歪曲 残り0日

神はこの世界の全てを見ている。

自分が紡いだ運命を小説へと変えながら、

人間が歪んでいく様を愉しんでいた。

「咲凛花、一応確認なんだけど、

体調とか大丈夫か?」

息吹が心配そうに聞くと、

咲凛花は活発そうに頷いてみせる。

「怖いくらい元気だよ。

今日、何回かそれ聞かれてるけど、

顔色とか悪い?」

「いや、そうではないけど。嫌な予感がしてさ」

「確かに、良い予感は当たらないけど、

嫌な予感は妙に当たるよね」

「当たってもらっちゃ困るんだけどな」

息吹は力無く苦笑いをする。

二人は花火を見終え、帰途についている所だった。

彼らが手を繋ぎ歩いている歩道には、

同じように花火大会を楽しみ終えた人間達の

姿も多くあった。

家族連れや友人、恋人同士、

小学生くらいの子供達、様々な年代の人が

大きな塊になって歩道を移動していく。

その中で、ショートカットで

黒尽くめの服を着た、

中学生くらいの女が独りで歩いているのを

息吹は発見した。

彼は直感的に、

その女を知っているような気がしたが、

それが誰かは考えても分からなかった。

横の車道は不思議なほど車の通りが少なく、

道の周りには街灯がそれなりに設置されていて、

ここで咲凛花が死ぬところなど想像出来ず、

息吹は少しの安心感と高揚を覚えていた。

乗り切ったのではないか、と。

神の宣告した咲凛花の命日が終わるまで、

残り三時間もない。

何が要因となってここまで彼女を生かすことが

出来たのかは分からないが、

結果的に咲凛花が生きてさえいれば、

彼にとってそんなものはどうでもよかった。

そして、人混みに紛れ、夕陽は安堵していた。

彼女は血生臭い路地裏から明るい道へ出て

帰り道を歩いていると、

たまたま同じ進行方向に

歩く人間の集団とぶつかった。

仕方なくその集団の一員となり歩いていると、

すぐ隣から知っている声が聞こえてきて驚いた。

見ると、雰囲気の一変した咲凛花の姿があり、

さらに男と手を繋いでいたものだから

驚きのあまり声が出そうになった。

だが、咲凛花達には

夕陽の存在に気付く素振りもなく、

寂しいような、ほっとするような、

複雑な感情が胸の中で渦巻いた。

横目で咲凛花の表情を見ていると、

彼女は、すでに夕陽の知っている

彼女でなくなっていることが分かってしまった。

そこにいる、可愛らしいスカートを履いて、

幸せそうな顔で笑っている少女は、

かつて、女の子らしさに

憧れていた時の彼女ではない。

怖がりで暗くて、自己主張が苦手で、不幸な

咲凛花の姿はもう何処にもないのだと、知った。

「もう、私のことはどうでもいいか」

夕陽は呟いていた。

自分のエゴに従って許しを乞うことよりも、

このまま咲凛花の記憶から

いなくなってしまうことが、

何より咲凛花の幸せに

繋がるような気がしたからだった。

そうして、彼らを含む人間の集団は歩き続ける。

先には十字路があり、赤と青に点滅する信号機と

交差していく車のヘッドライト、

寂れた街灯が夜を彩る。

「ねえ、息吹。

変なこと、一つ、聞いてもいい?」

「いいけど、何だよ?」

「息吹はさ、どうして私に、

ここまでしてくれたのかなって、思って」

「それは、お前が可愛かったからだよ」

「うん」

咲凛花は息吹の目を、じっと見つめる。

「じゃあさ、もし、

息吹の席が私の隣じゃなかったり、

別のクラスに転入したり、

引越し先が違う場所で、

同じ学校じゃなかったとしても、

可愛いからってだけで、

息吹は私に会いにきてくれたかな?」

「行ったさ。咲凛花がどこにいたとしても、

俺たちは会って、

こうやって一緒に手を繋ぐことになる」

「そっか。それじゃあ、私達、まるで」

咲凛花は恥ずかしげに、

それでいて甘ったるく笑った。

「運命で結ばれてるみたいだね」

