粛清 残り1日
何故こんなにも簡単なことに気付けなかった
のか、自分で自分が分からなかった。
夕陽ちゃんの次に、
大地に体を金で売られるとすれば
彼の彼女だった私に決まっている。
大地の言葉が嘘であることを分かっていながら、
彼を信じてしまった自分が愚かだった。
彼は本当は私じゃなくて、
私と付き合っている自分のことが好きで、
それを悟った時、私は何故「私を見て欲しい」
と願ってしまったのか。
どうして彼を見限ることが出来なかったのか。
思い返してみれば、
ずっと、夢を見ていたような気もする。
勝手に期待して、
幻滅するのが嫌で現実を見ようともせずにいて、
自分が作り出した幻に踊らされた。
あの日、夕陽が犯されているのを
カメラで撮影していた時の私は、
心の底から晴れやかな気分だった。
大地はいつも私に甘い言葉をかけて、
求めてくれたのに、
いつまでも夕陽が
彼の形式上の彼女だったからだった。
そして、ようやく夢から覚めた時には、
もう遅かったのだ。
私の両脚は、それぞれ肌質も骨の角張り方も違う、
熱をもった幾つもの
手のひらに押さえ付けられていた。
背中にはぴったりと湿った肌が密着していて、
身体中どこにも力が入らなかった。
上下に激しく揺れる視界には、
透明な薄いガラスを
挟んで明るい住宅街が広がっている。
視界の端に、色素の薄い綺麗な髪の少女がお腹を
摩りながら歩いているのが見えた気がした。
「まあ、散々使ったけど、最後だしな」
斜め下から声がして、
次の瞬間、私の中で動いていたものから、
熱い液体が流れ込んできた。
彼は声を漏らしながら性器を私から抜いて、
口角を吊り上げながら机の上に重ねられていた
一万円の枚数を嬉しそうに数え始める。
「35万。七人いるから、一人五万で、合ってるな。
じゃあ、後は自由に使ってくれ。
あ、そうだ。記念写真でも撮ってやろうか?」
彼は私のカメラをこちらに向けて、言った。
「誰か次いれろよ。
お前が夕日にやったみたいに、撮ってやるから」
腹を圧迫されるような感覚と同時に
フラッシュが焚かれ、
卑しい笑い声が部屋中に広がった。
撮影した私の写真を見せびらかして、
まるで幼稚な子供のように笑っている彼らを見て、
少し前まで私は向こう側にいたのだと思うと
寒気がした。
このまま彼らに犯されれば、
私が犯してきた罰は
全ての人に許されるのだろうかと、
ふと考えてしまった。
そんなことは、ある訳がない。
あってはいけない。
罪は消えるものではなく、一生、背負うものだ。
この罪を背負って、いつか取り込んで、
私は、かつての私のように幻に
囚われている人間を、救ってやりたいと思った。
それが私の出来る世界への償いで、
ありもしない
幸福な夢から覚まさせてやることこそが、
誰も傷つくことのない、
平和な世界を造るのだと悟ったからだった。
私は静かに目を閉じた。
彼らに体を預け、
抵抗を試みることすらやめてしまった。
彼らは獣のように、私に触れた。
次に目を開けた時には、
先程まで私に伝わっていた彼らの熱い体温が、
コンクリートのような
硬くて冷たい、無情な温度に変わっていた。
「ねえ」
いつの間にか外に移動したらしく、
夏らしい香りのする
風が私の粘ついた体中を撫でた。
癖で前髪を触ると違和感がして、
べったりと精液が手に付着した。
私を照らす光がオレンジ色をしていて、見ると、
太陽が半分落ちようとしているところだった。
これまでの人生が出来の悪い夢では無かったことに軽く憂鬱な気分になる。
「ねえってば」
聞き覚えのある声が聞こえ見ると、
記憶している彼女とは雰囲気が一変した、
黒髪のショートカットの少女が目の前で
無表情で立っていた。
清楚な感じを纏う彼女の容姿と、
大胆に生足を露出させた
短いスカートが似合っていなかった。
「夕陽」
反射的に彼女の名前を呼ぶと、
夕陽は同情するような優しげな目で私を見下した。
彼女は少し、高揚した声で聞いてきた。
「次は、誰?」
私は瞬時に、夕陽は
大地の事を聞いているのだと理解していた。
夕陽から私、そして次に襲われる女子の名前を、
彼女は欲しているのだろうと思った。
せめてもの、罪滅ぼしのつもりで私は話した。
「夏祭りの日に、菫ちゃん」
「本当?」
「もう、嘘ついても仕方ないよ」
私は手に絡みついたままの
彼らの精液を夕陽に見せつけた。
「たまたま聞いただけだから、
絶対って訳ではないけど」
「うん、ありがとう」
夕陽は無表情のままで、スカートのポケットから
カメラを取り出してこちらへ向け、
悪戯っぽく笑った。
「はい、ぴーす」
「え」
次の瞬間、白い閃光が視界を奪った。
真っ白な視界の中で
視覚以外の五感が異常に敏感になって、
耳元から鮮明に夕陽の上品な声が聞こえてきた。
「この一枚で、あなたのことは許してあげる」
彼女は軽く笑い、視界の戻らない中、
足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
帰りのバスが目的地に到着する頃には、
