第39話 謀臣襲来

 鹿児島の空は薄曇りで、先行きの不透明な徳川・島津の交渉の先行きを表しているようにも思えた。

「まさか、この歳で薩摩まで来ることになるとはな……」

 案内された座敷で空を見上げながら、本多佐渡は独りごちた。


   ◆


 水面下での島津との講和交渉は一向に進展しなかった。


 とにかく何をやり取りするにも、薩摩までの距離が遠い。

 だがそれ以上に島津の応対がのらりくらりしていて、はっきりしたことを全然言わない。丁寧ではあるのだが、ああ言えばこう言うという感じで謝罪の言葉は一つもない。

 その他の方面のことについては仕置きも済み、既に協力した大名への新領地の配分なども進められていた。石田治部と手を組んでいた上杉も降参し、後の処分を首を洗って待っている。あとは島津だけなのだ。


 さすがに我慢強い徳川内府も慇懃無礼な島津の態度に切れかけ、

「せめてあやつら、『悪かった』と一言ぐらい誠意の一つも見せられんのか……!」

 と言い出す始末。

 島津に特に思い入れもない佐渡だが、ヤツらがあまりに強情だと(殿内府の機嫌がどんどん悪くなって、どうあっても処分が重くなるのでは……)と心配になってくる。

 

 島津がどうなろうと自業自得だが。

 徳川の、そして佐渡の夢見た徳川の世はまだ道半ばだ。新しい世はきちんとルールにのっとって動いて行かねばならない。権力者の機嫌で量刑が左右されるようではいけない。

 その点で内府の我慢が限界に達して爆発する前に、佐渡としては丸く収めておきたいところなのだ。


 子供の使いメッセンジャーを何度やり取りしても無駄だ。島津の有力者と直接自分が本音で話し、交渉を詰めるしかない。

 既によい歳の本多佐渡が薩摩まで自分でやってきたのは、そういう理由だった。


   ◆


 本多は薩摩に行く途中、島津と対峙する最前線にも寄ってみた。

 薩摩を包囲している加藤に黒田、鍋島に立花と言えば、豊国政権でも指折りの武闘派雄藩揃いだが……。


 佐渡は、足が悪いのにわざわざ案内を買って出てくれた黒田を振り返った。

「如水殿」

「うむ。何か」

「すでに小競り合いでもあったのか? 兵がやたらと怯えているように見えるのだが」

「まだ一戦もない。だが西海の魔王・島津義歌が最前線に出てきているとあっては、平静でいられる兵など……」

「こちらの事情が分からないのだが、それほどに恐ろしいのか? 例えば……弾正公織田さんみたいに?」

「果断な思い切りや的確な戦略、過酷な処分などは近いかも知れないな。まあ、それだけなら他に居なくもない。宇喜多の先代や、松永の弾正殿も相当なものだったよ」

「では、なぜ?」

「率いている将兵の個々の強さが一つ」

 顎をしゃくる黒田に従って馬防柵のほうを見ると、小川を挟んで向かい合った島津の警戒部隊がぞろぞろと出てきた。

 上半身裸で川べりに並び、いっせいに木刀を振り上げる。開戦までの睨み合いでよくある、示威行動だろう。


『ちぇすとーっ!』

『キィエエエエーッ!』


 指揮官の号令に合わせて、百人ほどもいる兵が一斉に野太い木刀を振り始める。確かに精悍ぶりの分かるデモンストレーションだが、別に剣術だけで戦いが決まるわけでもな……。


