第29話 慶長伊賀の乱

「そんでな、今は関ヶ原から帰るところでな、ちょうど通りかかったからご挨拶にと思ってな」

「は、はあ……そうですか……」

「うむ、この味噌汁も美味いのじゃ! 伊賀殿のおたくはご飯が美味しくて素晴らしいの!」

「は、お言葉かたじけなく……後ほど主にもお伝えいたしますので……」

藤四郎筒井君は今どこか出かけておるのじゃ?」

「はっ、主は今、関ヶ原へ……」

「あっれー、いたかのう……まあ、いいのじゃ。とは残念なのじゃ」

 筒井家の留守居役はしきりに汗をぬぐいながら、上機嫌で出された食事を平らげる島津弘歌の話し相手を務めていた。

 幼女のとりとめもない話に相槌を打ちながら、老臣の考えていることはただ一つ。


(なんでこうなる!?) 


 隣の国とは言え戦場から離れた伊賀まで、敵に回った島津の敗残兵がなぜかやってきてしまった。

 そこまではまだいい。追われて逃げ回りながら大坂を目指すなら、まだ理解できる道取りではある。だが……。

 突然の訪問で門を閉める前に入り込まれてしまい、慌てた城兵に島津の出した要求が……。


 “飯を食わせろ”


 何をどう考えたら、敵の留守宅に上がり込んで食事を要求する気になるのだろう?

 そこの思考回路が分からない。


 だが、とにかく今は穏便に退去してもらうのが先決だ。留守居役は急いで炊き出しを行い、敵の指揮官島津維新弘歌の話し相手を務めていた。

「そんでの、今大坂に向かう途中でメシが足りなくなっての? おたくの領内で村の者から食料とかのじゃ」

「そ、そうですか」

「だけど百人分も借りたら、小さな村では自分の分も苦しいのじゃ。なので」

 “ロリ島津弘歌”が指をくわえながら、上目づかいに留守居役を見上げた。

「オジちゃん、米と塩をちょっと欲しいのじゃ……」


(島津の狙いはソレか!)

 留守居役は“領内通過の挨拶”とか言いながら城にズカズカ上がり込んできた、島津勢の真意を悟った。

 逃走の途中で兵糧が足りなくなったが、村々で徴発カツアゲするのは難しい。なのでこの城に強請ゆすりに来たと。


 敵に逃走する為の食料を恵んでやるなど、とんでもない話だが……。

 

 留守居役はチラッと周りに視線を走らせる。

 島津維新と自分を囲むように座り込んだ、島津兵が猛烈な勢いで城の食料を減らしている最中だ。

 今のところは礼儀正しく? 振舞っているが、もし要求を拒否したら……。

(…………致し方なし)

 ここで断って城内で暴れられても困る。たぶん直近二回の落城した時よりもひどい損害が出る。島津兵の暴れぶりは、豊国大公の頃から有名なのだ。

 何より、機嫌を損ねたら……真っ先に血祭りにあげられるのは、自分だ。


「分かりました。すぐに用意させますので……」

 “だから早く出て行って”、という言葉を言えずに飲み込んだ留守居役に。

「ありがたいのじゃ! ……そんでな? 借りるついでに、味噌と醤油と鍋も……」

 承諾をもらって無邪気に喜んだ弘歌は、さらに追加の注文を付けた。

 

   ◆


藤四郎君ち筒井家は家臣の躾が行き届いておるのじゃ。ご飯を食べさせてくれた上に、気持ち良く兵糧を貸してくれたのじゃ」

 ご機嫌な弘歌が中馬の肩の上で喜んでいるのを、山田と伊勢が見上げながらひそひそ内緒話をかわす。

「よっぽど思いがけなかったんですね。弘姫様の分は一応先に毒見しましたが、毒を入れる余裕もなかったみたいで」

「まさか逃走中に寄るだなんて、我々も考えつきもしませんでしたしね。毒見は山田殿が?」

「いえ。木脇がやりたいというので、任せましたが」

 二人は斜め前を歩く木脇を揃って眺めた。

 

