第36話 責任感のありどころ

 座敷の雰囲気は、好意的に見ても針の筵はりのむしろだった。当主義歌の真向かいに一人座らさせられている弘歌には座布団もない。


 正面の畳の上には当主、義歌よしか

 左側には続く二人の姉、歳歌としか久歌ひさか

 右側には筆頭家老の山田有信ありのぶとその息子の有栄ありなが

 そして皆に囲まれる中央に、弘歌ひろか


 義歌は腕組みしたままムッツリと黙り込み、弘歌を𠮟りつけるのは主に有信の仕事になっている。次姉と三姉もあまりしゃべらないが、その顔を見れば相当に怒っているのは見て取れた。


(あうう……何も言えぬのじゃ……)

 今日の弘歌はギャンギャン喚くじいじ有信に、一言も言い返すことができないでいた。

 それぐらいに激しくて、正論で、臓腑ぞうふえぐるほどに鋭い言葉が次々に投げつけられる。

 今の有信は弘歌を“手のかかるお姫様”ではなく、“独断で勝手なことをして大損害を出した武将”として扱っている。子供に対する怒り方ではないし、またこれだけのことをやらかした弘歌を子供に扱ってくれるわけもなかった。

 なにしろ、今の弘歌は。


 当主の判断に反して勝手に出兵し、


 島津の名でいらない争いに首を突っ込み、


 多数の重臣を含む千人以上の兵を無駄死にさせ、


 政権の敵の汚名を島津に着せてしまった……敗将だ。


 実妹だからこそ今吊し上げに遭っているわけで、これがただの一門衆しんせきだったら弁明の機会さえ与えられずに切腹……だったかもしれない。 

 そう思うと弘歌はとても、いつもの調子で“子供のしたこと”などとは言えなかった。


 歳歌や久歌も一切かばってくれない。


 いつもならこういう時になだめる方に廻ってくれる長寿院や新納は……すでにこの世にいない。


(お豊だけでもいてくれたら、心強かったのじゃ……)

 豊歌が後ろにいてくれるだけで、なんとなく大樹に寄りかかっているような安心感があった。たとえ豊歌も叱る側だったとしても、しがみ付く拠り所があるのは違う。


 だけど、そんな豊歌もまた……もういないのだ。


 下を向いてじいじのお小言を聞いていると、失った者たちの顔が次々に目蓋に浮かんでくる。思い出される顔は皆なぜか笑顔で……それが余計に、弘歌の胸に突き刺さった。


   ◆


 半刻一時間あまりも怒鳴っていた山田有信が、さすがに疲れて声のトーンを落とした。

「……さて。この始末、どうカタを付けましょうか」


 弘歌の処分はともかく、島津家の苦難はこれからだ。

 中央の覇権を握った徳川内府が、敵に回った島津を見逃してくれるとは誰も考えていない。

 追いかけて来れないほどの遠隔地と言っても、狭い日ノ本の一部には違いない。現に西海道では徳川方についた豊後の黒田家や肥後の加藤家が大々的に軍事行動を起こしている。決戦は関ケ原のあの一日で終わったと言っても、全国に波及した両派のぶつかり合いはいまだに尾を引いていた。

 そしてたぶん、最大にして最後まで残る課題が……島津の処分ということになるだろう。


 苦虫をかみつぶしたような顔の歳歌が、弘歌を睨み据えて舌打ちする。

「このさい、このアホ弘歌を徳川のジジイに側室で差し出すか?」

「え? それは内府殿の方が罰ゲームなのでは……いえっ、なんでもありません!」

 思わず余計な一言を言ってしまった有栄が、歳歌の火の点きそうな視線を受けて慌てて黙る。代わりに久歌がボソッと呟いた。

「歳姉。その手は無理」

「なんでだよ」

「ロリコンの豊国大公と逆で、内府は熟女趣味」


 …………。


 黙り込んだ一同の視線がなんとなく自分に集まったのを感じて、義歌が視線を上げた。

「……掃除が面倒だ。手討ちにされたいヤツは庭に出ろ」

 歳歌の視線もぬるま湯に感じるような義歌の一瞥いちべつを受けて、姉妹どころか有信までが硬直した顔で下を向いた。


 またしばらく黙っていた義歌が顔を上げた。

「歳歌。周辺の情勢はどうだ?」

「弘歌と一緒に逃げ帰って来た立花が、今順調に敗退中。一応弘歌が世話になった手前、援軍を出したけど……最後に来た情報が『柳川城を徳川方に囲まれた』だから、到着自体が間に合うかどうか」

「西海道で徳川に下っていないのが我らだけになるという事か。有信、こちらの状態は?」

「ははっ。現在家老に加えて地頭以上の者を城に呼んで、この評定査問会の結果が出るのを待たせております。集まった者たちの意見は四分五裂てんでバラバラといったありさまで……」

「そうだろうな」


 同盟を組めるような仲間はいない。

 戦おうにも家内は動揺してまとまらない。

 そして何をどうしようと、徳川が天下を握る未来は変わらない。つまり、島津が睨まれ続ける状況はいつまでも続く。

 ……八方ふさがりだ。

 