「如水殿……離れたここまで、刃風が届くのだが……」

「凄いだろう? どんな膂力りょりょくで振ってるんだって話だな」

「精兵というより、もう人外だな……」

「そんな兵が一万も集まっている。島津のお国事情は外になかなか漏れて来ないが、どうも子弟教育や兵の鍛錬を標準化しているらしい」

「武将ごとに強さのバラつきが無いわけか」

「そしてそれを率いる島津義歌という武将。縦横無尽な采配ぶりも凄いのだが……」

 黒田は声を潜めて、他の者に聞こえないように囁いた。


「博多祇園山笠を特等席で見たいがために、西海道を北の端まで手に入れたかったらしい」

「…………は?」


 せっかく貴重らしい情報を教えてもらったが、本多はそもそも意味が分からない。

「格式ある社の祭礼を主宰したくて、そこまで領地にしたかったということか?」

「というより、その山笠を担ぐの凛々しい締め込み姿ふんどし一丁を鑑賞したかったらしい……というのがもっぱらの噂でな」

「…………冗談だろう?」

「分からん。薩摩ではよくある冗談の一つかもしれん。だが」

 黒田はまだまだ続く島津兵の素振りとソレに怯える討伐軍の様子をチラリと見ると、後方へと踵を返した。

「それをしてもおかしくない変人と国外の者にも思われていて、そして『ハイ分かりました』と疑問に思わずに従う理外のバカが一万以上……何をやらかすか分からない過激な天才が、西海道一の武力を持っている。怖いだろう?」

「確かにそれは、ナントカに刃物というヤツだが……」

「そして西海道の人間はほんの少し前に、実際に豊後の少しを除いて領有しかけた島津を見ているんだ。恐怖は理屈じゃない」

 言葉もない本多佐渡に、去り行く黒田は肩越しに手を振った。

「心して行けよ? 国境から向こうは常識の通じない土地だぞ」


   ◆


(あの様子では、西海道の兵に島津を攻めろと言っても役に立たぬかもしれないな)

 出された茶にも手を付けず一人考える佐渡は、色々戦略の組み立て直しが必要だと計算していた。

(他から島津を圧倒できる兵を集める? 五万は必要だな。だがすでに一回戦乱が収まり、替わりに国替えの混乱が始まっている。いまからもう一度、戦の準備……関ヶ原で働きが少なかった分だけ、徳川譜代にも相応の負担を求める声が上がるだろうな)

 これは大公の西海征伐に匹敵する大ごとになる。そして今、徳川体制は始動したばかり。盤石とはいえないこの時期に、諸大名が嫌になるような施策はやりたくない。


 おそらくあの兵の状態を見て、島津のほうもそういう計算をしているだろう。

(島津め……討伐軍がハッタリだと見極めて、ぬるい態度で終始しているに違いない)

 どうにもよろしくない情勢に、佐渡が内心ため息をついていると。

「どーもどーも、お待たせしてしまいまして」 

 島津の重臣らしい、とぼけた顔の老人が現れた。


 佐渡が無言で会釈をすると、老臣は座敷に座る前に振り返って空を見た。

「いやいやいや、今日は実にお日柄も良く! 徳川様と腹を割って話し合うにふさわしい、実にいい天気ですな」


 ……“お日柄も良く”?


 どう見ても曇っている空を、佐渡ももう一度眺めると。


 ドッドォオオオンンッ!


 さらになにやら、遠くから派手な爆発音が鳴り響く。

 思わず立ち上がって縁側まで出てみると、城の高い塀越しに火山が爆発しているのが見えた。けっこう近い。

(あれは大丈夫なのか?)

 やっとの思いで薩摩まで来て、島津と交渉を始めようとしたら……いきなり目の前で自然災害が発生した。この交渉、やっぱり呪われているとしか思えない。


 避難したほうが、などと佐渡が考えていると、横の老人は嬉しそうに目を細めた。

「今日も桜島はご機嫌ですなあ。吉兆、吉兆、これは良い話し合いになりそうですわ」


 ……なるほど。

 本多佐渡は黒田の忠告を理解した。

(確かに、ここは常識外の土地だ……)




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物語の豆知識:

 実際の武力制圧は早々にやらない方針になったみたいで、一か月ほどで討伐軍は解散しています。

 締め込みと褌は細かく言えば別物だそうです。褌は「さらし」や「まわし」、「越中」も含めたジャンルですかね。さらしに近いけど、それとも狭義には違う、て書いてある物もありますね。

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