五戦目! 紀伊半島ランナウェイ!

第27話 大人になる旅

 最後尾を警戒していた伊勢平左衛門が木立の間を慎重にうかがい、窪地で休む弘歌たちに振り返った。

「なんとか、追っ手を撒いたようですね」

「それはなにより……徳川方も諦めたかな」

 中腰になっていた山田有栄もホッと一息ついて、弘歌の横にあぐらをかく。

 

 弘歌のいる辺りを中心に、島津兵たちは目立たぬように少しずつ分散して休んでいる。間もなく陽が落ちるのを考えれば、いま敵が姿を見せない以上は追撃を振り切ったとみて良さそうだ。

 昼から走り続けていた一行は、やっとゆっくり腰を落ち着けることができた。


「火をおこすわけには行かないが、これだけ人数がいれば獣も寄って来ないだろう」

「それより、食い物がほとんど残っていないのがなあ……」

 周囲を警戒しつつもそれなりにくつろぎ、休息をとる中……総大将たる弘歌だけ、ショボンとうなだれて膝を抱えていた。 

「……みんな、いなくなっちゃったのじゃ」


 ずっと面倒を見てくれていた者たちも、慕って後をついて来た者たちも。


 激しい逃走劇が続いた中で、島津勢のほとんどが討ち死にしたりはぐれたりして脱落した。今ここにいるのは、関ケ原に到着した時の一割に満たぬのではないか……そんな数しかいない。

お豊豊歌も……盛淳長寿院も……みんないなくなっちゃったのじゃ……」

 旅庵新納は?

 

 いつも根拠なく自信満々な弘歌が打ちひしがれているのを見て、山田が前に膝をついて優しく声をかける。

「豊歌様もおっしゃっていたではありませんか。勝敗がどう転ぶか分からないのはいくさの常ですよ」

「でも、勝たねばならんかったのじゃ……」

 少なくとも、これほどの損害を出して敗走するのは楽観的で強気な弘歌の想像を超えていた。

 そして逃げ帰らなければならないのは日ノ本の最南端、薩摩。二百五十里の彼方にある故郷まで、徳川方の落ち武者狩りを避けてたどり着く……。

 それがどれほど絶望的なことか、子供の知識でも理解はできた。


 どんどん暗くなっていく森の中、明かりをつけることもできず隠れていなければならない。

 そんな身の上に、ここまでは無我夢中だった弘歌の気持ちも後ろ向きになっていく。夜に呑まれていく景色の中で、幼いなりに言うまいと必死にこらえていた弱音が転がり出た。

「……負けが決まった時にワシが内府の前で腹を切って詫びていたら、みんなは助けてもらえたのかのう……」

「姫の切腹を見せられても、徳川殿も困ったと思います」

 山田が弘歌に、傍らに置いてあった軍配をそっと握らせた。

「弘姫様……此度こたびのいくさ、あなた様が総大将です」

「それは分かっておるのじゃ」


「いいえ。弘姫様はまだまだ分かっておられません」


「えっ?」

 意外な言葉に弘歌が顔を上げると、目の前には至ってまじめな顔をした山田が……さらにその後ろには、ここまで付き従ってきた兵たちがひざまずいて弘歌を見ている。

「我ら島津の者どもは、御大将おんたいしょうにどこまでも付き従って参ります。それが地の果てでも地獄の底でも、喜んでお供致しましょう」

有栄ありなが……」

「敵が徳川八万騎だろうと豊国恩顧の諸大名数十万だろうと、薩摩隼人は臆したりしません。それが殿のご意向ならば、多勢に無勢を承知で笑って斬り込みます。それが島津のいくさでございます」

 わずかな月明かりに照らされた山田が笑っている。

「弘姫様。我ら死ねと言われれば死にましょう。走れと言うならどこまでも。どうなされたいのか、ただお心のままに下知命令して下さいませ。我ら、御大将の言うことに四の五のごちゃごちゃ申しません。我らは薩摩隼人でございます」

