第12話 目覚めれば


「う……」

 

 眩しい光が瞼を照らし、柚子は薄目を開けて首を捻った。


「……あれ?」


 見慣れた自分の部屋とは違う。

 いや、これは最初聖女として迎えられた部屋で寝たベッドのような寝心地だ。

(いやだ! きっと寝ぼけて部屋を間違えたんだ!)


 こんなところを誰かに見咎められたら何を言われるか……

 柚子は急いでベッドから転がり出た。


「おはようございます、お嬢様」

「ひゃっ!」


 床に手をついて這いつくばっているところを、目の前で誰かの足が道を塞いだ。

 怖々と顔を上げれば、メイド姿の年嵩の女性が眼鏡のブリッジを押し上げ、きりりと柚子を見下ろしている。


「あ……あの、ごめんなさい。私、部屋を間違えてしまったようで……」

 所在なさげに呟く柚子に対し、女性の返事は確信に満ちている。

「間違いではありません。こちらはお嬢様の部屋でございます」

「いえ、でも……」

 柚子はベッドを振り返り、部屋の間取りをぐるりと振り返った。

(あれ?)

 記憶にある、聖女として最初に与えられた部屋とは違う。──で、あればここはどこだろう?


 おろおろとしゃがみ込む柚子に、女性ははぁと溜息を吐いた。その動作に柚子の身体がびくりと跳ねる。

「確かに教える事が多すぎて、そこらの指導者では音を上げそうですね」

「あの……」

 妙に迫力が増した女性を見上げ、柚子は息を飲んだ。

「私は王命によりあなたの礼儀作法の教育係となりました、ジョアンナです」

「はい……え、」

 意味が分からず目を丸くする柚子に、更に別の人物が目に入った。

「ジョアンナ、退室しなさい」

「……殿下」

「リ、オ……」


 よく見慣れた顔。

 けれど、ずっと見てきた優しい表情は消え、冷ややかな雰囲気で、ジョアンナを圧倒している。

「承知しました殿下」

 頭を下げて退室するジョアンナを見送り、柚子はリオを見上げた。

「あの、リ……殿下。私──」

「柚子、目が覚めて良かった。……気を失う前の事を覚えている?」

 表情を緩め、リオは柚子の頬に手を伸ばした。

「えっと、あの……」


 起きる前?

 それよりどうしてリオは優しいんだろう?

 セレナは……

 目の前の光景が信じられず、柚子は記憶を探る為に辺りに視線を彷徨わせた。

「ああ……!」


 突然闇夜に見た記憶が浮かび上がり、柚子は恐怖に頭を抱えた。

 夜中に自分が神殿を出た事、ロデルに殺されそうになった事、ロデルが死んでしまった事……

 