その瞬間、息吹は、

彼女の言葉と表情に意識を奪われた。

幸せそうなその笑顔は、息吹がこれまでに

見てきたどの咲凛花の表情よりも

愛おしく、美しかった。

それ故に彼は、十字路に差し掛かろうとしていた

自分の周りに広がっていた、

異常な光景に気付くことが出来なかった。

咲凛花から視線を外し、周りを見渡すと、

つい先程まで一緒に歩いていた、

多数の人間達がいない。

唯一、ショートカットの少女だけは

近くを歩いていたが、

それ以外の大勢が、音もなく消えた。

刹那、背後から強烈な寒気を覚え、

振り返ると、そこには不気味で、

ある意味で幻想的な光景があった。

一緒に歩いていた家族連れや、友人同士、

カップル、小学生達、

全員が横並びになって、こちらへ手を振っていた。

彼らは何かに操られているように、

光の灯っていない目で

手を振る動作を繰り返している。

「痛い」

咲凛花の声が聞こえ、見ると

地面に手をついて蹲まる彼女の姿があった。

夜風によってスカートが捲られ、

露出した彼女の白い膝に

大きな赤い擦り傷が出来ていた。

転倒したのだろう、と瞬時に理解し、

息吹も地面に膝をつき、

咲凛花に傷の状態を確認しようとする。

その時だった。

明らかに彼の方を向いて、

車のヘッドライトの冷たい光が照らされた。

反射的に顔を向けると、

十字路の方から大きなトラックがこちらに

向かって真っ直ぐと、突っ込んできていた。

「あ」

息吹は、その時死を予感した。

初めて覚えた恐怖。

それによって起きた衝動が、

彼を狂わせ、無情にさせた。

息吹は、咲凛花と繋いでいた手を離した。

そして、数歩彼女から距離を取り、

何かに操られているかのように、

光の灯っていない目で、手を振った。

「待って、よ」

咲凛花は膝の痛みを忘れ、

息吹に見捨てられたのだという眼前の事実に

ただ、呆然としていた。

トラックは加速し、

咲凛花の方に向けて走り続ける。

遂に、その車体が彼女に接触しようとしたその時、

咲凛花の体は空に投げ出された。

「へ」

空中で体が回転し、一秒前まで私が蹲っていた

地点に倒れ込んでいるショートカットの少女と

目が合う。

「男選びのセンスが無いのは、

お互い様みたいだね」

「夕陽ちゃん」

見た目が変わっても、

最後に彼女に名前を呼んでもらえたことが、

夕陽にとっては嬉しかった。

直後、トラックは一切速度を

緩めることなく、夕陽を轢き去った。

肉の弾ける音、骨の砕ける感触、

散っていく血、変わっていく人間の形。

夕陽の表情は苦痛に歪みつつも

どこか清々しそうで、

咲凛花は潰れていく、

グロテスクな様子の彼女から目を離せなかった。

多量の血で汚れたトラックは

何事も無かったかのように車道に戻り、

どこかへ消えていった。

残されたのは、夕陽だった肉塊と

手を振り続ける息吹、そして咲凛花だけ。

「信じられない」

咲凛花がそう呟いたと同時に、雨が降り出した。

上空には雲一つなく、

超常的で激しい雨が傷付いた三人を打つ。

「ごめん」

罪の意識に耐えられなくなった息吹はそう叫んで、その場から逃げ出した。

縋るような彼の言葉は、

雨音に遮られて咲凛花には届かなかった。

「夕陽ちゃん」

咲凛花は雨に溶けていく夕陽の血を両手で掬って、

ゆっくりと立ち上がった。

「私も一緒に連れていってくれたら、

良かったのに」

彼女の頬から流れる涙は、

雨と混ざって分からなくなった。


その夜。

日付が変わる瞬間に、弟切咲凛花は絶命した。

死因は子宮外妊娠。

翌朝、母親の弟切朝顔に発見された時には、

彼女はベットの上に血塗れで倒れていたという。

大地との子だった。

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