 身の丈、およそ八尺約二百四十二センチ


「……あいつを毒見役にしても、効き目がすぐに出ないのでは」

「すみません、気を付けます」


   ◆


 食料の調達に成功し、あとは一路大坂を目指す。

 ……で済むほど、世の中は甘くなかった。一行が伊賀を抜ける前に、もうひと騒動あったのである。


「伊賀国を抜けたら大和を突っ切るか、それともさらに南下して堺へ回るか……」

「徳川のほうも大坂を接収するので手いっぱいでしょう。堺の方が安全な気がしますね」

 戦場からの離脱に成功したので、次に考えるべきは足のつかない逃走経路。一行を率いる立場になった山田と伊勢が進路の相談をしていると、木脇に肩車をさせていた弘歌が急に手を振り始めた。

「おーい、おーい」

「どうしました、弘姫様!?」

 突然のことに慌てて重臣二人も前を見たら、民がたくさん集まっていた。ざっと自分たちの三倍はいる。

「なんだ⁉」

「手を振ってるから歓迎してくれているのじゃ」

「しかし、我々はこの辺りに縁もゆかりも……」

「そうなのじゃ? でもなんか、我々を待っていたみたいじゃぞ?」

 どうも農民ぽいが、一体なんでこんなところで待っているか分からない。山田と伊勢が見ていたら……彼らは手を振り終わると、足元の草むらに隠してあった竹槍や刀を引っ張り出し始めた。

「あー……落ち武者狩りか」

「なるほど、我らが人気なわけですね」


   ◆


 農民たちは島津勢を包み込むように、周りに広がって一斉に襲い掛かってくるつもりのようだ。

「なんでこの辺りにワシらがいるとバレたんじゃろ? ワシらは追手に見つからぬよう、潜伏しておったのじゃが」

「なんででしょうねえ」

 

 この期に及んで、なぜ見つかったのかを議論しても仕方ない。

「どうしましょう弘姫様。皆で一団となって、手薄そうなところを一点突破しますか」

「仲間を呼びながら追われるとマズいですね……」

 なんとか弘歌を逃がせられないか、相談する山田と伊勢を弘歌は止めた。

「おまえたち、待つのじゃ。ワシらは侍、向こうは農民なのじゃ。ちょっと不利なぐらいで逃げていては、姉ちゃんにまた鉄瓶鋼鉄のヤカンで殴られるのじゃ」

「そんな折檻されるのは弘姫様くらいです」

「敵は大した数ではないのじゃ」

「三倍以上はいますが」

「あっちはしょせん寄せ集めなのじゃ。関ヶ原に集まった石田なみに弱いのじゃ」

「それは言っちゃダメです」


「よいか、ワシに作戦があるのじゃ」

 弘歌は動揺する皆を集めた。

「どうするのですか?」

「うむ」

 弘歌は自信満々に包囲してくる敵を指した。


「1.突っ込む!」


「2.斬る!」


「3.勝つ!」


「これでイケるのじゃ!」

 無言の山田と伊勢の後ろで、兵たちが一斉に驚愕の叫びをあげた。

「なるほど! さすが維新様!」

「なんと緻密な作戦じゃ!」

「これは完全勝利が約束されたも同然ぞ!?」

「……伊勢殿。我が島津兵には、これぐらいでいいのかもですね」

「そうですね。難しいことを要求するより、単純明快な方が良いのかも……」


 島津勢は数百人の落ち武者狩りをさんざんに追い回し、伊賀国での最後の思い出とした。




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物語の豆知識:

 伊勢・伊賀での逃走経路を地名を拾って地図にあてはめると、これ絶対にありえないなあ……という感じにイベント地点がバラケ過ぎています。

 いくら追っ手を避けるために迷走していたとしても、亀山から伊賀上野に行っておいて、Uターンして信楽から水口に抜けるのはさすがに不可解過ぎる。今の名阪国道沿いに堺へ抜けたほうが、残党狩りが厳しい近江へ戻るより警戒が緩いのはこの時代でも分かるはず。

 そもそも関ヶ原から伊勢に抜けたルート自体、四つぐらいあるみたいですので……研究者が指摘しているように、バラバラに逃げた島津兵の出没ルートを全部義弘一行のルートにまとめちゃった結果が今の伝承なんでしょうね。

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