歪曲 残り0日

弟切咲凛花は死ぬべきか。

俺は昨夜、作戦会議の中で彼らに質問した。

彼らは顔を見合わせた後、

俺に憐れむような目線を浴びせた。

咲凛花を生かすことなど考えたこともなさそうな、感じだった。

四葉は力強く頷き、言った。

「咲凛花ちゃんが生きなきゃ

いけない理由はないけど、

死ぬ理由ならちゃんとある。だから、死ぬべき」

朔真は困ったような顔をして、黙りこくっていた。

「俺が生きていてほしいって願っているのは、

咲凛花が生きなきゃいけない

理由にはならないのか」

俺がそう言うと、

四葉は当然のように淡々と言った。

「なるわけなくない?誰の気持ちも関係ないよ」

「そうかよ」

不貞腐れたように言い捨てて目を背けると、

朔真は提案してきた。

「それなら、

息吹が守ってあげればいいんだよ。

絶対、何があっても死なないように」

彼は俺を励ますように言ってきたが、

その声には覇気がなく、

咲凛花を諦めているのは明確にわかった。

「元々、そのつもりだった。

お前らは、手伝ってはくれなさそうだな」

彼らの方を向くと、朔真は首を横に振った。

「ごめん」

「いいや、これは多分、俺の我儘だ。

だから、これでよかったんだと思う」

俺は静かに目を閉じて、深く息を吐いた。


 目を開けると、見覚えのある

白いロングスカートと、そこから伸びる白い足、

使い込まれたスニーカーが見えた。

スカートは、昨日、購入したものだった。

信じられないほど穏やかな風が、

公園のベンチに座っている俺達を撫でた。

こんな時でも、

甘い匂いが風に乗って俺を酔わせていく。

この匂いについて、昨夜、

朔真が教えてくれたことを思い出した。

俺はベンチから立ち上がり、

両手を広げて咲凛花を誘う。

彼女の白い頬が赤くなるのを見て、

甘い匂いは一際強くなり目眩すら覚えた。

咲凛花の細い腕が腰に回されて、

俺は彼女の柔らかい体を抱き締めた。

髪の匂い、肌の温度、柔軟剤の香り、

少し荒い呼吸、心臓の鼓動、低くて愛おしい声。

強く強く抱き締めて、神経を集中させる。

そして、目一杯、甘い匂いを吸い込んだ。

刹那、咲凛花との性交を求めて暴れる

心の中の怪物を抑え込む。

「菫と関わって、匂いの正体が分かったんだよ」

朔真の声が蘇ってくる。

「行き場を無くした性欲は姿を変える。

真っ黒でどろどろした独占欲と、

それによる嫉妬になる。

そういう負の感情が、

あの匂いを感じさせてしていたらしい。

四葉と僕達の違いは、そこにあった」

四葉の楽しげな笑い声が聞こえてくる。

「人間って、やっぱり歪んでるね。

やりたいならすぐやればいい。

そうしないから、歪んでいく。

どんな動物よりも非効率的で、

馬鹿みたいじゃん」

「咲凛花」

耳元で彼女の名前を呼び、

意識的に四葉の声を遠ざけた時には、

心の中の化け物は静まっていた。

咲凛花は自分だけのものであると、

上手く自らを錯覚させること。

それが、甘い匂いを抑える唯一の方法だと

昨夜、朔真は教えてくれた。

俺は優しく、咲凛花の頭に手を乗せて撫でた。

彼女は気持ちよさそうに目を細め、

その表情は愛らしく、猫を思わせた。

甘い匂いの霧が晴れた俺の心の中には、

得体の知れない感情が渦巻いていた。

今までに覚えてきた全ての感情が濾過されて、

ただ、咲凛花を死なせたくない、

という欲求だけを頭の中で理解することが出来る。

それが、性欲によるものなのか、

それとも仲間意識か。

俺にはそれすらも分からなかったが、

不思議と悪い心地はしなかった。


 横を向いてガラスの向こう側を見ると、

太陽は完全に沈んで、黒色の空が広がっていた。

以前咲凛花に

この街の花火大会は全国的に有名だということを

と教えてもらっていたが、

どうやらそれは本当らしく、

