四戦目! 薩摩隼人スタンピード!
第19話 かけっこの時間です
のちに“関ケ原の戦い”と呼ばれる大会戦は、徳川派の勝利で幕を閉じた……かに見えた。
太陽が中天を過ぎるころには反徳川派はほぼ一掃され、徳川に味方した各大名は落ち武者狩りに移行している。主戦場の跡地には、なぜか戦闘中に全く動かなかった島津勢の他は組織的な抵抗は残っていなかった。
そんな一種気が緩んだ状態の、まさにその時。
その島津軍が、いきなり動き出した。
◆
近江方面の道が空くまで待機していた福島隊の足軽は、不意に上がった雄叫びを耳にして雑談を止めた。
「なんじゃ?」
「まだ敵が残っとったか?」
残っていたにしても、大した数の敵ではないはず。すでにここまで勝敗がついた中では、破れかぶれの突撃など自殺行為でしかない。
……と、思っていた瞬間が福島勢にもありました。
「いったいどこの敗残兵だ」
「死体のフリして隠れとけば命は助かったのになあ」
そんな事を言いながら額に手をかざして遠くを眺めた兵が、驚愕で凍り付いた。
「さ……」
「ん? おい、どうした?」
「どこの負け犬じゃ?」
様子がおかしいのに気が付いた仲間が声をかけると、固まっていた足軽が小刻みに震え始める。そして出せる限りの大声で叫んだ。
「さ……薩摩が出たぞぉ!」
まるっきり津波かクマの襲来である。
だが。
そんな恐怖心いっぱいの警告に、周囲の者たちも一瞬で青ざめた。
「なんだと!?」
「薩摩じゃ! 薩摩が動き始めた!」
大慌てで叫びあう人の波は、一気に拡散していく。
「離れろぉ! また〇〇〇が飛んで来るぞっ!」
「こっち来んなぁっ!」
豊歌の教育の成果は、半日経った今も十分な影響を及ぼしていた。
◆
宿敵石田相手の完勝。その事実に気を良くしていた福島侍従は、不意に自分の陣の中で巻き起こった騒動に眉をひそめた。
「なんだ? 俺はもう、今晩の祝杯で頭がいっぱいなんだがな」
軽口を叩きつつも猛将は機敏に動き、高さを稼ぐために愛馬に飛び乗った。兵が騒ぐ原因を確かめねばならない。
だが、それは彼の致命的な失策だった。
◆
「押せい!」
「オオオオオォッ!」
島津豊歌の指揮する先鋒隊の突撃は、周囲をゆるく囲んでいた包囲網に一気に突破口を開いた。
それまで激戦のあいだ、全く動かなかった島津軍。それが急に走り出し、警戒していたつもりの福島兵たちも意表を突かれて逃げ惑う。
そして気迫で敵を追い散らした先鋒に続き、島津弘歌の率いる本隊、さらに山田隊、長寿院隊と続く。
島津軍の、栄光への敗走が始まった。
弘歌は一人で馬に乗るという訳にもいかないので、荷物を載せた
「や、あれは……」
髭のオッサンが、馬の上で目を丸くしている。弘歌はそのオッサンに見覚えがあった。
「あれは福島なのじゃ!」
せっかく
「ちょっと右に寄ってくのじゃ! 福島君に挨拶していくのじゃ!」
弘歌の指示は先頭に伝えられ……。
「なるほど。福島侍従に挨拶していくのですね? いい判断です」
何かを誤解した豊歌が号令を発し、島津軍は一斉に右に回頭した。
◆
馬上に上がると、混乱のもとはすぐに分かった。
「島津!? アイツら、今まで何もしなかったのになぜ今頃!?」
すでに他の反徳川派諸隊が敗れ去った以上、今さら島津が反撃したところで意味はない。歴戦の福島と言えど、なぜこの期に及んで島津がやる気を出したのかがさっぱり分からない。
「……今頃逃げ場がないと悟って破れかぶれになったか? 死兵の相手は厄介だな」
絶望で自棄になって突っ込んで来る敵は、守るものがないだけに相手をすると手ひどく損害を受けることもある。今まで戦闘に参加していなかった分、島津兵はまだ指揮系統も死んでいない。
「ヤツらの進路を開けろ! 正面から戦うな、受け流せ!」
狂戦士と化した一千の兵と、まともにぶつかってはやけどする。いったん避けて見逃し、あちらが逃走に成功して“生への執着”が出たところで追撃した方が良い。実戦経験の豊富な福島はそう踏んだのだが……。
「おーい! ふっくしっまくーん!」
まさか、せっかく逃げ道を開けてやったはずの島津軍がわざわざ突っ込んで来るとは……福島はいくさ上手がゆえに、理外の行動をとるロリ島津の対処を誤った。
「はぁっ!? おい、なぜこっちに来る!?」
福島隊は当然ながら、大将である福島侍従の周りが一番守りが固い。ところがそれをものともせず、島津隊はわざわざそこをめがけて突っ込んでくる。
「くそっ、踏みとどまれ! 持ちこたえろ!」
配下を叱咤激励するが、すでに一回戦勝に酔ってしまった兵たちは死ぬ覚悟ができていない。ただでさえ島津兵の精強ぶりは語り草なのに、それが真正面から突撃して来る恐ろしさたるや……。
腰砕けの福島兵を蹴散らし、島津軍は無人の荒野を行くかのごとくに突っ込んでくる。その中心で、幼女がニコニコしながら。
「福島君! ワシ、先に帰るのじゃ!」
「そんな事を、いちいち言いに来なくていい!?」
「それは失礼なのじゃ。挨拶は大事じゃと姉ちゃんに怒られておるのじゃ」
「時と場合を考えろっ!」
「まあ、そういうことですので」
弘歌と福島の怒鳴り合いにいきなり横から(本当に横から)口を挟んだ豊歌が、妙に嬉し気な笑顔で槍を振り上げ……。
「これにて失礼致します、っと!」
横殴りに振るった槍の柄で、福島を馬上から弾き飛ばした。
◆
ついに、天下に王手をかけた。
恐ろしい大公はすでに亡く、対抗できるような大勢力は軒並みいなくなった。そして今、彼を抑え込もうと謀った官僚派の者どもも自滅して果てた。
ついに来た自分の時代に感無量の徳川内府は、これまでの苦しい道のりにしばし思いを馳せていたが……なんだかおかしな騒ぎを耳にして我に返った。
「……なんじゃ? せっかく
気分を害してぶつくさ言う内府の元に、慌てた側近が駆け寄った。
「殿!」
「お、どうした平八郎。なぜ旗本どもが騒いでおる」
「それが……」
武勇並ぶ者なしとまで言われた内府の右腕が、戦闘中も見せなかった厳しい顔になっている。
「島津勢がいきなり突進をはじめ、ものすごい勢いで攻めかかって来ております」
「今頃!? どこへ?」
呆気に取られて質問した内府に、至極真面目な顔で平八郎は答えた。
「ここへ、です」
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物語の豆知識:
関ケ原でどこに誰がいたのか、実際に参加した人たちははっきりした記録を残していなくて確実なことは分からないそうです(後の資料はけっこう食い違いがある)。
徳川本陣が戦場の様子が分からなくて戦闘中に前進し、桃配山から関ケ原の中央付近に移動したのは確かなようです。ただ、その場所と言われているところが島津の陣から五百メートル離れていないんですよね……。
撤退を決断した頃には島津隊は三百人ほどになっていたと言われていますが……それにしても、まとまって勢力を残している敵から目と鼻の先過ぎる。そこに総大将が移動して来るのは、いくら何でもおかしい気はします。
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