六戦目! リターン・トゥ・薩摩

第34話 あい・しゃる・りたーん

「陸だ!」

 船が接岸した途端、立錐の余地も無かった船内からワッと多数の者が飛び降りた。

「陸なのじゃ!」

 続いて弘歌もはしゃいで飛び降り、そのまま海中に没して砂浜の深い所に突き刺さった。


「こやつらと身の丈が違うのをすっかり忘れておったのじゃ」

「不注意で命の危険とか、気を付けてくださいよ!」

「なにぶん子供のする事なのじゃ」

「それで済まさないで下さい。日向まで帰ってきておきながら、ここで弘姫様が事故死なんて我らも泣くに泣けませんよ」

「うむ、これからはもっと注意するのじゃ。うっかりで有栄山田を切腹させるところじゃった」

「本当に、そういう責任の取らされ方は勘弁して下さい……」


 弘歌たちが着岸したのは、日向でも北寄りにある細島というところだった。

 本当は直接鹿児島を目指したかったのだけど、船が過積載で危なすぎて最寄りの浜に乗り上げたのだ。

 それでも同じ島の中。畿内で逃げ回っていた時と違い、もう薩摩までの距離は目と鼻の先と言ってもよい。

「とにかく西海道には着きました。ここからなら歩いて帰れます」

「うむ!」


 帰って来た。

 まだ地元とは呼べないけれど、ここは九国の地。とにもかくにも危地を脱して西海道まで帰ってきた。


 そう思うとここまで来て、やっと脱出に成功した実感が湧いてくる。

「…………帰って来たのじゃーっ!」

「うおおおっ!」

 弘歌はじめ一同は一斉に、あらん限りの声で歓喜の叫びをあげた。


   ◆


 日向国北部は、島津家から見て隣の国にあたる。

 同じ日向国の南部には豊歌が城代を務めていた佐土原があるし、西海動乱の前には一時島津家が領有していたこともある。地理には明るい。

 とはいえ今は他国で、黒田家始め徳川派の大名の追手も気にかかる。今のろくろく武器もない状態では心もとないのも確かだ。

「とりあえず佐土原島津領まで誰か走らせて、無事を知らせましょう」

「うむ。そうするのじゃ」

 

 山田の進言に弘歌が頷いた。焦りはしないが油断は禁物。迎えを寄越してもらおうということに決まった。

 ……のを見て、周りの兵たちは一斉に。

「分かりもうした! おいどんが行ってきもす」

「いやいや、俺が!」

「よーし、誰が一番に着くか競争たい!」

「ビリのヤツは鳥刺しおごりな! な!」

「だから指示を聞く前に走るなと、何度言ったら分かるのじゃ!? 使いは一人で良いのじゃ!」


   ◆


 家の外から響く足音に、須木郷の地頭を務める村尾与五郎は顔をしかめた。何人かがバタバタと走ってくるのだが、あちこちで物を蹴とばしては派手な騒音を立てている。そそっかしいこと甚だしい。

