第20話 バイバイ!

槍衾やりぶすまを作れ!」

 本多平八郎の怒声に、周囲の旗本たちが一斉に島津と徳川のあいだに割って入って方陣を作る。さすがに忠勇無比をうたわれる徳川の旗本衆は練度が違う。あっという間に林立した槍の列が、陽光を反射して一斉に煌めいた。

「何が来ようと決して通すな!」

「おうっ!」

 そう。たとえ島津のエテ公がアレを投げようと。


 十重二十重とえはたえに家臣たちが周りを囲み守りを固めていく中、徳川内府は床几椅子に腰を下ろして爪を噛んだ。

「島津は福島が監視していたはずではなかったのか!?」

「いきなり本陣を踏みつぶされ、侍従福島はさっきから姿が見えません」

「油断するからじゃ、あのバカが……!」

 そんな事を今言っても仕方ない。徳川軍は猛烈な勢いで突進してくる島津勢に槍を向け、衝突の瞬間を待ち受けた。


   ◆


 わずかな時間でハリネズミのごとくに槍を突き立て、迎撃態勢を整えていく徳川軍。その動きを見て、島津兵児しまづへこの先頭を走る島津豊歌は舌打ちした。

「アレは抜けませんね」

 このままぶつかって突破するには、さすがに彼我ひがの兵力に差があり過ぎる。全兵力をつぶすつもりで突撃しても、内府には届きそうにない。

 それに、さすがにそこまでするつもりはない。弘歌だけは無事に脱出させねばならないからだ。今ここで全軍討ち死にするわけには行かなかった。


 豊歌は二番隊に担がれている弘歌を振り返った。

「どうします? 叔母様」

「むう、で近くに寄れないなら仕方ないのじゃ」

 姪に聞かれて、弘歌も唸った。

「本当はちゃんと挨拶したかったのじゃがのう」


  ◆


「来るぞー!」

 物見見張りの叫ぶ声で、徳川の本陣に緊張が走る。

 彼らが待ち構える中、押し寄せてくる島津兵が一気に突入を……して来なかった。


 旗本衆の目の前をかすめるように、島津兵がわずかに進路をそらして横へとずれて行く。

「む? なぜじゃ!?」

 その不可解な動きに内府が思わず腰を浮かしたところで、徳川の陣の前に一丁の輿こしが横付けされた。

「えっ?」

 何が起きているのか理解できず、呆然とする彼らのまえで……輿の上から身を乗り出した幼女弘歌が、徳川に向かって小さく手を振った。


「タヌキのおじちゃん、バイバイ」


 それが済んだ島津軍はそのまま、何事も無かったかのように走り去った。


   ◆


「な、なんだったんだ? 今のは……」

「助かった……のか?」

 前をかすめただけで何もせずに去っていく島津兵。茫然自失の徳川軍は呆気に取られてその背中を見送った。


 徳川内府と本多平八郎も思いは同じだ。

「……今のは、いったい何じゃったんじゃ?」

「突っ込んでくるかと思ったのですが」

 どんどん小さくなる、島津の後ろ姿。どうやら戻ってくる様子はない。

 ヤツらはこれで脅威ではなくなった。内府と平八郎はびっしりひたいに浮かべていた冷や汗を拭う。

「何はともあれ、危機は脱したか……」

「やれ、一安心ですな」

 ホッと一息ついて、二人は強張った顔に笑みを浮かべた。

 正直、勝利に気が緩んでいたのは内府たちも同じだ。虚を突かれて焦ったが、すんでのところで“勝ち”を落とさずに済んだ。

「ははは、なんじゃ薩摩どもは。脅かしおって」

「あれはいったい何がしたかったのでしょうね」


 これで戦場関ケ原に敵はいなくなった。

 とはいえ勝利者にはまだまだやることは多い。勇戦した各武将をねぎらわなくてはならないし、敵勢力は畿内の実権をいまだ押さえている。逃げた官僚派の追跡、都や大坂を戦い無しに接収するのも急ぎだ。

