変容 残り4日

朝の会まで後数分というところで、

大きな音を立てて教室の戸が開いた。

周りにいた生徒が一斉にその方を凝視し

動きを止めるのを確認し、私は気を引き締める。

咲凛花が来た。

空気が冷たく、

切り裂かれてしまうほどに張り詰めていく。

ゆっくりと、そして堂々と私は立ち上がり、

咲凛花の元へ歩き出した。

私が朝、咲凛花を痛めつけるのは

朝の会や帰りの会と同じようにこのクラスの

日々の習慣となっていた。

人間は弱く臆病な生き物だから、

ここにいるみんなはそれを見て見ぬふりをして、

どこか安心したような顔で

暗にこの腐った習慣を受け入れていた。

私はその中でも、指折りの弱虫の自覚があった。

心を持つ人間という生き物は、

この世で最も最低な動物だと思っている。

誰一人だって感情を制御することは出来ず、

生きている間はずっとそれに振り回され続ける。

中でも胸の中に起こる恐怖という感情は、

度々大きな衝動として人間を襲う。

そして、恐怖に駆られた人間は時にして、

非道な行動を簡単に取ってしまうことがある。

学校という場所は、

そういう恐怖で満ちているのだ。

ここにいる誰もが、常に何かに駆られている。

いつもの様に咲凛花の席のすぐ近くまで歩き、

彼女の机の足を蹴っ飛ばした。

金属がぶつかる音と床と足が擦れる音が

教室中に響き渡り、

この瞬間だけは、世界に私と咲凛花しか

いなくなってしまったのかと思ってしまうほど

一切の雑音が消え去った。

こうして二人だけの世界を味わう度に、

私は過去のことを思い出していた。

小学生の頃、私が大地と付き合い始めてからは

ずっと一人だった咲凛花と、

大地や他の大勢に囲まれて生き始めた私との間に

どうしようもないズレが出来ていったことを。

一人になった咲凛花は、

すぐに私を含むクラスメイトの

恐怖や欲望の捌け口となった。

咲凛花を痛ぶっては自己を確かめる者、

咲凛花を嗤って快楽に浸る者、

仲間意識から恐怖に駆られ、

周りの人間の真似事を始める者、

ただ、それを見守って許容する者。

私も、恐怖に駆られ咲凛花を痛ぶっていた。

私達のやり方は陰湿極まりなかった。

形や証拠を残さず、

彼女の心だけを傷つけるようにした。

そうやって形成されていくクラス内での、

私と咲凛花の明確な人間の価値の差は

どんどんと開いていった。

彼女も運の悪いことに、中学生になっても

クラスの顔ぶれはほとんど変わらなかった。

変わらず、

彼女は私達の欲求の捌け口にされ続けた。

私が去年に、最後に彼女へ言った言葉は

「私と関わらないで」だった。

中学生になってから彼女と

直接会話をすることはほとんど無かったが、

咲凛花が私のことを

気にかけてくれているのなんとなく分かっていた。

そんな彼女にこんなことを言い放ったのは、

その前日に目の当たりにしてしまった

大地の犯した禁忌の光景のためだった。

あれは確か、何かの授業の居残りを終えた後、

自分の教室へ立ち寄ろうとした時のことだった。

夕陽の差す廊下を歩き、

教室へ近づいていくと中から

がたがたと何かが暴れるような物音と

咲凛花と、低い男子生徒の声が聞こえてくる

ことに気付いたのだ。

何が起きているのか、恐怖と興味の二つの感情に

駆られ教室の中を恐る恐る覗いてみると、

そこに広がっていた光景は凄惨なものだった。

机の上に乗せられ、手足を縛られ固定された

咲凛花が複数の男に犯されていた。

彼らはズボンを下ろし、皆汚らわしい、

充血した性器を咲凛花に向けていた。

彼女を犯す彼らの中には、

大地と、花水木先生の姿もあった。