「落ち着きなく慌ておって、どこの誰だ? 躾のなってないガキだな、まったく」

 音はどんどん近づいてくる。このままでは屋敷の門前を通りそうだ。

「子供の躾など地頭の職責ではないが……放置もできんしな」

 郷の役所でもある地頭屋敷の前で騒ぐような馬鹿者は、きっちり𠮟りつけねば鹿児島のご当主様に顔向けできない。

 しかたなく与五郎は腰を上げ、雪駄をはいて外へ出る。

「どういう育て方をしているのだ。親の顔が見たいわ……」

 などとぶつぶつ言いながら与五郎が屋敷の前に出てみたら。

「あっ! 父上!」

 ……慌てふためいて走って来たのは、息子の徳次郎(十八歳、成人済み)と郎党家臣たちだった。


「…………」

 騒音の主を確認した与五郎はその場で鹿児島のほうに向かって座り込むと、衣服の前をはだけて脇差を抜いた。

ご当主義歌様、まっこと申し訳ございません! 論外の阿呆を育てたのは自分でございました!」

「父上!? 何事ですか!?」


   ◆


元服成人も済ませた男が何をやっている!? わしは恥ずかしくて恥ずかしくて……」

「父上のメンツはどうでも良いのです! 今はそれどころじゃありません!」

「親のメンツをどうでもいいとは何事だ!?」

「それどころじゃないと言ってるでしょうが!」

「なんだと貴様、そこになおれ!」

「だーかーらー! くだらん事にこだわってないで話を聞きなされ!」

 お互い刀を抜いて鍔迫つばぜり合いを始めた親子に、徳次郎に付いて来た郎党が焦りながら声をかけた。

「御屋形様、若様、本題のほうを早く!」


「維新様がお帰りになられた!?」

「佐土原の城で聞いて来たのです。相当に厳しい戦いだったらしく、おおかたの者は討ち死にしたとか。今こちらを目指して小勢で南下しつつあるそうです!」

「なんと!」

 須木は大隅国と日向国をつなぐ山間の要所であるため、鹿児島からは遠い。なので弘歌が同道する志願者を募集した件は、かなり遅れて聞いた。

「維新様の一大事に間に合わなかったのは痛恨であったが……」

 元々村尾の家は別の家に仕えていたが、そちらが没落したので島津家に仕えるようになった。特に弘歌には目をかけてもらっているので、必要な時に駆け付けられなかったことを悔やんで毎日無事を祈っていたのだが……。

「畿内へ行くのには間に合わなかったが、せめて今回は一番に駆け付けるぞ! 他の者に後れを取るわけには行かん!」

「はっ、承知しま……父上!?」

 徳次郎たちが頷きかけたら、なぜか父はいきなり疾走し始めた。

「父上、どこへ!?」

「言ったであろうが! 儂が一番乗りおまえもライバルじゃ!」

「あっ、ずるい!?」

 父に遅れまいと息子も走り出す。

 周りで話を聞いていた者たちも慌てて追いかける。

 須木の地頭とわずかな部下たちは取る物も取りあえず、急いで弘歌の元へ向かう。そこが隣国だとか、よその領地だとか、そもそも手ぶらで向かうには遠くね? とか、護衛に向かうんじゃないのかよとか、そういう理屈はどうでもいい。駆け付けると決まったら何をおいても駆けつける。後先考えずに走り出す。

 村尾父子も、須木衆も。

 彼らは心正しき薩摩隼人頭おかしい人たちであり、弘歌に心酔するロリコンな人々であった。


   ◆


「クソッ、父上はどこまで行った!?」

 徳次郎は既に背中も見えない与五郎を探し、必死に走っていた。迎えの為に行くはずなのに、この父子は何をやっているのか。

「まさか目つぶしに砂をかけられるとは……一生の不覚だ! 絶対に追いついて一番乗りしてやる!」

 本当に何をやっているのか。

 

 そんな悔しさをバネに徳次郎が全力疾走していると、その探し求めていた仇敵父親がなぜか木陰からそっと向こうを覗いていた。

「ここで会ったが百年目! 父上、ご覚悟!」

「何をするんじゃ!?」

「いきなり何をするはこっちのセリフだ!」

「訳の分からないことを……! ええい、緊急事態じゃ! 邪魔するな!」

「ご・ま・か・さ・れ・る・か!」

 再び刀を抜いてしのぎを削り始める村尾親子。

「若様! とりあえず御屋形様の不審な行動の理由を確認しましょう!」

 いい加減にしてくれ……と思いながら、同行した家臣たちは二人を引き剝がした。


   ◆


「で、いったい何なのですか」

 今更ながらおかしな行動をしていた与五郎に徳次郎が確認すると、父は道の先にある集落を指した。

「見てみろ」

「はい?」

 徳次郎たちがそっと顔を出して覗く。

 そこは佐土原の領地、綾の集落のはずだが……。


 徳次郎たちが見たそこにはなぜか、他家の軍勢が我が物顔で陣を張っていた。




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物語の豆知識:

 島津家の地頭という職位はその付近一帯の武士のまとめ役というか、隊長というか。当時は行政官も兼ねているでしょうから、市長みたいなものでしょうか。

 幕府に対する大名みたいなものかな……と思うと、代々世襲している場合もあれば当主の指示で転勤もあるみたいです。だから〇〇衆という在地武士の軍団はあくまで島津家の軍備の単位であって、各地頭の固有の家臣ではないみたい。


 ところで、島津家の起こりは鎌倉時代に薩摩へ封じられたことに始まります。

 だから地頭って、おそらく元は鎌倉幕府の職制にある地頭の事なんでしょうね。

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