「さて。掃討戦に一段落ついたら、ご助力願った各々方大名たちの戦果報告を受けようかの」

「それが良いですな。連中も早く手柄を認めてほしくてうずうずしているでしょう」

 連合軍に参加した大名たちには当然、それぞれ徳川に協力する思惑がある。アピールする機会を今か今かと待っているだろう。


 と、そこまで話が進んだところで。

 脇に控えていた使い番伝令兵がおそるおそる主人たちに尋ねた。

「あの……」

「なんじゃ」

「島津は追撃しないでよろしいので?」


 …………。


「そうじゃった!」

「どいつもこいつも何をしている!?」

 二人も人のことは言えない。


「各隊に伝令を飛ばせ! 島津を逃がすな!」

 平八郎の怒鳴り声に、徳川の陣は再び大騒ぎになった。


   ◆


 徳川本陣からの緊急指令を受けた大名たちの反応は様々だった。


 ただ。

 催促されて直ちに追撃に移ったのは、朝一でひどい目に遭った松平下野守しもつけのかみと井伊兵部ひょうぶ……だけだった。つまり身内だけである。

 家臣ではなく協力関係にある武官派の武将たちは、押しなべて戦意は低い。

「この戦い自体の勝敗は決まったし……」

「石田は潰したしな」

「もう消化試合だ」

「今から大怪我したくない」

 総じて言えば、「なにも余計なことはしなくても……」という感じ。


「なんであやつら、この局面で急にやる気がなくなったんじゃ」

 内府の問いに、報告をまとめた平八郎が首を横に振った。

「いえ、やる気がなくなったわけではありません。近江方面への追撃は続けておりますし、佐和山城石田のおうち攻めは今日今からでもと非常に戦意は高いです」

「ということは?」

「つまりですね」

 平八郎が島津の陣があった辺りを指した。

「要するに、あのゴリラどもに関わり合いたくないと」

「……気持ちは重々分かるがの。それじゃ示しが付かないんじゃ」


   ◆

  

「追いかけて来てますね」

 最後尾を守る新納旅庵が振り返ると、一斉にこちらに駆けてくる部隊がいくつか目に入った。

 敵に追われていると報告を受け、弘歌は不思議そうに振り返る。

「なんでじゃ? ちゃんとバイバイしたのじゃ。まだ用事があるのじゃ?」

「こちらは無いんですけどね」

 

 戦場を離脱する前に振り切らないと、こちらの進路を読まれてしまう。パッと見ただけでも井伊と松平の旗指物が見える。

「これは、一戦交えた方が良いか」

 新納は部隊に足を止めさせ、後方に備えた。

「さて、どこが真っ先に突っかかって来るか……あれ?」

 よく見たら、先頭切って追いかけて来ているのは徳川譜代ではなかった。


   ◆


「島津どもを生きて帰すな!」

「おおぅっ!」

 若武者のげきに、周囲の兵も腹の底から唱和する。

「ここで恥辱をそそいでおかないと、この後の論功行賞でマズい!」

 福島伯耆守ほうきのかみは蒼白な顔で唇を嚙んだ。


 この戦いで福島勢は一番槍トップバッターを任され、倍の兵力を誇る宇喜多勢と朝から激戦を繰り広げた。福島隊が戦線をギリギリで支えしのいだお陰で、徳川方は官僚派を突き崩す好機を得た。大きく戦功を立てたと言える。

 だが最後の最後に来て、油断から不意を突かれて福島軍は大混乱。なんと大将たる義父福島侍従までもが叩きのめされ落馬した。

 手痛い失敗……敗戦と言っても良い……に、副将の伯耆守は青くなった。


「このまま島津に逃げ切られてみろ。大恥かいて手柄が帳消しになるぞ!」

 この一事で大事な功績が帳消しになってしまうのがこの時代。何もかもが水の泡だ。

 メンツを守るため、さらに言えば恩賞を守るため、福島勢は島津の後ろに追いすがった。




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物語の豆知識:

 島津勢が逃げる直前に徳川本隊に向けて突進したと言われているんですが、さすがに三百程度に減っていたと言われる兵力で無傷の三万に突入かけるとは考えにくく。

 おそらく本当に、そっちに伊勢街道があったから目の前を横切っただけ……らしい。それはそれで頭がおかしいとは思うんですが。

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