変容 残り4日

朝、学校に来てすぐトイレに向かい、

乱れた前髪を整えた。

「よし」

櫛を右手に持ちながら、自分の姿を確認する。

茶色の髪色で、厚く切り揃えられた前髪、

肩まで伸びた後ろ髪は緩く巻いてあった。

私の顔が少し地味なのと、

パッツンの前髪が雰囲気に合っておらず、

無理をしている感じも否めないが、

仕方のないことではあった。

更に見ていると、

目元に隈があったり肌荒れをしていたり、

日々の許容量を超えたストレスが

私の体に影響をきたしているようだった。

鏡の中の自分から目を背け、

櫛をポケットにしまい教室に向かった。

教室の戸を開け、

入るなり耳障りな大地の声がした。

「よお、夕陽」

彼に合わせて、周りにいた数人が私に声をかけた。

私は丁寧に仮面を被り、挨拶を返す。

「やっほー、みんな」

そのまま大地の隣の席に座り、

リュックを机のそばに置いた。

彼の隣の席は、私の席でもあった。

短く裾上げをしたスカートがひらひらと舞う。

「夕陽、今日も可愛いぞ」

隣を向くと、大地が私の方を向きそう言っていた。

だが、彼の目の奥には、

そんなふわふわとした感情ではなく

もっとドロドロとした怪物が覗いていた。

「ありがと」

淡白に返すと、彼は

「ほらな?可愛いだろ?俺の彼女」

と周りを取り囲んでいた男子生徒に大声で言った。

彼らは無理に笑顔を作り、なんとか対応していた。

私からしてみれば、大地の言う可愛い、は

彼のよく言う早くやらせろ、と同義だった。

彼が興味を持っているのは、

私の心にではなく体にであることは

数年前から分かっていて、

最近特に酷くなった。

私が頑なに彼と性交をしないのは、

彼のそういう汚らわしさと

犯してきた禁忌を

確かに記憶していて、

そして私自身が、一人の少女だからだった。

それから少しして、

私は大地に連れられ教室から出て

生徒玄関へ向かった。

彼に握られている右手に

角ばった指が複雑に絡み合い、痛かった。

背の高い大地と私では歩く速さの差が激しく、

何度も引き摺られそうになりながら歩いた。

彼は私の心は見ない。

ただ、私の体を、

膨らんだ胸と湿った唇を欲しがっていた。

生徒玄関に辿り着くと、

彼は手を離し私に顎で合図をした。

「ん」

私は自分のクラスの靴箱まで歩き、

咲凛花の中靴を取って戻ってきた。

その様子を彼は、嬉しそうに眺めていた。

人に指図しそうさせることで、

自分の力に溺れようとしているようだった。

「あの転校生のも持ってこい」

返事もせずに私は再び引き返し、

咲凛花と仲の良い転校生の中靴を持ってきた。

靴底に書いてある

名前を見て、彼の苗字を初めて知った。

両手に靴をそれぞれ二足ずつ持っている私に

大地は「行くぞ」と言いつけ、

私の右の手首を強引に引っ張っていった。

「痛い、痛いって。ねえ、痛いよ」

言っても言っても、彼には聞こえないようだった。

そのまま学校の隅にある

大きなゴミ箱の前に到着し、彼は言った。

「片方貸せ」

ゴミ箱を開くと、中には透明の袋に包まれて

雑多なゴミがぎっしりと詰まっていた。

大きな蓋を開けた瞬間に中から飛んでくる

腐ったような臭いが鼻を刺激するが、

慣れのおかげかあまり気にならない。

私たちはそれぞれゴミ箱の奥深くに、

彼らの上靴を突っ込んだ。

蓋を閉めて、

新鮮な空気を吸うため一度深呼吸をする。

「夕陽」

名前を呼ばれ大地の方を見ると、

いきなり彼の口によって、私の口を塞がれた。

頭の後ろに手を回され顔が固定され、

口内が犯されるように彼の生温かい舌が

私の中を掻き乱していく。

これまでも何度もこうしてきたせいか、

勝手に体は彼の体温を求めた。

私はそれが、どうしようもなく嫌だった。

彼とのキスが甘かったのは

小学生の頃にした初めてのキスだけで、

今となってみれば、

彼の唾液には何の味もしなくなっていた。

それなのに、疼く体の奥を必死に抑え込む。

私だって、一人の少女だ。

せめて処女くらいは、

いつか出来るはずの大好きな人と、

愛を確かめ合うように経験して、

終わらせたかった。

私と大地の口内で体温と唾液が交わっては、

舌を吸い合う汚く下品な音が

人気のないこの場所に響き渡っていった。

長く濃厚なキスを終え、私たちは

お互いの唾液でべとべとになった口の周りを

ティッシュで拭き取り、

そのままそれをゴミ箱の中に入れた。

「なあ、夕陽。今日の放課後、空いてるか?」

荒い息のまま大地は聞いてきた。

「空いてるけど、どうしたの」

「カラオケ、行かないか?」

「え、まあ、それくらいなら、全然いいけど」

「じゃあ、決まりだな」

彼は私の頭を撫で、明るく笑ってみせてきた。

どうしてかこの瞬間の彼の笑顔が、

付き合いたての、

小学生の頃の彼の純粋なもののように見えて、

カラオケに行くことがまるで楽しいことのように

思えてきてしまっていた。

手を繋ぎ、教室へ戻り席に着いた。

心と体を休め、何と無く窓の外を眺める。

今日も空は透き通っていて綺麗で明るくて、

私の目を奪った。

今朝見てきた天気予報のことを思い出し、

傘を持ってきていないことに不安を覚える。

目の前に広がっている透明な空の向こうに

雨を降らせる黒い雲が隠れているとは、

私には想像も出来なかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る