第21話 旅庵の覚悟

 追いすがる福島勢を見て、最後尾を守っていた新納旅庵が自分の率いる部隊の足を止めさせた。

「新納殿!?」

「ちょうど良いので、私がここでヤツらを足留めします」

 新納は槍を振るって手ごたえを確かめると、人の悪い笑みを見せた。

「せっかくですので、目くらましに引っ掻き回してやりますよ」

「旅庵!? ムチャなのじゃ!」

 弘歌は家老の急な決断に慌てたが、他の者は覚悟を見て取った。

 

 古来より戦いの戦死者が多いタイミングは、実は正面からぶつかっている時ではない。勝敗が決まって敗走している時だ。戦意なく逃げ惑うところを、後ろから迫り来る敵に刈り取られるのである。

 戦争は子供の鬼ごっことはわけが違い、敵は弓も鉄砲も飛び道具を持っている。どこからどれだけ出て来るかもわからない。敵より足が速ければ逃げ切れるという物ではないのだ。

 全体を逃がす為に一部が踏みとどまって戦う戦術は、豊歌や長寿院も考えていたことだった。


「新納殿、死に急いではいけませんぞ」

「もちろんですとも、そう簡単に死ぬ気はありませんよ。やるだけやったらバラバラに逃げて、大坂屋敷をめざします」

「そうして下され」

 攪乱かくらん戦術に自信を見せる新納に、長寿院はホッとしたように微笑んだ。

「必ず帰ってきてください。新納殿には国元に帰った後、弘姫様と一緒にご当主様義歌に土下座してもらう大任がありますので」

「あっ、何ヒトのいない所で勝手に分担決めてるんですか⁉」


   ◆


 福島隊は前方を逃げていく島津隊が一部を分離したのを見た。

しんがり最後尾が踏みとどまって足止めにかかるようです!」

 家臣の報告に、馬を急がせる福島伯耆守は追撃続行を命じた。

「構わん! 踏み潰してそのまま本隊を追いかけろ!」

 ざっと見て三百から四百。自軍も朝からの戦闘で損害を受けているとはいえ、まだまだ数千の規模がある。その程度の数なら苦も無く圧倒できる……筈だった。


   ◆


 騎馬隊を先頭に猛然と押し寄せて来る福島勢を前に、新納は鉄砲の上手を最前列に集めて横陣を組ませた。

「鎧武者はどうでも良い! 最大射程で馬を狙え! 以後ヤツらがここにたどり着くまでは、そのまま射撃を続行する。追いついて来たら……タイ捨流の餌食にしてやれ」

 指揮官の余裕を見せた口ぶりに、迎撃準備を行う兵たちもドッと笑った。

 この辺りの心理はまったく不思議なもので、気の持ちようで場の雰囲気はいくらでも変わる。たとえ全滅する未来しか見えていなくとも、だ。今この時はむしろ福島勢の方が、追い詰められた意識の中で焦りに囚われていた。


