第35話 最後の一戦
「アレは伊東の兵だな」
松尾与五郎の見立てに、郎党たちがざわついた。
「伊東? なんで
「それはもちろん、ヤツらは徳川方に付いたということだろう」
他家の領地に攻めこむという事は、それ以外にあり得ない。
「しかし、伊東は……」
伊東家の領地である飫肥は、大隅国と日向国の国境沿い日向側一帯になる。島津領である薩摩・大隅の斜め北、佐土原の斜め南の海沿い付近だ。
つまり、軍事大国・島津にぐるっと周りを囲まれた陸の孤島になっている。
「ただでさえ他家から孤立しているのに、敢えて当家に喧嘩を吹っかけるなんてバカですか」
「どう考えても徳川から助けが入る前に潰されるだろう、
ざわつく部下たちを徳次郎が叱った。
「今はヤツらの思惑なんかどうでもいい。問題はそこじゃない」
「うむ。その通りだ」
与五郎も同意した。
「問題は……
日向から薩摩を目指すのには、この付近はどうしても通らないとならない。そこを敵が占拠しているとなると……。
「維新様が危ない!」
「どうします、父上!?」
「どうするも何もあるか。何のために我らがいるのだ!」
彼ら須木衆は国境警備の為に配置されている。ならば、邪魔な伊東軍を撃退するのは彼らの仕事だ。
「徳次郎、戻って郷の者を全員招集して来い!」
「はい!」
◆
いくら畿内を遠く離れたとはいえ、どこから敵が出て来るか分からない。弘歌たち幼児組を囲むように、島津勢一行は警戒しながら進んでいた。
「
肩車している弘歌に聞かれた中馬は上ずった声で即答する。
「おいどんは全然大丈夫ったい!」
「本当なのじゃ?」
「本当たい! もし殿様が走れ言うたら、今から鹿児島まで全速で一気駆けできもす!」
「いや、別に走らんでもいいのじゃが」
弘歌は後ろの木脇を振り返った。
「そっちも全然交代しておらぬが、久作は大丈夫なのじゃ?」
幼女二人を両肩に乗せた木脇も夢見るような笑顔で答えた。
「何も問題ありもはん! むしろご褒美たい!」
「ご褒美?」
周囲の羨まし気な視線は歩かないで済む幼女たちではなく、その足代わりを務める大男二人に向けられている。中には(おいしいところを……!)とか(あの野郎、夜道に気を付けろよ……)とか恨みがましい呟きも漏れているが、それを受けた中馬と木脇はむしろ鼻高々だ。
「誰かに代わってもらっても良いのじゃぞ?」
「とんでもなか!?」
「これは儂の特権ですたい!」
「なんなのじゃ?」
そんな
道の向こうから、武装した一団が現れた。
◆
「む、あれは!?」
最初に前方の不審者を発見したのは、先頭を進んで警戒をしていた伊勢平左衛門だった。
「警戒せよ! 前方に二百ほどの集団、抜刀している!」
「敵襲か!」
今までどことなくのんびりしていた空気が、伊勢の一言で瞬時に引き締まった。
彼らは気を抜いているように見えても、ただだらけていたわけではない。関ケ原からこちら、ずっと命の危険と隣合わせだったのだ。
弘歌の斜め前にいた山田が前へと走った。
「伊勢殿、どこの兵か分かるか!?」
「特に旗指物はなし。場所柄、秋月、高橋、伊東のどこでもおかしくないですが……」
伊勢の言葉が途中から濁る。
秋月家と高橋家は畿内では島津と同じく官僚派についていて、決戦当日は大垣城に立て籠もっていたはず。伊東家は大坂にいた当主の病状が重くて身動きが取れず、中立を申し立てていた。
「とはいえ、関ケ原の本戦でアレでしたからね」
優勢だった決戦の場で次々寝返りが出たのだ。あの徳川大勝の流れを見たら、遅ればせながら徳川方に合流してもおかしくない。
どこの兵に襲われてもおかしくない。それが今の状況だった。
伊勢に追いついた山田も
前方から駆けてくる男たちは確かに武装しており、高揚した様子で刀や槍を振り回しながら走ってくる。
なんだか、妙に楽しそう。
