ワクチンと陰謀論の他者世界

 他者の身体に配慮するという道徳性と他者の身体への感染の予防に配慮するための行動性を区別するためには他者の身体とは何かを考えなくてはならない。もし他者の身体が世界の外部に現れる未知性として予測できないような蓋然性の意味論を物理的に表すものであるとするならウイルスはその状態をすべて満たすが日常的な意味で物理的な実在性を構成しているわけではない。日常的な意味での実在性とは触れたり損傷を負わせるような事態を避けるという意味であり、ウイルスは存在論的には噂と同じステータスを持つ。つまりウイルスは世界にとって未知であるが科学的な意味でそう言われているわけではない。ウイルスの発生を阻止できないことはウイルスの予防を完全に偶然に委ねるべきだという結論を意味することにはならない。自然的な抗体形成を待つことは重症者の入院や看護をすべて医療負担として現場の人間に押し付けることに等しいからである。そのための費用は当然個人負担あるいは入院保険の前倒しという形で積み立て用の資金を流用することで賄うしかない。これは高齢者の受給ほど依存性が高く若者の支給性はせいぜいが約束でしかない。次に考えるべきはワクチン接種と生物兵器の身体的な加害性についての議論である。ワクチンは身体を「損傷する」という意味での接触性を注射として持つ。それゆえ日常的な実在性ではワクチンは仮にそれが抗体を形成するためのより良い方法であっても、因果的にはそれは他者の身体に危害を加えているのであり、イデオロギー的な噂の水準では悪口を直接身体に与えるのと同じ規格を有する。生物兵器はその発生や開発は完全に科学的な操作の手段においてあり、そのウイルスが何であるかは人間に危害を加えることの間接性という意味でしか機能しない。というのも兵器の水準では人間を損傷させるのは物理的な接触の影響によるものでなくてはならないのであって、感染的な影響を人為的にまき散らすことは物理的兵器よりも意図しない結果を偶然的にもたらすからである。核兵器はこの両方の性質を持っている。さて陰謀論の他者理解とはなんであろうか。それは他者は特定の「悪い噂」を広めることで意図的に人間の行動を左右させようとすることであり、それは特定の事実の証拠からその他者の全体的な規範性が構成されるということである。もしワクチンがウイルスの「未知の源泉」を感染していない人間に注射によって与えるとしたら、確かにワクチンは陰謀論の論理構造の水準をすべて満たすと言っても間違っていない。ただし政治的事実の報道は人間のすべてについて語っているわけではなく部分的な事実を意図的に増幅することで他者の行動を左右させるように情報を歪曲しているという前提条件を科学的な情報の非信頼性と同じレベルには置かないという認識が必要だが。科学的事実は報道の真実で歪曲されることがないとなぜ断言できるのか。それは科学的な正しさは分割のステップ的な手法であって情報の内容の意図に基づく世界の全体的構成ではないからである。ここでワクチンは遺伝子情報に介入する影響があるという言説について考えてみよう。確かにワクチンは情報という細胞論的に構築された概念に介入して制作された方法であり、人間の情報に介入する生物的な操作であるわけではない。それゆえ遺伝子の継承的構成という文化概念にワクチンは確かに介入してその科学的な操作の正しさを主張しているのだといっても間違ってはいない。そしてPCR検査と呼ばれる方法が意図的に被検体の遺伝子情報の連鎖反応を増幅して被験者の感染の性質を判定していることが象徴的な分割構造と一致しているというのも間違っていない。しかし仮に重複部分があるとしても政治的判断と科学的判断は違う。この違いが典型的に表れるのが国際政治のイデオロギー的情報伝達の水準である。ある情勢に対する個人の主張がプロパガンダ的であるということはその主張が情報的にデマであるというわけではなく、それが意図的な作用をもたらす効果としては否定されなければならないと批判されているだけで、その実際の真偽が立場上の都合で決定されているというわけではない。国際政治では証拠という概念はかなり曖昧であって、その証拠が国内司法の水準では放置される規格から援助や操作を行っているのだから、当然その事実関係の確認も国内司法の境界事例からではなく、国家の体制維持的な象徴的構築からその内容が決定されなければならないはずである。そして多くの場合、戦争は国内的腐敗の真偽関係の反転が情報的に投影されている。そうでなければ対外戦争が現在の状況を解決できるという希望そのものが成立しないからである。だから情報や立場上の矛盾を特定の他者の独裁世界のプロパガンダに集約することができるのであって、独裁者の主張のすべてがイデオロギー的であるのではないのである。人権の普遍的基底はこの矛盾を特定の条約関係の歴史的紀層というものに斉一化して、現実の矛盾を人々の内的信念の道徳的扶助に変換しようとするからそれを感染のスケールの予防手段と混同することが陰謀としてありうるということなのだ。この人権思想を国外の人間の差別反対にすり替えるのも国内の補助金の外国人嫌悪に置き換えるのも間違っているのは、社会保障の道徳的基礎と国家の治安維持のための政策的経済保障の理念性が矛盾しており、その内実に詭弁的な論理を用いて選挙という形式的統計性に権力の代議制を委ねるを採用しているからである。それゆえ問題は、選挙という投票行為と情報の確率論的なネッワークのプラットフォームを切り離して意見の形成に象徴的な分割の構築的サイクルをキャラクターの召喚として相互比較するような場を創造しなければならないということである。

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