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――――――



『ねー、薫くん、はやく帰ろうよー』


『ん……。でも、ねえのこと待ってないと!』


『えー、お姉ちゃん、あと一時間授業があるから、先にかえってていいよって言ってたじゃん』


その教室には、もうまばらにしか子どもたちは残っていない。

窓の外に、嫌な雲が空を覆っているのが見える。

雨が降りそうだから、みんなきっと急いで帰ってしまったんだと思う。


私は座ったままで動かない薫くんの前の席に腰かけて、顔をのぞきこんだ。

たまたま家が近所だったから自然と一緒に登下校するようになった男の子は、あまえんぼさんで極度のお姉ちゃんっこだった。


ひとりっこである私は幼心に二人の関係が羨ましかった。二人は背丈も顔立ちも瓜ふたつで、おそろいの服を着て手をつなぎ並んで歩く姿は仲睦まじい双子のように見えたものだった。


『うーん、そう、だね。花音ちゃんにも一緒に待ってもらうのは、悪いもんね』 


すくっと立ち上がった薫くんは、座ったままの私を見下ろしてにっこりと笑顔を見せた。そしてランドセルを背負い、黄色の帽子をかぶり、水筒を肩にかけると『いこう!』と手をさしだした。

            

昇降口から出ると強い雨が降り始めていて、すでに広い校庭にはあちこちに水たまりができていた。

やっぱり今日は長靴にすればよかったな。

朝、スニーカーを選んだ自分をちょっぴり恨めしく思いながら私は傘を開く。

お母さんにお願いして買ってもらった、コスモスの大人っぽいデザインがお気に入りの傘だ。


『あ、花音ちゃんの傘かわいい』


『えへへ、ありがとー』


私は、ニコニコしている薫くんが自分の傘を開くのを待つ。


『花音ちゃん帰らないの?』


『えっ、薫くん傘は?』


しばらく、雨音しか聞こえなくなった。


『……ぼく今日傘忘れちゃったんだけど、大丈夫だよ。お家にかえってきがえるから』


けろりとして答える薫くん。帰り着くまでには子供の足では二十分以上かかる。心なしか雨脚が強くなった気がした。こんな中で傘もささずに歩いて帰って風邪を引かないわけがない。


『だめだよ! じゃあ、花音の傘に入れてあげる』


『いいよ』


『だめ!』


『大丈夫、ぼくは強いから』


『薫くんが花音の傘に入らないなら、花音もここから動かないんだから!』


私がコスモスの傘をさしだすと薫くんはじっと私と傘を交互に見つめて、フイッと視線をそらして口を開いた。


『……だって、ぼくが入っちゃったら花音ちゃんがぬれちゃうでしょ。花音ちゃんに風邪なんて引かせたくないの』


『薫くんが風邪引いて学校お休みしちゃったら、花音はひとりで帰らなきゃいけなくなるよ……?』


『……それはだめ。もうっ、花音ちゃんのわがまま。わかったよー』


薫くんはコスモスの傘を私から取り上げると、さも自分の傘であるかのようにさしだしなおす。

わがままなのは薫くんでしょって思ったけど、言わなかった。

これできっと薫くんが風邪をひくことはないから。

まあいいかなって。


『そのかわり、傘はぼくが持つからね』


そっぽを向いているその頬は少しだけ赤く染まっているような気がした。


『うん!』


私は笑顔でうなずき、小さなコスモスの下に入る。

薫くんは歩き出すとさっそく嬉しそうにお姉ちゃんの話を始めた。

きっと傘を忘れているだろうから、後で一緒に迎えに行こうって。本当にお姉ちゃんが好きなんだなあって、ほほえましくなる。薫くんのお姉ちゃんはたしかに可愛らしいくて、優しくてお日様みたいで、私も大好きだった。


まだ通いなれない通学路は、雨が降るとまったく違う道に見えて少しだけ怖い。

だけど薫くんと一緒だとなんとなく安心できた。

薫くんが風邪をひかないように、私はいつでも傘をさしてあげたいなって思う。



――――――

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