堕天 残り3日


 「では、これから作戦会議を始める」

敷布団の上に胡座をかいている四葉が宣言した。

「はいはい」

六時頃に帰宅し、

それから寝続けていた風邪人の朔真が起き上がる。

彼の買ってきた掛け時計を確認すると、

時刻は夜の十時だった。

見ると、朔真の顔色はそれなりに

健康的なものに戻っていて、

具合は良さそうに見える。

床で寝そべっていた俺もその場に座り、

四葉の方を向いた。

「まず、私からはこれだけ」

彼女はそう言って、以前朔真が買ってきた

ビデオカメラを差し出してきた。

「本当に、やったんだ」

朔真は呟いた。

「全てうまくいったよ。性交も体験してきた」

「どうだった?」

「凄かったよ」

へえ、と相槌を打ちながら、

朔真はビデオカメラを弄り出した。

「で、撮ったその映像、昨日話した通り

花水木を辞めさせるのに使うってことでいいか?」

聞くと、四葉はどうでもよさそうに返答した。

「私は本当にセックスしてみたかっただけだから。

その映像は好きにしてくれて全然いいよ」

「助かる」

「それなら、

都合のいいようにトリミングしとくよ。

これだと、四葉から求めてるように見えるから」

「実際、そうなんだけどね」

四葉は悪戯っぽく笑った。

カメラを弄る軽い音をさせながら、朔真は聞いた。

「四葉、僕の言ってたみたいな甘い匂いはした?」

首を横に振り、彼女は口を開く。

「全然。汗と精液の匂いしかしなかった」

「そっか」

カメラに目を向けながら、

朔真は寂しそうに笑った。

「やっぱり、愛なんてものは幻なのかもね。

愛なんてなくても、

こんなにも男女は互いを求め合うことができる」

「かもね。私には愛とかよく分かんないけど、

気持ちよかったからまたしたいと思ってるし。

朔真と違って、相手は誰でも良いけど」

「人間は、本当に不思議な生き物だ。

どうしてこんなに、

僕は一人の雌に惹かれてしまうんだろう」

「不思議だよな」

俺が同意すると、四葉は意外そうにこちらを見た。

「息吹も感じたの?その甘い匂い」

「ああ。

咲凛花と下校してる時に、突然分かったんだ。

こう、咲凛花の、体だけじゃなくて、

もっと奥のものが欲しくなるような匂いなんだ」

「僕には分かるよ」

カメラを置いて、朔真は胸に手を置いた。

「衝動に、襲われなかった?」

「襲われたが、一応、なんとか抑え込んだ。

その時は」

「その時、は」

四葉が興味ありげに復唱する。

「匂いが、咲凛花が近くにいなくても

ずっと香り続けたんだよ。

体に何か訴えかけ続けてきたんだ。

アパートに帰ってきてすぐ、

俺はトイレに篭って、訴えのままに体を弄った」

朔真の方を一瞥すると、

彼は頷きながら話を聞いてくれていた。

「それで、俺の体に、精通が起きた。

射精した途端に、甘い匂いは消えたんだ」

「じゃあ、その匂いの正体は性欲ってこと?」

四葉は聞いてきたが、俺らは答えなかった。

儚げな声で、朔真は言った。

「仮に、僕達の感じている匂いの正体が

ただの性欲で、

どんな女の子に対しても抱けるような、

特別なものでもなんでもなくてもさ。

僕は菫にしか匂いを感じないと思えるし、

菫だってそうだって信じられるんだ。

そう思うとさ、すごく心が暖かくなるんだ。

だから、幻でも何でも、僕は見ていたい」

四葉は小さく笑い、窓の外を眺めた。

「朔真みたいな人間はさ、

長く生きていればいるほど

そういう事を繰り返して、

ありもしない幻ばかり

信じていくようになるのかもしれないよ」

彼女の視線の先には、

喫茶店の隣に建っている一軒家があった。

夜の街に目を向けたまま、

独り言を呟くように、笑った。

「でも、私がそれを

感じたことが無いってことはさ、

朔真達は性欲だけでその匂いを感じている

って訳でも無いのかもしれないね」

「愛だよ」 

朔真は自分に言い聞かせるように言った。

「きっと、愛なんだよ。それは」

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