変容 残り4日


 降り注ぐ雨が、私を溶かしていく。

座っているコンクリートの地面は硬く冷たく、

寄りかかっている

電柱からは温かみを感じなかった。

空を見上げると、一面黒い雲が広がっている。

私の心を空に投影したようで、

雨は悲しげで、

どこからも太陽の光が差してくる様子は無い。

あたりに人気は少なく、

時々、目の前を死んだような目をした大人と

濡れた車が私を訝しげな目で見ては、

捨てるように横切って行った。

立ちあがろうと足に力を入れるも、

震えてまともに動かせなかった。

雨を吸った制服が、

鉛のように硬く私を縛り付けている。

スカートの隙間に手を隠し、

奥へ進めていくと直接性器に触れた。

「ん」

私の中に熱を植え付け、

この場所に捨てていった

彼らの本能を剥き出しにした姿が鮮明に蘇った。

性器と、その奥は痛いほどに熱くなっていた。

カラオケボックスに入る以前に

履いていた下着と短パンは彼らに剥がれ

持ち去られたため、

スカートがひらめく度に揺れる空気に

性器が触れて違和感があった。

「つめたいな」

体の奥とは反対に、

私の肉体は熱を失っていった。

腕を見ると、まるで人形のように、

血が通っていないかのように白く見えた。

反対の手で撫でてみても

触っている感触がほとんど無く、

この体が本当に自分のものなのか分からなかった。

それか、大切なものを失ったことを

受け入れられず、

私は消えてしまいたかったのかもしれない。

空を見上げ、目を瞑った。

一時的に消失した視覚が、

私をこの世界から少しでも

引き離してくれたようで心が温かくなった。

だが、その熱で心が溶けていくように、

気づけば目から涙が流れ、

私はこの世界に再び引き戻された。

広がっている空は雨雲の黒一色だった。

まるで、私のこれからのようだった。

私はもう、学校には行けない。

それは理解していた。

学校という、

人間の醜さを詰め込んだようなおぞましい

場所に行かなくていいと思うと、

清々するような気分にもなったが、

自分一人だけが道を外れてしまうことが

どうしても怖くて仕方なかった。

そして、私はもう少女ではない。

彼らに犯された記憶は一生消えることは無く、

ひび割れた心も汚れてしまった体も、

一生背負って生きていかなくてはいけない。

これは罰なのかもしれない、

という考えが頭をよぎっていった。

恐怖に駆られ、私が犯してきた

沢山の非人道的な行為の数々が蘇った。

その次に、大地の犯した沢山の禁忌と、

彼の熱と体温、

声と柔らかい手の感触が浮かんできた。

その次の瞬間には、

これまで私の見てきた何百人、

何千人という人間達の犯した禁忌が

頭の中にシャボン玉のように生まれては割れた。

思い返してみれば、

私たちはいつも怯えて生きていたのだと気付いた。

もし、この世界に神様がいて、

全ての人間を平等に裁いてくれるなら、

きっと私達は、許されていい存在ではない。

いや、それどころか、ほとんどの人間は罪人だ。

余程の狂人でも無い限り、私達人間は須く罪人だ。

生まれてきた意味も知らず、

ただ死ぬことだけを恐れ、

その内に、故意に多くの人を殺し、

無意識に自分自身すら手にかける。

どうして、

この世界はこんなにも恐怖に満ちているのか。

神様は、

人間の原動力は、恐怖だとでも言いたいのか。

「真っ暗だなあ、本当に」

思わず口から漏れた。

それが見上げている黒色の空のことを

指しているのか、自分の未来を指しているのか、

それとも人間の本質について指しているのかは

私にも分からなかった。

「夕陽ちゃん」

急にか細い声が聞こえて、

黒一色だった視界に

いきなり肌色の丸い球体が現れた。

球体は続ける。

「大丈夫?こんな場所で、風邪引くよ」

「何かあったのか?」

か細い声とは違う、若い男の声も聞こえてきた。

顔の向きを直し、見るとそこには二人の男女が

手を繋いで心配そうに私のことを見ていた。

「菫ちゃんと、朔真君、だっけ」

「ああ」

彼は頷く。

二人は傘も差しておらず、雨で濡れ切っていた。

制服は限界まで

雨を吸い込み、少し色が暗くなっている。

菫の前髪はぴったりと額にくっついていて、

二人とも、制服の上が透けて

中に着ているTシャツと肌色が見えていた。

「ほら、立てる?」

菫は私に手を差し出して聞いてきた。

「大丈夫だから」

私はそう答え、手を振り払おうとした。

が、力を入れても、十分に腕は上がらなかった。

壊れた人形のように、

中途半端にしか私の腕は可動しなかった。

それを見た朔真は驚き、口を開いた。

「菫、これは低体温症、ってやつじゃない?」

「確かに低体温症、だったら危ないね」

「よし、じゃあ、やることは一つだ」

彼はそう言って私に一歩近付き、

その場で半回転して屈んでみせた。

「え、何」

状況が理解出来ないまま呆然としていると、

耳元で菫の声がした。

「ごめんね、触るよ」

直後、脇の間から手を通され、視界が揺れた。

ほんの少し私の体は地面から持ち上がり、

ゆっくりと移動していった。

そのまま朔真の背に乗せられ、

足の太ももの辺りをしっかり掴まれた。

「持ち上げれるかな」

朔真は真剣そうに失礼なことを口にし、

そして力強く立ち上がった。

そうして、私はいつもよりも高い視点から、

何の変哲もない、道端の景色を見た。

どうしてか、世界がこれまでよりも綺麗に見えた。

「頑張れ、朔真君」

菫の声援が聞こえ、彼は私を掴み直した。

彼の背中には、

私の昔の父親に似たような、安心感があった。

「よし、行こう」

朔真が一言話すたびに、

振動が背から伝わってくる。

菫は提案した。

「とりあえず、私の家に行こう。

ここから近いし、

温かいものでも飲んでもらおうよ」

「いいね、案内してくれ」

私を背に乗せ、二人は歩き出した。

辿り着いた先は、ごく普通の一軒家だった。

菫は駆け足で玄関に向かい、

ポケットから鍵を取り出し、

戸の鍵穴に入れ慣れた手付きで捻った。

「朔真君、ちょっと待ってて」

彼女はそう言い残し、家の中に入っていった。

直後、中から「お母さーん!」と

彼女が大声で母親を呼んでいる声が聞こえた。

「夕陽、大丈夫?」

暖かく、安心感のある背中の奥から

私に向けて声がした。

左手で、自分の右手を摩ってみるも、

感覚はほとんど無く、

腕の可動域も中途半端な状態のままだった。

「分かんない」

私がそう答えると、

彼は「そうか」と表情を変えず言った。

それから程なくして、勢いよく玄関の戸が開いた。

3枚のタオルを片手に菫は明るく言った。

「入っていいよ」

私と朔真は「お邪魔します」

と口にして家の中に入っていった。

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