第22話 次は私が
新納隊の奮戦により、後方から追って来ていた福島隊の大軍は追跡が間に合わなくなり落伍した。
「これで振り切れると良いのですが」
うっかり島津隊の前をふさいでしまった不運な徳川派の将兵を蹴散らしながら、豊歌はつぶやいた。
だが、そう簡単に逃げ切れるとは言った本人も思っていない。逃走を続ける彼らの後ろには、すでに次の集団が見えていた。
「
「
報告に弘歌が後ろを見てみると、確かに松平の旗指物が見える。おまけに先頭で激怒しているのがどう見ても
「ずいぶんしつこいのじゃ。なんじゃろ? わし、何もしとらんのじゃ」
豊歌がやった。
「アレじゃないですかね。
「なんじゃ、それで張り切っておるのか。父ちゃんに褒められたくって頑張るとか、ヤツはいくさを舐めておるのじゃ」
自分の事は棚に上げ、他人には厳しい弘歌様。
そんな事を言っているあいだにも、何の恨みがあるのか松平勢はすごい勢いで迫ってくる。
「……追いつきそうなのじゃ」
「追撃戦ということで血気にはやっていますね」
松平隊にしてみれば、開戦直後に行動不能になる原因を作ってくれた因縁の相手だ。島津が背を向けて逃げている今、恨みを晴らしたい想いがある。
そんな連中がしつこく追いかけてくるのを見て、弘歌はちょっと考えた。
「石でも投げてみるのじゃ。距離をあけるかもしれんのじゃ」
「はっ」
◆
大舞台で恥をかかせてくれた島津軍を追撃していた松平下野守は、仇敵が足を止めてこちらを向くのを視認した。
「やつら迎撃するつもりだ! このまま引きつけるぞ!」
主君の指示を聞き、周りの家臣たちも一斉に槍を持ち直した。松平隊のすぐ後ろには井伊隊も迫っている。島津勢を足止めすれば挟み撃ちにできる。
……と思っているところへ、なんか見覚えのある投球モーション。
「……うわぁぁぁぁっ!? まただぁぁぁああ!」
あまりにショッキングな出来事がトラウマになり、本能的に避けてしまう松平隊を誰が責められようか……。
松平隊が足を止めたことで、その後ろの井伊隊も前がふさがって進めなくなる。島津勢と徳川方の距離は、再びちょっと余裕ができた。
◆
石を投げようとしたら、それを見た松平隊がやけに驚いて急に止まった。
「なんだ、あいつら? 投石ごときが怖いのか?」
「コレだから
朝の一見はすっかり忘れている島津軍。
理由はどうでもいいが、追撃して来る徳川方がやたらとビビっているのは逃走のチャンスだ。
「よし、今のうちに逃げるのじゃ」
弘歌の指示を聞き、再び島津勢は全速力で駆け出した。
それを見た松平隊のほうも、大事な情報に気が付いた。
「……あ!? あいつら、桶も柄杓も持ってない!」
「本当だ!」
「よく考えたら、全力で逃げる時にわざわざ持ち歩かないよな……」
「しまった、動きに騙された!」
勘違いに気が付いた松平隊は余計に怒りを覚え、井伊隊と入り混じってまた追いかけ始めた。
◆
「さて、そろそろ後ろの連中も頭に血が昇ってる頃でしょうね」
長寿院は馬を走らせながら後ろを振り返る。何度かハッタリに引っかかった松平隊も、もう多少の損害を無視してでも襲い掛かってくるだろう。先ほどの新納の策のように、うまく巻き込める敵勢力も見当たらない。
「もう伊勢街道に入る……やつらも迂回もできなくなるな」
関ケ原の平野を抜け、広いながらも谷間に入りつつある……敵を待ち受けて進路を妨害するにはちょうどいい。
すでに隊がバラバラになって一団となって走っているので、他の重臣も割と近くにいた。
「豊歌様、山田殿」
長寿院が馬を寄せつつ声をかけると、二人もすぐに馬を並べてきた。
「長寿院殿」
「うむ」
要件を察しているらしい二人に、長寿院はほがらかに頷いて見せた。
「次は私が行きます。山田殿、弘姫様にとにかく最期まで付いていてください」
「……承知しました」
「豊歌様、もし私が突破されて追いすがって来ましたら……」
「心得ております。次は私が」
「お願いします。その際なのですが……」
◆
島津軍は関ケ原を抜け、伊勢街道から南下する動きを見せていた。
「伊勢に出て東海道から逃げるつもりか? ヤツら正気なのか?」
戦場になった平野は“関ケ原”という名の通り、元々朝廷の力が強かった昔には関所が置かれていた交通の要所だ。
今も中山道と北国街道、伊勢街道がこの辺りで交わる重要な地点でもある。だからこの場所で戦いになったとも言えるのだけど……。
島津軍が逃走をはかっている伊勢街道は、文字通り伊勢国へ向かう南北の道だ。都に向かう中山道と伊勢街道は、関ケ原で直角に交わっていた。
つまり……彼らが薩摩に逃走するのに向かわなければならない都や大坂から見ると、紀伊半島を挟んで反対側に逃げていることになる。伊勢からも確かに大坂方面へ逃げられるが、あいだに伊賀と大和を挟むことになる。
これはとんでもない回り道だ。おまけに伊勢や伊賀方面は、元々徳川派の領主ばかり。逃げ隠れる場所など、すぐに無くなるはずだ。
「どういうつもりだ?」
伊勢湾を挟んだ三河が元々徳川の領地だったこともあり、この付近の地理に明るい松平は島津のおかしな逃走路が理解できない。
そんな主君に、家臣たちがそれぞれ思うことを述べた。
「相手は薩摩の島津です。この辺りの道が分かっていないのでは?」
「島津ですよ? 深く考えず、そこに道があったから走っているだけなのでは?」
「そもそもあの島津ですから、おそらく考えてから走っていないのでは?」
散々な評価を口にする家臣たちの意見に、松平も。
「まあ、確かに島津だしな」
敵からそんな事を言われているとは知らず、必死に伊勢街道を南下する弘歌たち。
「あれ?」
「どうしました、殿様」
横を走って馬に付いて来る中馬に構わず、弘歌は乗っていた
「
いつもついて歩いている家老がいない。
「迷子なのじゃ?」
こんな時に……心配になった弘歌は、後方を一生懸命眺めた。
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物語の豆知識:
この頃の日本馬はいわゆるポニー(道産子みたいなの)で、競馬なんかで見られるいかにも“馬”ってイメージの馬は江戸中期の八代将軍吉宗が輸入したと言われています。
なので勇壮な騎馬武者の突撃などはなく、武田騎馬軍団も“馬の産地なので移動に使っていただけ”という主張があります。
一方で実際に日本馬を飼っている人が「旧来の日本馬も鎧武者の騎乗に十分耐えられる」と、Twitterに実際の動画を上げているのを見たこともあります。
道産子が洋馬より厳しい環境に耐えられたエピソードもあるので、騎乗突撃は本当にやっていたのじゃないかと私は思いますね。
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