 もう一回黙り込んだ義歌が目を閉じたまま天井を見上げ……顔を正面に戻すと、今日初めてまともに弘歌を見た。

「弘歌」

「……あい」

「何か、申し開きはあるか」


 言いたいことがあるかと言われれば、もちろん弘歌にもある。

 あの情勢の中で、薩摩にこもっていれば政変をやり過ごせるなんて甘い考えだし。

 家を上げて対応していれば、もっと両陣営から一目置かれるだけの軍勢を送り込めたはずだし。

 徳川に敵対することになったのも、元はと言えば伏見城の連中が態度が悪かったからだし。

 反徳川派のバカどもが一致団結して戦っていれば絶対に勝てたし。


 でもそんな反論は、全ての結果が出た今では言い訳にしかならない。


 一寸先の前も見えない中、わずかな判断材料で暗礁だらけの海を漕ぎ渡る。それがこの戦国乱世の世に領主に求められることなのだ。

 その賭けに負けた。弘歌にも、それは身に染みてわかった。


 だから今さら言っても仕方ない泣き言は、幼いながらも口にできなかった。あまりにを心に負ってしまった弘歌は、もうそこまで子供に成れない。


「……姉ちゃ……」


 長姉に言おうとした言葉が途中で停まり、不意に嗚咽が漏れる。


「うっ……ふえ……」

 

 自分でも気づかないうちに、弘歌の目からぼろぼろ大粒の涙がこぼれ落ちていた。頬をつたう流れはとめどなくあふれ、震える膝を、固く握りしめた拳を、黒ずんだ木の床を濡らしていく。


「姉ちゃん……ごめんなさい……」


 どんな理由をあげようが、何を言っても責任逃れの釈明にしか聞こえない。今弘歌が見せられる誠意は、ただ謝ることだけだった。


「ごめんなさい……お豊豊歌が……盛醇長寿院も……うわぁぁぁ!」


 静まり返ったその場には、しばらく弘歌のすすり泣く音だけが響き……ややあって、深くため息をついた義歌が弘歌の頭を優しくポンポンと叩いた。


   ◆


 島津家に仕える指揮官以上の者たちが集められた内城の大広間は、朝からずっと喧々諤々けんけんがくがくの大論争が続いていた。

 薩摩、大隅、日向の各地から集まった島津の幹部たちは、強硬派から消極派まで様々だ。あくまで弘歌を支持する崇拝者ロリコンもいれば、義歌を守る為に弘歌に責任を取らせるべきだという合理主義者年増好みもいる。

 昼をまわったこの時間になっても、彼らの言い争いは全くまとまらないまま……今奥で行われている当主の評定がどうなるかを、ずっと待ちわびていた。

 そこへ。


 ダンッ、ダンッ、ダンッ。

 廊下に近いところに座っていた者が、盛大な足音が近づいて来るのに気が付いた。彼が周りに声をかける暇もなく、後ろの板戸が派手な音を立てて勢いよく開かれる。

 目を丸くした一同が頭を下げるのも忘れて注目する中、いつもに似合わず厳しい顔で登場した山田有信がぐるっと見渡し……腹の底から響く声で叫んだ。

「議論の時間は終わりじゃ!」

「山田様……」

ご当主義歌様が腹を決められた! 島津は徳川と和睦を結ぶ!」

 筆頭家老の宣言に、おぉ……と、満座の侍たちから声にならない声が漏れる。

 そんな彼らに、有信はさらに言葉を続けた。

「ただし弘姫様も他の誰も、戦犯として突き出したりはせぬ! 徳川の勝利は認める、だが島津の負けは認めぬ。あくまで対等に講和じゃ!」

  

 日ノ本じゅうが敵だらけのこの情勢で、あまりに都合のいい結論なのは分かっている。

 だが、損得だけでそろばんをはじくのは島津の戦ではない。

 武辺者たちが納得できる戦い、納得できる戦果、納得できる勝ち負けが無ければ……薩摩隼人は敵の前に膝を突かないのだ。


「地頭は直ちに郷へ帰り、兵児へこどもを根こそぎ動員せよ! 家老は今から方針を話し合うのでご当主様の前へ!」

 それぞれの姿勢で固まったまま見つめてくる男たちを睨みつけ、有信は最後の一言を言い放った。


「戦わぬための戦を始めるぞ。皆の者、走れ!」


 一拍遅れて。

「…………ぉぉおおおおっ!」

 大広間のみならず、城が震えるほどの雄叫びが響き渡った。




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物語の豆知識:

 すみません。島津の拠点ってずっと鹿児島付近だと思っていたんですが、あらためて調べたらこの頃は秀吉の九州征伐に合わせて霧島の内城に移転してたんですね。しかも鶴丸城は江戸時代だし。

 九州征伐で義久は隠居して別の城に移ってたらしいんですが、この話ではそのまま当主なので引っ越しもしてません。

 

 

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