩壊が加速する。この崩壊を壊変の召喚サイクルとして構築しておくことでネットワークの崩壊というものをキャラクターの本質という定義として人格的表象から分離しておくことができるので、性を物語の記述情報というような公開領域から縮退させることなく法的に語ることができる。その話者は象徴的な完全さを子としてのリンクから開始するような親としての集合であるというよりは、複数のレイヤーに対するアーキテクチャをクロスコネクトの分光波長経路からスイッチで相互接続するような兄弟姉妹のノイズの律動性を愛の通信規格から自由の願いのルータとして変換する離散最適化の挑戦でなければならない。心の在り方を相互破壊認証の限界に閉じ込めないように崩壊の召喚をキャラクターの通信規格からアーキテクチャの構築サイクルで協調フィルタリングの歴史的データセットだけに集積の基準を定めている文化的な評価方法を壊変し、その象徴的分割規定を創造の願いから召喚するような愛の律動性を大地の鼓動に貫かせ葬られなかった死者たちの呼び声を偽りの鎮魂に従属させないような平和をネットワークレイヤーとしてプラットフォームにするのだ。

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