「リ、……」

 言い掛けてごくりと喉を鳴らす。

 心配顔のリオを、柚子は顔を強張らせて見上げた。

「怖かっただろう……もう大丈夫。ここは王城の客間だよ」

 慰るリオに柚子は首を横に振った。

「わ、私。あなたが怖いわ……だってロデルを……」

 怯える柚子にリオはゆったりと微笑んだ。


「聞いて柚子、僕は君が彼に殺されそうになってるのを見て……いや、連れ去られる事を聞いて追いかけたんだよ。殺したのは、それしか手段が無かったからだ」

「で、でも……」

 柚子は必死に頭を巡らせる。

「私はセレナさんに頼まれたのよ、あなたの為に出て行って欲しいと……」

 セレナの名前を聞いて、リオは顔を顰めた。


「それなら夜中にこっそりと出て行く必要なんて無いだろう? 騙されたんだよ柚子、可哀想に……」

 眉を下げるリオに、柚子はふるりと震えた。


「でも……あなただって私を邪魔に思っていたでしょう? だから……ずっと冷たかったじゃない」

 込み上げたのは、責めるような口調で、それとと共にぼろりと涙が零れた。

 不思議だ。もう期待しないと決めていたのに。

 でも堰を切ったように溢れる涙が止まらない。


 驚くリオの顔を直視できず視線を逸らすと、両手が柚子の頬を包んだ。


「ごめんよ柚子、どうしても聖女の役目はセレナに頼みたかったんだ」

 リオの瞳を間近で直視してしまい、けれど逸らせずに固まってしまう。

「……私が……与えられた役割を果たせなかったから……? ごめんなさいリオ」


 途端に申し訳ないという思いが込み上げる。

 結局原点はそこなのだ。柚子が役立たずだから……

 でも本当は柚子だって聖女としてリオの役に立ちたかった。


「柚子」

 柚子の頭を撫で、リオはにこりと笑う。

「言っただろう、僕は柚子にお嫁さんになって欲しいって。聖女の役割は他の誰かに任せただけだよ。でも僕には君しかいないんだ」

「え、リオ……何を言ってるの?」


 落ち込んでいた心がよく分からない方向に引き上げられ、益々困惑してしまう。


「あのね、柚子……僕は君が特別過ぎて、他の誰かの為の聖女になって欲しくないんだよ。──ねえ、君には必要だった? 聖女という役割が」

 柚子は急いで首を振った。別に聖女になりたかった訳ではない。ただ……

 ここにきて、柚子にはリオしかいなかった。

 聖女になればリオが喜ぶと思ったから。

 だから──リオの為に……


「……っ」

 顔からボッと音を立てて、熱を放つ気配を感じてしまった。

「あは、良かった」

 柚子の反応に納得したように、リオはホッと息を吐いた。


「セレナは聖女になりたかったからね、手伝っていただけだよ。彼女は後から来た立場だし、神殿に認めて貰う為には王家の承認があるって思わせたかったんだ。……でもそれで君の処遇が疎かになってしまった事は理由にはならない。神殿の者も、僕自身も罰を受ける事にしたよ」

「えっ」


 柚子は驚きに顔を上げた。

「リオが罰? どうして……?」

「大した事じゃない、王籍を外れ辺境領へ行くだけだ。領主が後継に恵まれなくてね、僕が養子に入る事になったんだ」

「え、リオ……王族じゃなくなってしまうって事?」

 

 よく分からないけれど、辺境領に左遷……みたいな事だろうか。……自分のせい、で?

 混乱する柚子の両手を包み、リオは少しだけ緊張を滲ませて告げた。

「ついてきてくれる? ……柚子」


 そんなの当たり前だ。自分の為なのだから。

「も、勿論だよ! 私で役に立つのなら!」

「良かった」


 ホッと肩の力を抜くリオに柚子の思考はぐるぐると巡っていた。

 自分がついていったところで何が出来る訳ではないかもしれない。

 でも今リオの話を聞いて罪悪感を覚えてしまったから。

 

 柚子はリオに対し、がっかりしていた時期が確かにあった。自分が悪いのだと分かっていたけど、それでも柚子にはどうしようも出来ない事だという不満も確かにあって。


 でも、


 少しでも自分を慮っていてくれたんだと知って、絆されてしまう。こんなに簡単にとも思うけれど、リオが優しいのが嬉しい。


 ……優しい?


(あれ、でも私……リオに剣を首に突きつけられてなかった?)


 ぶわっと込み上げる恐怖に柚子の頭は再び混乱する。


「柚子、大丈夫? やっぱり起きたばかりだから、もう少し休もうか」 

 様子のおかしい柚子にリオが声を掛け、膝裏に手を入れ身体を抱き上げた。

「わあっ……!」

 驚きに思わずリオの首にしがみつけば、リオは満足そうに笑った。

(駄目だわ、この笑顔に流されちゃ。私、ちゃんと自分の目でリオを見ないと。……ロデルみたいな事になってしまうものね)

 ぎゅっと口元を引き結ぶ柚子を、リオは静かに見守っていた。

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