第28話 サツマが出たぞ!

 徳川を振り切った島津弘歌たちは、伊勢路から東海道を走って大坂へ抜けることにした。

 もちろん街道自体は使えない。追撃を撒いたとはいえ敵の支配地域だ。

 元から徳川に同心する大名の多い地域でもある。関ヶ原の落ち武者を警戒しているだろうし、監視の目にどこで見つかるか分からない。森に潜み、茂みをかき分け、人目を忍んで夜道を走る。それは思った以上に過酷で、精神を磨り減らす旅だった。


「マズいのじゃ」

 丸二日をコソコソ逃げ回って過ごし、弘歌は暮れかける三度目の夕日を見ながらうめいた。

「お辛いでしょうが……どうか、大坂にたどり着くまではこらえて下さいませ」

「ワシは良いのじゃ」

 なだめる伊勢に、弘歌は心苦しそうに首を振った。

「ワシはグッと我慢するのじゃ。これでも戦国の世を生きる武将なのじゃ」

「では、何が……」

「兵がまともな物も食えず、疲れ切っておるのじゃ。野山を隠れて走り回り、食えそうなものは野草でも口に入れる生活を続けておるのじゃ……こんな文明から離れた生活をしておると」

 幼女は周りを見回した。

「薩摩隼人が野生に戻ってしまうのじゃ……」


『リスじゃ! リスがおるぞ!』

『ウホーッ!? ウホッ、ウホッ!』


「刀を棍棒みたいに振っておるのはまだマシじゃが、なんだか人語をしゃべれなくなったヤツまで出ておるのじゃ……」

「それはマズい」

 薩摩までなんとか逃げ延びても、人間社会に適合できなくなってしまう。

「やはり、なんとかマトモな食料を手に入れましょう。今はまだ一昨日の焼きクマのおかげで動けますが、木の実や草だけではこの先体力が持ちません」

「そうじゃの。じゃが、どうするか……」

 手っ取り早いのは、旅人か何かを装って近隣の村で食料を調達することだが……。

「殿様!」

「ん?」

「その役、おいどんに任せて下され!」

 敬愛する主の困っている様子に、決死の覚悟を決めた中馬ちゅうまん大蔵おおくらが手を上げた。


   ◆


 陽も落ちかけた夕刻。

 灯りに使う薪がもったいないので、夜になれば後は寝るだけ。どこの家も戸締りをしようとしていた村に、訪問者が現れた。

「もっさけなか」

 薄汚れた服装の見たこともない侍が、聞いたことも無いなまった言葉で話している。愛想よく応対しながらも、村人たちは笑顔の裏で警戒を強めた。

「旅の途中でちと食いもんば足りなくなったんで、分けて欲しいのじゃっどん」

「ええと、何か食べ物が欲しいと……ちなみに、どちらのお侍様で?」

「おいどんか?」


 中馬は考えた。

 僻地(中馬視点)の村でも、関ケ原で戦いがあった事はもう伝わっているかもしれない。島津が破れた側にくみしていたことも知っていたら、通報されてしまうかも。

(……ここはひとつ、誤魔化すしかなか)

 中馬は胸を張って答えた。

 

「おいどんば、都のシティボーイでごわす」


   ◆


「殿様、もっさけなか! なぜか落ち武者とバレもうしたったい」

「見破られたのじゃ!? 畿内の田舎者もやりおるのじゃ」

 あちこちに松明の明かりが移動するのが見える。食料調達に失敗した時に見破られ、付近の村人が恩賞目当てに山狩りを始めたのだ。

「これはさらにマズいことになったのじゃ……敵の捜索に引っかかるのも時間の問題なのじゃ」

 夜間ということもあるし、不案内な土地では隠れることもままならない。しかも大きく数を減らしたとはいえ、弘歌のもとには今だ百名近い兵がいる。これだけまとまった人数を現地人から見つからないようにすることなど……。

「そうなのじゃ……逆転の発想なのじゃ」

「と、仰いますと?」

「隠れようとするから逃げ場がないのじゃ」


   ◆


 村人が逃げ惑い、子供の泣き声と恐怖の叫びがこだまする。

「サツマじゃーっ! サツマが出たぞーっ!」

 村中が狂乱の様相を呈する中、ひときわ大きな人影がのそりのそりと家の陰から現れた。

「ウホーッ!」

 大男は両手の拳で胸を叩きながら、腹の底から響く雄叫びを上げる。

「キャーッ!?」

「助けてくれーっ!」

 恐怖にひきつった顔の人々はその様子に恐れをなし、村を捨て闇の中へと逃げ散った。


 先祖返りした薩摩人が皆でドラミングして勝利の咆哮を上げる中、弘歌がひょこっと顔を出した。

「うまく行ったのじゃ」

「うまく……ですかね」

 呆れた山田有栄が後どうしよう……と思いながらつぶやくが、発案者は後のことなど気にしていない。

「どうせ隠れられないのなら、こちらから攻めて行くのじゃ。島津兵がその気になれば、農民の山狩りなんぞ目じゃないのじゃ」

「そりゃ、武士ですからね……なんか、“元”になりそうですが」

 元武士というか、元人間になりそう。

「ここでちょこっと必要な分だけ食料を分けてもらうのじゃ。サツマイモなど贅沢は言わんのじゃ。コメでもあれば助かるのじゃ」

「普通、逆じゃないでしょうか」

「食べ物の礼に、ワシの花押サインを置いてってやるのじゃ。末代までの家宝になるのじゃ、悪い取引ではあるまい」

「家の壁に書かれても、彼ら扱いに困るのでは……」


 でも実際、なんとか大阪まで走らねばならない。今ここで多少真似をしてでも、食い繋ぐのが先決だ。

 だから仕方ないとはいえ……。

「しかし無関係な他領で山村を襲って略奪したとか、後でツッコまれそうですね……」

「ふむ」

 弘歌発案者も考えてみた。

 徳川方と和解交渉をするのに、農村で空き巣強盗をしたのが問題になるというのも恥ずかしい。

「ならば、ちゃんと挨拶すればいいのじゃ」


   ◆


 伊賀上野城は徳川派についた筒井氏の居城である。

 統治が難しいと言われた伊賀国の国衙政庁でもあり、また伊勢と大和、近江をつなぐ街道を押さえる交通の要衝ようしょうでもある。その為徳川派についた城主が留守にしているあいだに攻略され、急報を受けて驚いた筒井が関ケ原本戦直前にまた取り返す……と目まぐるしく運命が変わった城でもある。

 そして戦いの片が付いてホッとしているところへ、またもや事件が……。


「城代様、門前に軍勢が!」

「おお、殿が帰られたか」

 城を取り戻した筒井伊賀守はその足で、慌ただしく関ケ原へ出陣してしまった。

 短期間に二度も城が落ちているので、戦に勝ったとはいえ軍主力には早く戻ってきて欲しい。それで留守番一同城主の帰還を心待ちにしていたのだが。

「我が軍ではありません! 島津です!」

「なんでっ!?」




**********************************************************************************

物語の豆知識:

 関ケ原の話って、色々矛盾するというか、ザックリ流れだけ見ていると納得しがたいところが諸々出てくるのですが。

 島津隊が逃走するとき、家康本陣と途中で見かけた長束正家隊、そして途中で通った伊賀上野城(当然東軍側)に「僕らこれで帰りますんで」って挨拶して行ってるんですよね……。

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