第30話 大坂最後のオペレーション

「よくぞ……よくぞご無事で……!」

 泣いて喜ぶ老人に手を握られ、弘歌は恥ずかしそうに頭を掻いた。

「いやー、それほどでもないのじゃ」

「そうですね、大変だったのは我々で」

有栄ありなが、余計なことは言わぬのじゃ!」


 伊賀、大和と踏破した島津一行は、やはり大坂は危険だろうと迂回して堺へ進路を取った。畿内と特産品をやり取りするのに頼みにしていた御用商人の店があるからだ。

 密かに連絡を取った島津家御用商人・田辺屋では、すでに弘歌たちが逃げて来るのを見こして隠れ家を用意していた。

「島津様の大坂屋敷にも使いを走らせました。あちらでも留守居の平田様を中心に、維新様が到着次第畿内を脱出できるように準備を進めてございます」

「うむ。宜しく頼むのじゃ」

 大坂湊には島津家の御用船がいる。それをそっと堺へ回航しないとならない。


 山田有栄が身を乗り出した。

「大坂の方はいかがですか」

「まだ毛利様が大坂城の城代ということになっておりますが……徳川様との交渉は大詰めのようです。遅かれ早かれ大坂城を退去して国元へ軍勢を戻されるでしょうな」

 関ケ原にも毛利勢の大軍は来ていたが、関東方面への警戒をしているだけで全然参加しなかった。大坂に残った者も合わせれば二万はいるだろうが、戦意は全然ないようだ。

「毛利のオイチャンも口だけかあ」

「そもそも合戦前の軍議も本人は来ませんでしたからね」

 配下の武将は甥っ子とか安国寺とか来ていたが、総大将は大阪から動きもしなかった。

「アレなのじゃ。何かやりたいんじゃなくて、威張りたいだけなのじゃ。役職に就きたいだけで仕事はする気ないのじゃ」

 ひどい言われようである。

「毛利も徳川に次ぐ大身ですからね。保守的になるのも仕方ないですか」

「タヌキのほうはバリバリやる気じゃぞ。毛利も死んだじいちゃんなら、今頃尾張くらいまでは切り取ってたじゃろうに……」

 創業と三代目の違いだと指摘すると、弘歌は我が家にも思いを馳せた。

「うちの姉ちゃんも昔はバリバリ夜露死苦だったのじゃが……大友のアホウがおサルのおじちゃんに泣きついてから、中央の大きなのが介入するとひっくり返されると、すっかりやる気がなくなったのじゃ」

 島津は一時西海道を統一する勢いであったが、最後の最後で豊国大公の介入を招いた。なんとか和睦はしたものの、領域は統一戦前に逆戻りである。

 中央の政権が大きくなり過ぎ、地方の大名では太刀打ちできない……弱肉強食の戦国乱世の終わりを見て取った島津義歌は、それ以降は領土拡大よりも今持っている所領を失わない方向に舵を切る。

 ……それと同時に中央を嫌いになり、以降はほとんど畿内の情勢に関与しないようになった。今回弘歌が何度ねだっても兵を出してくれなかったのには、それがある。以前の隙を見ていた義歌なら、五、六千は貸してくれたはず……と弘歌は睨んでいる。

「おサルのおじちゃんも、せめて博多だけでもくれれば良かったのじゃ」

「博多湊こそが、大公の欲しかった場所ですからね」

「頑張って攻め取った姉ちゃんが可哀想なのじゃ……櫛田神社が欲しくて、一生懸命頑張ったのじゃ。今でもあそこの男尻祭、身分を隠して見に行くぐらい好きなのに」

「そう言えば堺の近くでもやってましたよね、男尻祭」

「せっかくだから鑑賞して帰るかの?」

「岸和田の方のは、たぶん皆様ご想像の祭りとは違うと思います」


 横道にそれた話をしていて、弘歌はハッと気が付いた。

「そうなのじゃ……このままただ帰っては、姉ちゃんたちに合わせる顔がないのじゃ」

「そう言われると、そうですが……しかし、めぼしい戦果を今からあげるわけにも」

 徳川派と反徳川派の戦いはいまだ終結していないとはいえ、大勢は決している。まさか今から寝返って大坂方を襲うわけにもいかない。

「……いや、それもアリか? 腰が引けてる毛利軍ごとき、我らが突っ込んで安芸毛利中納言殿の首を取ってしまえば……」

「口うるさい有栄も根っこは薩摩隼人で、ホッとするのじゃ」


   ◆


「このままワシらだけ帰るわけには行かんのじゃ。大坂城の人質を奪還するのじゃ」

 弘歌の宣言に、一同はどよめいた。


 大坂城には現在、大坂にいた大名の家族が人質として幽閉されている。

 今回の官僚派の挙兵で、参加した諸大名は背信しない証拠に家族を預けさせられたのだ。

「のわりには、結構裏切り者が出たのう」

「関ケ原で半分戦ってませんよね。そもそも大坂城に今いる連中だって、どうなんですかね」

 どの程度の者を預けているかにもよるけど、この時代は意外と情が無い判断をしがちではある。

 ……情があり過ぎて逆に逃げられなくなった、細川さんちみたいな所もあるが。


 反徳川派参加にあたり、石田治部は島津からも人質を取っていた。

「あの子たちだけでも連れて帰らないと、ワシは姉ちゃんに殺されるのじゃ」

「かわいがっておられましたからねえ」

「いや、と言うより……」


 勝手に兵を連れて家出。

 勝手に島津の名前で反徳川方に参加。

 勝手に身内を人質で預け入れ。

 あげくに戦力のほとんどを失う大敗北をして伊勢路で騒動起こして、畿内一円の島津の資産を放置して総員撤退。


「タンス貯金掴んで逃走して、勝てないギャンブルに参加するために家宝を質入れしちゃったクズ状態なのじゃ、ワシ……」

「……まったく言い訳できないですね」

「これは質請けしないと帰れませんね」

 当主が西海制圧というギャンブルを捨てて、財産を固守する安全第一に方針を切り替えた今。何もかも失って身一つで帰ってきた弘歌を、姉がどう処分するか……。

「ワシの百万両の笑顔でも支払いが足りない気がするのじゃ」

「ご当主様がそこに価値を見出していたら、最初から兵を出してくれますよね」


 なので、大坂城に閉じ込められている人質を取り戻す。

 せめてそれだけでもしないと、そもそも薩摩に帰れない。


「というわけで、人質救出作戦をやるのじゃ!」

「おおっ!」

 やっと安全な隠れ家についたばかりだが、島津兵たちは弘歌の決断に気勢を上げた。人目を忍んだ逃亡劇で疲れ果てていても、薩摩隼人たちの心は折れていない。

 

「よし、おいどんが先鋒つかまつるたい!」

「まてまて、それはわしの役目じゃ」

「途中で何か食べたい。大坂城の門の前で現地集合な!」

「どこの門だよ?」

「おまえら待つのじゃ」

 元気よすぎて今からぞろぞろ大坂城を攻めに行こうとする一同を、弘歌は止めた。




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物語の豆知識:

 細川さん、奥さんへの愛情が深すぎるというか……もうモンスター級なので、逃げようと思えば逃げられたのに奥さん居残った説が。

「家臣(の男)に掴まって逃げたら、嫉妬で家臣を処刑しかねない(というか絶対する)」と変な信頼があった忠興さん……。

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