第18話 敗戦! 関ケ原
まさに“敬遠”されている島津軍の周りでは、戦況は刻一刻と変化していった。全体には味方の旗色が悪いように見える。両側の小西と石田の部隊が苦戦しているからだ。
だが。
「来ないなら来ないで、つまらんのじゃ」
そんな戦況の中で島津勢への攻撃は、弘歌がぼやくように非常に散発的なものだった。
「豊歌様がうまく最初の攻勢をいなしたおかげですかね」
「うむ、さすがお豊なのじゃ。向こうの連中、わが島津に手も足も出ないと思ってビビっておるのじゃ」
何があったのかは知らない主従であった。
しかし、反撃に移ってくれないと暇すぎる。弘歌は暇すぎて、眠くなってきた。
「ちょっとお眠むじゃから、お昼寝するかの」
「ここでですか⁉」
「おまえたちががっちり守ってくれておるのじゃ。特に危険はないのじゃ」
「いや、まあ、絶対に死守しますけど……」
長寿院と新納は思わず顔を見合わせた。
確かに敵は島津本隊に届いていないが、豊歌隊や山田隊に攻めかかって来る敵兵がいないではない(相手が島津と気づくとなぜか悲鳴を上げて下がるけど)。
しかも慣れてる彼らでさえもうるさく感じるほどに、周囲は雄叫びや激しく金属をぶつけ合う音で包まれている。
この状態で、“特に危険はない”とは……。
陣幕に引っ込んで本当にスヤスヤ寝始めた弘歌を確認し、長寿院が唸った。
「やはり弘姫様は将の器だ」
「肝の太さがハンパないですね」
新納も笑い、視線を南に向けた。
「さて、ここからは大人の話と行きますか」
「ですね」
◆
戦闘開始からもう
「山側に布陣している者どもが、軒並み動いていませんね」
「多少慌てた様子も見えるが……前衛部隊の大名どもが、動き出す様子もまるでなし」
怖気づいたにしても動きがおかしい。ここまで戦局が進んで、なんの動きも見せないのはありえない。
「すでに
「あの慎重な内府が、軽率に包囲陣へ飛び込んでくるわけですね。初めから、袋の口が半分破けているのだから」
やはり徳川は役者が違った。罠にはまったのは官僚派のほうだ。
「追撃されるのを前提に、隊を組み直した方が良いですね」
「前後を長寿院殿と私でそれぞれ受け持ちましょう。弘歌様は二番隊に」
半分予期していた二人の重臣は、特に慌てるでもなく今後の策を話し合った。
◆
「むーう、良く寝たのじゃ」
弘歌はぐしぐし目をこすりながら起き上がった。眠気も癒えて、さっぱり。
「む?」
待機している者に声をかけようとしたけど、その前にやけに静かなのが気になった。
「もしかして……寝ているあいだに終わっちゃったのじゃ?」
それなら起こしてくれればいいのに……とちょっとむくれた弘歌が外に顔を出すと、陣幕の前は寝る前と特に変わってはいなかった。
「あ、殿様」
陣幕の前に槍を持って立っていた中馬が振り返った。護衛のつもりらしい。
「中馬、いまどんな状況なのじゃ」
「ははっ、相変わらず敵はおいどんらを避けておりもうす」
「ワシが寝る前と変わっておらんのじゃ?」
「はっ」
中馬がこっくり頷いた。
「お味方が総崩れになって敗走した以外は、特に変わったことはありもうさん」
◆
「
「あ、弘姫様。おはようございます」
「おはようございます、じゃないのじゃ! 味方が総崩れって、どういうことなのじゃ!?」
「はっ」
長寿院が南方を指さした。
「南側一帯の動きが当初からおかしかったのですが、昼頃に小早川勢が」
「
「突如、お味方の陣へ雪崩れ込みました」
「なんと!」
弘歌は痛ましそうに顔を歪めて、南を見た。
「金吾、かなり頭の具合が悪そうじゃったからなあ……痴呆が進んでおかしな方向へ突っ込んじゃったのじゃな」
「そうかもしれません」
この期に及んで、小早川中納言の真意はどうでも良い。
「そうすると、他の連中は?」
「松尾山に布陣していた各隊は小早川と一緒に大谷隊へ攻め込み、大谷殿は戦死して隊は全滅。横が崩壊したことで徳川方の攻撃が集中した宇喜多隊、続いて小西隊も壊滅しました」
「それじゃ、残りは石田とワシだけか?」
「石田隊も頑張ったのですが、前にいるのが仲の悪い武官派の諸将だったので……」
「ああ……」