「……やけに陽気な連中だな」
そこに違和感を覚えて、さらによくよく確認したら……。
「あれ? 先頭を走ってくるのは村尾殿ではないか?」
◆
前からやって来たのは敵ではなく、弘歌を迎えに来た本国の島津兵たちだった。彼らの合流で一気に人数が倍増し、弘歌とともに来た帰還兵たちの意気も上がる。
一番歳のはずなのに先頭切って走って来た村尾与五郎が、嬉しさで顔をくしゃくしゃにしながら弘歌の前にひざまずいた。
「維新様! よくぞご無事で……!」
「与五郎も元気そうで何よりなのじゃ!」
「畿内では大変な戦だったようで……維新様のご無事な顔を見れて、この与五郎も嬉しゅうございます」
「うむ、心配をかけたのじゃ! ……ところで」
弘歌は中馬の頭の上から、泣き笑いしている須木地頭の手元を指した。
「おまえたち、なんで返り血を浴びておるんじゃ?」
村尾たちはどう見ても、どこかで一戦交えて来た様子である。
安全な本国から迎えに来たはずの村尾たちの方が、逃げて来た弘歌たちよりもなぜか戦場帰りっぽい。
「おお、そうでした。実はこの先で、伊東の兵が火事場泥棒をしておりまして」
「なんと!?」
「ヤツら、領地を増やす好機と見て綾や本庄に攻め込んでおりましてな。なので」
血刀下げたまま嬉しそうに弘歌のお褒めの言葉を待っている須木衆を、村尾は指し示した。
「維新様のお帰りの邪魔になってはいかんと、道々掃除をしながら参りました」
「なんか、逆に散らかしながら来たような……」
◆
一休みした弘歌たちは、須木衆も合わせて再び歩き始めた。
長い、長い旅路もあと少しだ。
「邪魔になる分だけ蹴散らかしてきたので、まだどこからか湧いているかもしれません」
村尾の言葉に、弘歌の供たちも沸き立つ。
「それならおいどんらも、最後にもうひと頑張りするたい」
「大将首が出てくるといいな!」
楽しそうな家臣たちの様子に、弘歌も満足そうにうんうん頷いた。
「平和な光景にホッとするのじゃ」
「平和……ですかね?」
何か引っかかった様子の山田だったが……頭を振り、すぐに思考を切り替えた。
「さて、これからですね」
「何がじゃ?」
「心ならずも徳川と敵対してしまいましたから。中央を押さえた内府がどう出て来るか、後始末をせねばなりません」
「そうか……内府が何か言ってくるかもしれぬのう」
「いや、確実に来ますね」
「いちいち気にするとは、細かいやつなのじゃ」
「むしろ、なんで何も咎めて来ないと思うのですか……」
「内府もあの歳じゃ。昨日の事とかもう覚えていないんと違うか?」
「それ、面と向かって言ったらダメですよ?」
「まあでも、どうせ内府もこっちまで来ないのじゃ。対面して詰られることもまずないのじゃ」
「内府とはないと思うんですが」
弘歌は、なんだか引っかかる言い方をする山田の顔を見た。
「なんじゃ? 他に何かあるのじゃ?」
「今から面会する
「…………気持ち良く忘れておったのじゃ……」
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物語の豆知識:
秋月・高橋のこの時の当主は兄弟で、二人とも関ケ原の本戦直後に寝返っています。伊東家は当主重病につき中立と言っていましたが東軍に内通し、こちらは本戦直後に九州本土で島津領を攻撃、高橋の宮崎城を攻略しました。
ところが上の通りに高橋もこの時点でじつは東軍に付いており、戦後に城は高橋に返却することになります。せっかく頑張ったのに全然実入りが無かった伊東家では、積極派だった家老の稲津さんの立場が悪くなりました。、これが後まで尾を引いて、稲津さんは反乱を起こして追討されることになります。
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