第11話 リオの矜持
出来るだけ親切に、この国の為に働くように……
それだけを頭に入れ、リオは柚子に接してきた。
『ありがとうございます』
それなのに柚子は本当に嬉しそうに礼を言う。
……何も知らない市井の娘はそんな反応をするのだと、貴族の子息の話で聞いた事がある。それが貴族令嬢とは違い、新鮮で良いのだと囲う者が一定数いる事も聞いていた。
(……ふうん、これが……)
そう心を切り離そうとしても、目を逸らせない自分に気付く。慌てて顔を背けては、やはり上手く取り繕えない自分に動揺が広がっていく。
『ありがとうリオ、私をここに呼んでくれて。必要としてくれる人がいて、とても嬉しい』
飾れない柚子は、本心からそう告げているのが分かる。その度リオの貼り付けた笑顔が剥がれそうになる。本心が零れそうになる。
だからリオは柚子に話した。
自分が王族である事。将来聖女と結婚する事。
柚子は喜ぶだろう。権力に目が眩む筈だ。そして彼女から生まれる欲に幻滅し、距離を取ろうと目論んだ。
『柚子、君は僕と結婚するんだよ』
けれどその言葉に柚子は瞳を揺らし、申し訳無さそうに首を横に振った。
『……いくら何でもそれは、分不相応だと思うの』
そうして柚子はこの世界に呼んで貰えて嬉しいけれどと、自らの境遇を告げた。そして役目がある事に感謝しているとこの話を締め括った。
『リオにはちゃんと相応しい人がいると思う。私は元の世界でも平凡な人間だし、身分が釣り合わないもの』
そうして柚子から手を離される事に、リオは心がスッと冷えるのを感じた。
『──柚子、これは慣例なんだ。国から聖女へ捧げる、精一杯の敬意』
『ありがとう、でも私は受け取れないわ。こうして良くして貰っているだけで充分だもの』
明るく笑い、身を翻す柚子にリオは固く目を閉じた。
それでも彼女はもう自分の心から消えない。
だから、暗く、模索した。
どうしたら彼女の心を自分に向ける事が出来るだろう、と。
リオは柚子に渡す聖樹の種を、果物のそれとすり替えた。
やがて何の反応も示さないそれに、周囲は苛立ち、柚子からは笑顔が消えて行く。
自分だけは変わらないまま──いや、心の奥ではもっと深まっていくのを隠し、柚子に笑いかける。
『柚子、気にしないで』
『……ごめんなさいリオ。私、あなたの役に立てないみたい……』
落ち込む柚子は、それでもリオを頼らなかった。
捨てないで欲しいと縋らない。
そんな柚子の姿を目にする度に、どうしてと思う反面、自分の中で彼女の存在が次第に大きくなっていくのに気付く。
それなのに……彼女には自分しかいない筈なのに……やはり彼女は助けを求めない。
もどかしさに駆られるも、柚子の神殿内の扱いに不満が漏れ始めた事から、リオは兄に頼み、再度儀式を執り行う事を求めた。
『聖女はそんなホイホイ呼べるような存在じゃない……というか、異界人であれば誰でもいい筈なんだが……どうして彼女は駄目なんだ?』
困惑する兄にリオは出来るだけ殊勝に答えた。
『ごめん兄上、僕は柚子を好きになってしまったんだ。だから聖女として神殿に置きたくない』
兄は目を丸くし、腰を抜かして驚いた。
けれど自身が愛妻家である事からか、リオの心を否定する事は出来ないようだった。
『どれほど美しい貴族令嬢にも心を動かさなかったお前が……いや、だからこそか。平民の素朴な娘に心を囚われてしまったのは……だがなリオ、結局女は皆同じだ。それにその娘の目が眩むのは、不相応な力を持った後かもしれないじゃないか』
当然自分の妻は違うと確信している兄に苦笑するも、自分にもその一端が潜んでいた事に否定はできない。
だからこそリオは兄に笑いかけた。
『兄上、僕は臣下に降ろうと思います』
『──なんだって?』
『次期国王はあなたの子が継ぐのですから、早いか遅いかの話だけです。急に平民に落とすのは体裁が悪いでしょうから、貴族籍にして頂いたとしても、一代限りでいい。僕の事はそのように切り捨てて下さい』
『いきなり何を言い出すんだ、お前は……』
『怖いのです』
『怖い?』
『このままいけば僕は、持てる全てを彼女に与えてしまうでしょう。兄上の言う通り、いつか目が覚めるかもしれません。でもそれがいつかは分からないのです』
『……そんなに』
ショックを受ける兄に申し訳なく思いながら、リオは続けた。
『でも、まずは彼女に振り向いて欲しいのです。その為にお許し頂きたい事があります』
国内に残る聖女の血脈を利用する事。
そもそも柚子に渡した種が偽物である事も含めて。
◇
神殿内に居場所が無くなれば、柚子は自分を頼らざるを得ない。そんな考えもありセレナを神殿に置いたのだが、思っていた以上に不快だった。
セレナは女というものは強かだと、そう思わせるにはもってこいの人物だった。
その顔と明るい人柄で、周囲を魅了し籠絡していく。そうやって地固めを行い、自分の目的を果たそうとする姿──その醜悪な横顔には、女というものに兄が懸念するのもよく分かった。
セレナの近くにいながら、リオはその暴挙を食い止めるのに必死だった。来て早々柚子を毒殺しようとした事には直ぐにセレナを殺してやろうと思ったものだ。
しかし、どんなに探しても聖女の血筋は彼女だけ。王族の妻を担ってきた聖女の役割を考えれば、セレナという存在の方が異質ではあるのだから。
だから細かいところには目を瞑る。リオは目的の為に彼女を利用し尽くす事に決めた。
しかし柚子の近くにロデルが立った時、目的の一つが達成されたように思う。
柚子のホッとしたような笑顔……
ロデルはセレナの為に神殿に入り込み、柚子の懐柔に努めていた。そんなロデルの真意には気付かず、彼の身分や上辺の優しさに親しみやすさを感じ、あっさり心を許してしまう柚子に腹が立ったから。
そんな自分に気付いた事……
(君は僕のだろう? 僕に尽くすと言ったよね?)
これが嫉妬なんだろうか。
それともただの所有欲だろうか。
分からないけれど、柚子が自分以外に笑顔を向ける事が許せなかった。
彼女の境遇が悪くなろうと、見過ごしていたのは都合が良かったのもある。けれど楽しそうに笑う柚子に、自分が感じる痛みを少しくらい味わわせたかった思いもあった。
リオは元々王族として何不自由なく暮らしてきた。欲すれば手に入る事も、望み通りに事が運ぶのも当然で。リオの中の王族としての矜持が、その時はまだ、彼女を屈服させたいと叫んでいた。
やっと彼女が連れ去られた時だ。
行き先は娼館だと、張り込ませた王家の騎士から聞き。ロデルに斬り殺されそうになった場面に駆けつけ、彼女という存在に心から平伏してしまったのは。
『リオ』
失くしたくない思いと、死の間際に自分の名を呼ばれて嬉しくて、堪らなくて泣きそうになった。
『柚子、ごめんね』
そう伝えれば柚子の身体は、まだ恐怖が抜け切っていないのだろう。はっと強張り、気を失ってしまった。
その身を何よりも大切に抱え、リオは帰城した。
そしてその足で神殿へと向かい──
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