   ◆


 前方の居残った島津兵が座り込んで、種ヶ島鉄砲をこちらに向けている。

 ざっと状況を見て取った伯耆守福島息子は、恐れるほどの数ではないと目算した。

「せいぜい百かそこらの鉄砲玉など走っているところに当たらん! 無理に槍を合わせようとするな。踏み潰すつもりで一気に駆け抜けろ!」

「はっ!」

 さらに馬をけしかけ、福島はそのまま馬蹄ばていで島津兵を蹴散らそうと速度を上げる。

 そこへ、多数の種ヶ島の発砲音。だが思った通り、近くを銃弾が通り過ぎる音もしない。福島勢数千に、島津の鉄砲は数が足りな過ぎた……と思った次の瞬間に。

 福島伯耆守の視界から、馬の首が消えた。


「えっ⁉」


 と思ったらゆっくり視界の下の方から、地面に崩れ落ちた馬の姿が見えて来る。


「はっ!?」


 と言うか地面が視界に入って初めて、自分が前転しながら空を飛んでいることに気がついた。


「ええっ⁉」


 再び、少し色の褪せた午後の空が視界を埋めた……と思った次の瞬間。

 自分の置かれた状況を理解できず、呆けていた福島は地面に叩きつけられた。


   ◆


「よしっ、狙い通り」

 自分も撃った新納は手早く次の玉を込めながら、口角の端を歪めて満足を表した。


 福島伯耆守の思った通り、射撃に慣れた兵でも動く相手には簡単に当てられない。だから鉄砲の数を集めて一斉射撃をし、面で圧倒するのが戦の定石だ。

 でも、その数が用意できないので……新納は的のほうを大きくした。騎馬隊の先頭集団、兵を狙うのを諦めて馬を狙った。

 そして先頭集団の馬が軒並み倒れたということは……。

「うわっ!」

「ぎゃあ!?」

「押すな、潰れ……うわぁぁぁ!」

 倒れた馬体に引っかかって第二集団の馬が一斉に転倒する。地面に転がった騎馬武者たちが転がり廻る馬に押し潰され、徒歩の兵は障害物に足止めされて次々に将棋倒しになっていく。

「混乱から抜け出した者をあらためて狙え! 福島勢が完全に立て直したら、次は派手に鬼ごっこをやるぞ。関ヶ原ここを最大限使ってな!」


   ◆


 何が起きているのか徳川内府の本陣からははっきり見えなかったが、島津勢に追いついた福島がなにやら大混乱に陥っているのは見て分かった。

「今度は福島のところの息子がしてやられたか?」

「そのようですな」

 内府の分析に、腹心の本多も頷いた。だんだん島津に慣れて来た二人。

 

 土煙が収まり始めると、福島隊の最前列が壊滅しているのが見て取れた。島津が小勢と侮って、密集して蹂躙しようとしたのがあだになったらしい。

 そしてなんとか立て直した福島勢が改めて襲撃しようとすると、島津隊はどんどん逃走し……。

「あっ……島津ども、細川隊に突っ込んでいくぞ」

「うわっ、釣られた福島隊まで!?」


 福島隊の追撃戦を傍観して自軍の立て直しを優先していた細川勢は、突如自分たちに矛先が向いたのを見て肝をつぶした。

「うわぁ、こっち来るな⁉」

「逃げろ!」

 島津の標的になるだけでもとんでもないのに、さらにそれを追いかけて福島勢まで突っ込んできた。人数が多いだけに、入り混じってしまうと誰がどの軍だか分からない。

「待て! 俺は島津兵じゃない!」

「うちの頭はどこだ⁉」

「おまえ鎧の型が見慣れないな。薩摩者か⁉」

「違うでごわす」

「とにかく福島の者はこの場を離れろ!」

「くそっ、いつの間にか旗印を捨ててやがるぞ⁉ どいつが島津だ⁉」

「適当に斬っていればそのうち当たりが出るたい」

「そのおおざっぱな発想、おまえ島津だろ⁉」


   ◆


 ひっちゃかめっちゃかになった細川の陣形から、さらに黒田家に混乱が伝染って行くのを内府と平八郎は言葉もなく見守った。

「…………ヤツらの本隊の追撃は?」

「福島隊の混乱を迂回して避けた、下野守松平様と井伊殿が続行しております」

「うむ。最後の最後に舐めた真似をしてくれたあやつらを血祭りに挙げねば、この戦も画竜点睛を欠く」

「……最後の最後というか、まず最初にやらかしてくれましたな」

「……なんか儂、あやつらを捕まえても言葉が通じる気がせぬのじゃが……」




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物語の豆知識:

 薩摩の剣術として有名な示現流はこの頃形成されている最中で、流派として成立したのは江戸時代のようです。創始者の東郷重位さんは新納旅庵と同世代くらい? まだこの頃は、前身のタイしゃ流の一部だった……らしいです。

 ちなみに示現流はかなり有名なんですがいくつも分派があり、幕末に暴れた薩摩志士は薬丸示現流とかの使い手の方が多かったとか。

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