石田勢に攻めかかっていたのは敵味方を置いておいても、治部を一発殴りたくて仕方ない連中だ。弘歌も石田隊の運命は察した。
「石田のヤツ、この期に及んで助太刀を頼んでこなかったのじゃ?」
「使者が来たには来たのですが」
「うむ」
「馬上から降りもせずに早くしろとか叫ぶので」
「失礼じゃの。断ったか」
「『叔母様の教育に悪いだろうが!』と激怒した豊歌様に、引きずり降ろされて足腰立たなくなるまでド突かれました」
「お豊にド突かれるとは、それは石田の使者もご褒美じゃの。で?」
「その後石田殿本人が来たのですが、詫びの手みやげも持って来なかったので『殿はお昼寝中だ!』と追い返しました」
「それはいかんのじゃ。石田も礼儀がなってないのじゃ」
他人の礼儀には厳しい弘歌。
味方の状況は分かった。
で、ここまで聞いて問題は……。
「ということは……もうここに、味方はワシらしかおらんのじゃ?」
「敵も大半がいなくなりました。西へ敗走するお味方を追いかけて行ったので、北国街道や中山道はは敵味方で渋滞を起こしています」
「ふむ」
中馬によじ登って周囲を眺めると、周りにいるのは追撃の順番待ちをしている敵ばかり。
「どうしようかのう」
石田君がぼろ負けしてしまったのでは、この関ヶ原にいても仕方ない。落ち着いて戦場の片づけを始めた徳川方に、完全に包囲されて全滅するだけだ。
ぐるっと見回してみる。眼前の福島隊、その向こうに松平隊と井伊隊、北側には黒田隊。戦いが進んでいるあいだに移動して来たのか、思いがけず近いところに徳川内府の本隊も揃っている。
都の方角を見ても、そちらも大軍が移動していてどこが誰やら……。
◆
弘歌が起きたと聞いて、別部隊を指揮していた豊歌や山田も集まってきた。
豊歌が発言した。
「この通りですので、もう戦の勝敗はよろしいでしょう。あとは我ら自身がどうするかだけの問題です」
「うむ」
山田ができる事を数え上げる。
「一つ、逃げる。その場合はどう逃走するかもあります。
一つ、ここで徳川方相手に全滅するまで戦う。
一つ、無茶を承知で徳川内府の陣に首を取りに行く」
「迷ってしまうのじゃ」
せっかく畿内まで来たけど石田がふがいなくて、我が島津は出番が無かった……お昼寝のせいではない。決して。
ならば全滅するまで戦って武士の一分を通すのも薩摩隼人らしいけど、勝敗が決まって掃討戦に移行した後にそれをやっても……。
「なにか、あっと言わせないと島津の名が高まらぬのじゃ」
それではあの世で姉に会っても、合わす顔が無い。
弘歌が顔を上げると、豊歌はじめ主だった皆が見ている。
「うむ、ここはワシが決めねばならぬのじゃ」
とるべき方針は……。
「よし、なのじゃ」
「決まりましたか」
「うむ。後で“さすが島津”と言われるには、並の事をしていてはダメなのじゃ」
弘歌は地図を見て、ビシッと一本の道を指さした。
「逃げるのじゃ。ただし、内府の度肝を抜く逃げ方をするのじゃ」
弘歌の示したルートを見て、重臣たちはそれぞれに呻き声を漏らした。
「姫、これは……」
「……なるほど」
「ありかもしれませんね」
「いや、おもしろい」
「ちょっと小道具も持って来たのじゃ。徳川派の連中に、我が島津の逃げ足を披露してやるのじゃ」
弘歌は軍配を掲げた。
「ワシらは逃げるのじゃ……前へ!」
弘歌の号令一下。
のちに「島津の退き口」と語り草になる……日ノ本史上もっとも苛烈にして、もっとも頭のおかしい
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物語の豆知識:
「南宮山の毛利が動かなかった」という話は知っていたのですが、改めて地図で調べたら南宮山て桃配山の家康本陣より更に岐阜側、関ヶ原の外なんですね。
ここにいた毛利や長束はそもそも決戦部隊じゃなくて、尾張・美濃方面からの東軍の援軍に備えていたのでは……西軍の戦略が余計に分からない。
しかも毛利、島津より遅く敗戦翌日に移動始めているし。
この話の本題、どうしても後半に寄るよなあと思っていたのですが……島津の退き口に行きつくまでに、5万字行ってしまいました。
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