既に夕陽が半分沈み
世界がオレンジ色に照らされていた。
バスから降りて振り返ると、
白いブラウスに桃色のスカートを履いた
咲凛花の姿があった。
明るく爽やかな雰囲気があり、
咲凛花の綺麗な黒髪とはっきりした顔立ち、
高めの身長の彼女の持つ凛とした美しさを
女性らしいスカートが際立たせていた。
手を繋ぎ、指の一本一本を絡め俺達は歩き出した。
ふと横を見ると咲凛花と目が合った。
俺のことを見つめる彼女の目は、
宝石のように光が跳ねて輝いて見えた。
期待感、幸福感、充実感、そういう明るい心情が
拭えない不安感に反射しているようだった。
彼女は嬉しそうでいて、
少し恥ずかしそうに言った。
「私、初めてこんな女の子みたいな
格好したから、ちょっと照れちゃうね」
「咲凛花は、そういう服の方が似合ってる」
「なら、着てよかった」
咲凛花は風で膨らむ
スカートを愛おしそうに撫でた。
「私、思うんだ」
強かな口調で言った。
「これからは、何かに怖がってばかりじゃなくて、私らしく生きてみたいなって」
彼女の目には、未来への希望と光が宿っていた。
それを見た次の瞬間、
心の中を鋭いナイフで刺されたように、
酷く冷たく寂しげで怖い、未知の感情が襲った。
彼女の腕が何かの拍子に折れてしまいそうな程、
白く細く、頼りなさげに見えた。
彼女の笑顔が、声が、
体温が、肌が、肉が、骨が、人格が、
全てが俺から遠ざかっていくような幻覚を見た。
彼女の中身が滅茶苦茶になって、
失ってしまう光景が目に浮かんだ。
俺は、咲凛花を失うことが、
怖くて仕方なくなってしまったのだと知った。
「ん、何、寂しく、なっちゃったの?」
咲凛花の甘い声が聞こえて気付くと、
俺は彼女の背に手を回し、強く抱き締めていた。
汗の臭いと、甘い香水のような強い匂い、
彼女の体温が愛おしかった。
このまま、
彼女の何もかもを奪ってしまいたいと思った。
明日を迎えて、彼女を失ってしまう前に。
だが、俺はそうはしなかった。
今、彼女の何かを奪おうとすることは、
まるで彼女の死を受け入れてしまったかの
ような行動に思えたからだった。
だからただ、咲凛花を抱きしめて、頭を撫でた。
汗で少しべたべたとする髪が指の間をつたう。
彼女は目を細めて、猫を思わせるような
心地よさそうな顔をしていた。
俺は静かに目を閉じ、誓った。
「咲凛花。明後日、予定は?」
「ないよ」
「じゃあ、その日も一緒にいよう。
明日も、明後日も。その次の日も」
「うん」
咲凛花は嬉しそうな笑顔を見せてくれた。
玄関のドアを開けると、
中から食欲を刺激する油の匂いが漂ってきた。
確か昨日、鶏肉が余っているとか、
お母さんが言っていたような記憶がある。
さては、夕ご飯は唐揚げなのではないだろうか。
いつものように玄関のドアを勢いよく閉め、
靴を脱ごうと屈むと後ろに引っ張られた。
驚いて確認すると、
スカートの桃色が閉まったドアの隙間に
伸びているのが見えた。
「ただいま」
リビングのドアを開け言うと、
エプロンを付けたお母さんがキッチンで、
恐らく濃いめに味付けのされた鶏肉であろう
何かを揚げていた。
「あ、おかえり、咲凛花。って、その服」
彼女は振り向き、私の格好を見て微笑んだ。
「可愛いじゃない。すごく似合ってる。
あ。もしかして、好きな人でも出来た?」
「え」
思わず狼狽える私を、
お母さんは愛おしそうに見つめた。
「咲凛花は可愛いから。きっと、
将来は私みたいに、素敵な人と結婚できるよ」
「何が何でも気が早いよ、お母さん」
「まあ、それはそうだけど」
お母さんは私が嫁に行くところでも
想像していたのかもしれなかった。
彼女は音を立てて油が中で弾けている揚げ物鍋に
視線を戻し、懐かしむように言った。
「思い返してみるとね、お母さん、
いつの間にこんなに大きくなっちゃったんだろう
って思うの」
お母さんの腕と背中の間から、
綺麗な狐色に揚がった唐揚げが見えた。
「うん」
相槌を打ち、話の続きを促す。
「だからね、咲凛花。
一日一日を、大切にするんだよ。
その中で覚えたときめきとか、
楽しかったこととか、悲しかったこととか、
泣いちゃったこととか、
どんな出来事も、大事に味わうの。
そういう風に覚えた味が、
咲凛花を面白くて
素敵な女にしてくれるはずだから」
振り返ってみれば、
ここ数年、私は目の前に広がっていた現実から
目を背けるばかりだったことに気が付いたが、
今なら、それも味わえてしまえそうだと思った。
「ほら。味見してみない?」
お母さんが半分に切った唐揚げを
小さな皿に乗せて持ってきてくれた。
「する!」
狐色の衣に刺さっていた爪楊枝を使って
出来立ての唐揚げを口の中に放り込む。
油の甘みと鶏肉の柔らかい食感、
溢れ出る肉汁と生姜の効いた強い味付けが
私の胃袋を鷲掴みにして離さなかった。
「美味しい?」
お母さんの質問に、私は自然に笑顔で応えていた。
「すごい美味しい!」
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