変容 残り4日
「私、明日から学校行けないから」
私がそう言うと、菫の部屋の中に
大きな衝撃が走ったかのように静寂が包んだ。
菫のお母さんが作ってくれたという
温かいハチミツと生姜の飲み物を一口啜ると、
体の芯から暖かくなっていくのがわかった。
菫と一緒の毛布に包まっている朔真は聞いてきた。
「何があったの?」
心配そうに菫もこちらに目を向けた。
私は平然と答えた。
「レイプされた。大地と、あと、三人に。
初めてだった。
それで、道具みたいにされた後、
最後には道端に捨てられた」
「ひどい」
想像したのか、菫が体を震わせ言った。
彼女が私に使うように渡してくれた、
毛布の温もりを再確認し、二人の方に向き直した。
「だから、ありがとうね、二人とも。
私、あのままだったら
死んじゃっててたかもしれないよ」
菫は意外そうな顔をし、首を横に振った。
「それは、全然良いよ」
「それよりも、夕陽は、これからどうするんだ?」
朔真が心配そうというよりは、
好奇の目で私を見た。
「転校とか、それとも、不登校になる、とか」
俯きがちに答えると、菫は提案してきた。
「詳しくないから
見当違いなこと言ってるかもしれないけどさ、
裁判とかやったら勝てるんじゃないの?」
「写真とかいっぱい撮られちゃったし、
口止めに使われると思う。
裁判に勝っても、そんな写真が出回っちゃったら
私の人生が危ないんじゃないかな」
そっか、と彼女は項垂れた。
両手で包み込むように持っている
カップを口に傾け、
温かく甘い液体を体内に取り込んだ。
口内に残る優しい香りが後を引き、
じっくりと消えて無くなっていった。
「夕陽ちゃんって、可愛かったんだね」
菫は唐突に、私の顔をじっと見つめ、
溶けるような口調で言ってきた。
「髪染めてるしいつも怖い顔ばっかりしてたし、
そんな顔みたことなかったよ」
彼女の隣で朔真は頷いた。
「豚女、とか言ってたもんね」
首を傾げながら、私は聞いた。
「私、今どんな顔してたの」
菫は口元に手を当て、笑った。
「すごく、優しそうな顔、してたよ」
「優しそう、ね。確かに、そうかもね。
私は、本当はすごく怖がりだから」
朔真は真っ直ぐこちらを見て口を開いた。
「怖いのに、あんなことしてたの?」
過去の自分が蘇り、私は自虐気味に質問に答えた。
だが、そんな腐った過去も少し愛おしく思えた。
「いや、怖いから、だよ。
自己防衛ってやつ。誰かを傷付けてでも、
自分だけは助かるようにしてたの。
人間は、腐ってるから。
腐ってた本人が言うんだから、間違いないよ」
「なるほど。で、
夕陽はより腐ってたやつに食われたってことか」
「朔真君」
「いや、いいよ。
それくらい言ってくれた方がスッキリする」
菫が彼を制そうとしたが、私はそれを止めた。
腕を組みながら、朔真の口角は吊り上がった。
「人間ってのは、
腐ってれば腐ってるほど上なのか」
「そうだと思うよ」
私は即答した。
「誰かを否定すれば、誰かが肯定される。
逆に、誰かを肯定することも、
誰かを否定する事でもある。
人間同士の評価のなんて、
そうやって出来てるでしょ。
誰かに肯定されないと
人間は生きていられなくて、
そして、誰かに肯定されるには、
誰かを否定しなければいけない。
一番上の人間っていうのは、
一番誰かを否定してきた人間のことだと思うよ」
「へえ、面白いね」
「学校は社会の縮図、っていうから。
世界もどうせ、そうやって出来ているんだよ。
まあ、私はもう行かないけど」
カップの中身を飲み干し、
設置されていたテーブルに置いた。
菫の部屋を見渡し時計を確認すると、
既に時刻は午後六時を回っていた。
深く目を閉じると、溜まっていた疲労が
頭の中を溶かしていくような感覚がした。
「じゃあ、二人とも。
最後に、一つだけ、お願いしてもいい?」
目を開け言うと、二人は頷いた。
一度深呼吸をして、私は前を向く。
「今度咲凛花に会ったら、
伝えてほしいことがあるんだ。
私が、ごめんねって、言ってたって、それだけ。
伝えてほしい。もう会うこともないと思うから。
いいかな」
「分かった」
菫は力強い口調で了承した。
「明日、私達で伝えにいくよ」
「ありがとう」
私が感謝の言葉を口にすると、
菫は優しそうな目で私を見た。
毛布を離し、立ち上がって言った。
「じゃあ、私はそろそろ行くよ。
改めて、色々ありがとうね」
「あ、傘貸すよ。夕陽ちゃん」
「なら、僕も帰ろうかな」
「朔真にも貸すから」
ふと、窓の外から見えた空は相変わらず
黒い雨雲に覆われていたが、
太陽の光が月に反射して一部だけ明るく見えた。
私達三人は菫の部屋から出た。
部屋の中は、洗ったばかりの四葉の髪からする
シャンプーの甘い匂いで充満していた。
夕方から降っていた強い雨は先程止み、
じめじめとした湿り気だけを残していった。
玄関には、朔真が借りていたのだという
可愛らしい桃色の傘が濡れた状態で置いてある。
彼は風邪を引いたらしく、
俺の隣で鼻水を啜りながら本を読んでいた。
四葉の方に目を向けると、
じっと窓の外にある何かを見ていた。
彼女の明るい色合いの髪色に、
窓の外に広がっている夜空が似合っていた。
俺は近所のコンビニで買ってきた
ブラックコーヒーの缶を開け、口元へ傾けた。
「苦い」
黒い液体が口内に入ってくると同時に脳が
覚醒したかのように驚き、
これまで味わったことのない独特の酸味と苦味が
鼻を突き抜けていった。
「お前も飲んでみろよ」
眠そうにしている
朔真の口に缶を押し当て飲ませると、
彼は驚きその場で飛び上がった。
「ブラックってこんなすごかったんだな、息吹。
これは、人生でカフェラテしか飲んでこなかった
僕達には早すぎるかもしれない」
「眠気はどうだ?」
聞くと、朔真は本を閉じ笑った。
「飛んだよ」
四葉はこちらへ振り向き、言った。
「さ、二人ともいちゃいちゃしてないで。
いい子は寝る時間だよ」
「俺、いい子じゃないんだ」
「僕も」
四葉は小さく笑った後、
「返さないけど、貸して」と
朔真の持っていたコーヒーを奪い一気に煽った。
「ん、あれ。意外と癖になるような」
意外そうな顔をして彼女は再び缶を傾けた。
「ご馳走様。これで、私も悪い子になれるよ」
隣で朔真は落ち着いた声を出した。
「じゃあ、今夜もやろうか。作戦会議」
「やろう!」
四葉は元気に返した。
ふと窓の外を見ると、
真っ暗な世界が広がっていた。
目を凝らすと、段々と輪郭が浮かんでくるように
住宅街の姿が現れていく。
人間の住み着いている家の中から漏れる沢山の
照明の光が、闇の中で輝いている。
一つの光ごとに、
そこで人間が多くの事に苦悩し、
生きているのだと思うと
見ている景色がどこか幻想的に見えてきた。
燃え尽きるように、
喫茶店の隣の家の二階の電気が消えた。
だが、その闇の中に、確かに光るものを感じた。
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