普段より明らかに通行人や車の数が多く見えた。

この店から夏祭りの行われるらしい

河川沿いの会場までは、

歩いていける距離にある。

手にしていたハンバーガーを一口齧り、

店内に掛けられていた時計を確認すると

時計の針は七時三十分を指していた。

神の言うとおりにいけば

あと四時間三十分以内に

咲凛花は死ぬはずだったが、

今日、これまでは違和感を感じるほど

平穏な日常が目の前で繰り広げられていた。

「なあ、咲凛花。具合とか、悪いところないか?」

テーブルを挟んで座っていた咲凛花は首を傾げる。

「全然、何も変なところはないよ。

というか、不思議なくらい、具合良い」

「なら、いいんだけどな。

でも、どんな小さいことでも、

何かあったら言ってくれよ、絶対」

「心配性だね」

咲凛花は自然な笑顔で言った。

「そんなに心配しないでも大丈夫。

それに、今日はお祭りなんだから。

死んだりとか、

そんな縁起の悪いことは起きないよ」

彼女は白いシェイクを啜り、

空になった透明な容器をテーブルに置いた。

「でも、神様を祭る日に死ぬなんて、

まるで神様に連れていかれちゃうみたいだね」

ガラスの向こうの空を眺め笑う彼女の表情が

どこかそれを望んでいるように見えて、

俺は思わず聞いてしまっていた。

「死にたいのか?」

「え」

咲凛花は数秒考えた後、首を横に振って見せた。

「いや、今は、死にたくはないかも」

「そうか」

この時彼女の浮かべた笑顔は、自然ではなかった。

もし、俺以外のこの世界の全てが

咲凛花が死ぬことを望んでいたとしたら、

彼女を救うことは間違っているのかもしれない、

という考えが頭をよぎった。

実際、俺が咲凛花に死んでほしくないのなんて

所詮、俺のわがままでしかない。

このまま、彼女が死ぬのを見届けるべきか。

それとも俺の勝手な欲望に任せて、

彼女を救おうと最後まで足掻いてみせるべきか。

俺にはどちらが正しいのか、

そもそも正解があるのかすら分からなかった。

ハンバーガーショップを出て、

俺達は祭り会場に足を向けた。

手を繋いで歩いていくと、

立ち並ぶ沢山の出店と大勢の人、騒がしい声、

眩しいくらいに明るい光景が見えてきた。

嬉しそうな声を漏らし、咲凛花は笑った。

「私、お祭りなんて

小学生の頃に行ったのが最後だったんだ。

ずっと行きたかったから、楽しみ」

風に乗って屋台からいい匂いが漂ってきて、

物価の高い祭りでの出費を抑えるために食べた

ハンバーガー一個ではまるで満たされない、

俺たちのお腹が同時に鳴った。

すると、彼女から手を握られる力がふいに緩んで、

そして強く絡み直してきた。

空いている左手で口元を隠して、

嬉しさと恥ずかしさの混ざったような表情で

こちらをじっと見つめる彼女と目があった。

屋台の方からのオレンジ色の光が

彼女の白い肌に反射して綺麗で、

目は星のようで、触れている右手の

感触が幻のように分からなくなっていく。

俺という人間には、

咲凛花の存在はあまりにも美しく見えてしまった。

それはまるで、神のようで、

彼女を失ってからの未来には、

意味を見出すことが出来ないことに気付いた。

酷く盲目的なのは、理解していた。

それでも、俺は咲凛花が、

好きな人が死んでしまうことを認めたくなかった。

「咲凛花」

俺は俺のエゴに従って、

お前の神になることに決めた。

今夜、死にたがっていたお前を、

死ぬべきだったお前を、無理矢理にでも生かして、

この冷たい世界で、

俺だけを頼って、俺だけに従って、

俺の為に、生きてほしい。

屋台の方からの騒ぎ声に

紛れて聞こえなかったのか、

何も知らない咲凛花は

涼しげなラムネの屋台に目を向けていた。

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