 居並ぶ面々も黙って頷く。闇に沈んだ宿営地の中に黒々と浮かぶ薩摩兵児さつまへこの輪郭が次々と頷き、その動きがさざ波のように後ろへと広がっていく。

 ただ一人もためらう様子の無いのを見て、弘歌は目じりに浮かんだ涙を袖で乱暴に拭って立ち上がった。

「分かったのじゃ」

 一度唇をかみしめて激情をこらえた弘歌は、強い意志を感じさせるはっきりした声で宣言する。

「島津維新は決して諦めないのじゃ! 我らは薩摩に帰るのじゃ! ワシの前に立ちふさがるのなら、内府でも石田でも殴り倒して前に進むのじゃ」

「その意気でございます」

「うむ」

 山田に渡された軍配をしっかりと掴み、弘歌はビシッと故郷の空を指した。


「帰るのじゃ、薩摩へ! おうちに帰るまでが戦いなのじゃ!」


「弘姫様、そちらは伊勢の方角でございます」

「うー、畿内は方角が分からぬのじゃ」


   ◆

 

 “関ケ原にて、官僚派が徳川に破れる!”

 

 その一報は、敗残兵が逃げ帰るよりも早く。

 都へ、大坂へ、さらに遠くへとあっという間に広がっていった。


 いまだ畿内は反徳川派が押さえている。

 とはいえ、それは“徳川派が帰ってきていない”というだけに過ぎない。


 決戦に臨んだ主力が壊滅し、徳川の連合軍が勢いに乗って進軍して来るとあれば……旗振り役石田君を失った反徳川派が抗戦不可能なのは、見ているだけの庶民でも簡単に分かる。

 美濃から近江にかけての反徳川方の城が次々と攻め落とされたという噂も駆け巡り、大坂城攻めもありうるのではないかとちまたでは話題になっている。

 人々は流言飛語に一喜一憂し、治安の維持に当たるべき大坂城の兵もすっかり浮足立っていた。

 そんな、大坂の片隅で。


「なんでもいい、維新弘歌様の情報をかけらでも集めてこい!」

 留守居役の平田新四郎は島津家大坂屋敷に居残った者たちを走らせ、街に流れる情報を集めていた。

お城大坂城で聞き込みをするわけにはいきませんか」

「馬鹿を言え。あそこの連中のほうが町衆よりもよほど遅れておるわ」

 関ケ原付近で行われた戦いが徳川方の完勝に終わり、主だった反徳川派は追い散らされて消息不明。そこまでは分かっている。


 そいつらのことはどうでもいい。


 大坂屋敷の留守番の者たちが欲しいのは、維新公弘歌がどうなったかだ。

「平田様! わずかな噂ですが……」

「どうなっている!?」

「維新様の部隊は戦いの終結間際までまとまって残っていたそうです。そして徳川の勝ちが九分九厘ほとんど決まりかけた辺りで撤退したと」

「伏見屋敷に戻られたのか!?」

「それが……我が兵は西へ退却せず、なぜか伊勢方面へ向けて南に下って行ったと」

「なるほど」

 怪しい噂を聞き、平田は我が意を得たりと膝を打った。

「その辺りの訳の分からない動き……維新様が陣頭指揮を執っているに違いない! きっと維新様は無事だぞ!」

 固唾を飲んで報告を聞いていた者たちは、家老の的確な分析にワッと歓声を上げた。

「どこへ向かったにしても、薩摩に向かうには大坂湊か堺湊から船を出す必要がある。堺の田辺屋殿にも連絡を入れろ。維新様が見つかり次第脱出するのだ。船の準備も急げ!」

「はっ!」

 わずかな人数で、情報収集と弘歌を逃がす算段をしなければならない。平田は自身も慌ただしく走り回りながら、もう一つの問題にも頭を悩ませていた。


   ◆


「殿! 熊が出ました!」

「なんじゃと!?」

 弘歌は報告に驚いて、肩車させていた木脇の上で背伸びした。

「おお、熊じゃ……」

 薩摩の一行とばったり出会った大きめの熊が、急な遭遇に驚いて二本足で棒立ちになっている。

「なんと、可哀想に……」

 弘歌は不運な熊に、同情の涙を禁じえなかった。

「飢えたワシらの前にうっかり飛び出すとは……熊ごときでは、薩摩隼人に襲われればひとたまりも無いのじゃ」


 薩摩国に昔住んでいたと言われる民族、クマソは……熊を襲うと書いて熊襲くまそと読む。


「久しぶりの熊も悪くないのじゃ」

「塩残ってて良かったですね」




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物語の豆知識:

 平田さん大坂脱出では活躍するんですが、平和になった十年後に上意討ちで粛清されるんですよね……。

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