思考が停止し、心臓が暴れ心が震え出した。

花水木先生は咲凛花の姿をカメラで撮影し、

大地は何度も何度も自らの性器を

咲凛花の中に、

乱暴に激しく、執拗に擦り付けていた。

次の瞬間、大地が咲凛花の中で果てた。

彼が性器を引き抜くと、

粘っこい液体が糸を引いて、咲凛花の性器から

白い精液が溢れ出してきたのを私は見た。

次に、花水木先生が咲凛花の前に立ったのを見て

私は逃げ出した。

咲凛花の喘ぎ声を背にしながら、

ぐちゃぐちゃになった心の中で一つだけ、

私は決断していた。

そして、私は咲凛花を見限ったのだ。

「おはよう、豚女」

挑発するような口調で言うと、

咲凛花は睨みつけるような目で私を見た。

私が彼女のことを豚女、と呼ぶのは、

かつて彼女が花水木先生を誘惑し、

金銭を対価に性行をしている、

という噂が流れていたことから来ていた。

実際には、彼女はあの時撮影された写真によって

従わされているのだが、

それを知っているのは

おそらく本人と彼らと先生、そして私だけだ。

「今朝もさ、やってきたの?気持ち悪」

教室中に聞こえるように大声で言った。

これは、このクラスの生徒に私の力を見せつける

ために必要な儀式だと思っていて、

初めは痛んだ心ももう、何も感じなくなっている。

彼女のようにならないように、

私は強くなければいけない。

そうでなくては、怖くて仕方がないのだ。

「黙ってないでさ、なんか言ったら?」

言いながら、

私は咲凛花の隣の席の転校生の様子を確認した。

昨日は私達に逆らってきた彼だったが、

今日は咲凛花の方を心配そうに見ていた。

彼も恐怖に屈したのだと共感に近いものを感じ、

視線を咲凛花の方に戻すと

彼女は真っ直ぐと私の目を見つめていた。

「何?」

威圧的に聞くと、咲凛花は急に立ち上がり言った。

「夕陽ちゃん」

こんなことは、

私が咲凛花を拒絶してから一度も無かった。

彼女の綺麗な目が私を貫くのも、

優しい声を聞くのも久しぶりで、

それを心のどこかで

嬉しく思っている自分がいた。

咲凛花は、続けた。

「夕陽ちゃんはさ、何が、怖いの?」

聞かれた瞬間に、

ついさっきまで綺麗だと思っていた目が

まるで私の全てを

見通しているかのように不気味に変わった。

「怖いって、何の、話?意味分かんないんだけど」

目を逸らし応えると、彼女はすぐに言ってきた。

「大丈夫、私には分かるよ、夕陽ちゃんのこと。

小っちゃい頃からずっと一緒だったから。

今、夕陽ちゃんすごく怖がってる。どうして?」

彼女はじっと目を合わせてきた。

その目は深く暗く、見ていると飲み込まれそうで、

中には一切の光が見つからなかった。

「えっ」

次の瞬間、本能的に私は気付いた。

違和感を感じると同時に、

硬いもので頭を殴られたかの様な衝撃があった。

周りのことも見えなくなり、

「あなたは、咲凛花ちゃん、なの?」

と聞くと、彼女は口角を上げて答えた。

「そうだけど?」

「嘘」

「嘘じゃないよ。ほら、私は私だよ」

彼女は一歩私の方に近づき、手を握ってきた。

伝わってくる体温が、

得体の知れない気持ち悪さに変わって

私の心の中で蠢いた。

「違う、違うよ。咲凛花ちゃんは、

私の知ってる咲凛花ちゃんは」

「私は?」

「あなたみたいな、人間じゃなかった」

言うと同時にチャイムが鳴った。

それでも私の中からは言葉が溢れてきた。

「咲凛花ちゃんは、

昔から私とそっくりな女の子で、

怖がりで優しくて、そんな怖い目をしてない。

あなたが本物の咲凛花ちゃんなら、

私に何が怖いのかなんて聞いてこない。

きっと、私の側にいてくれて、

何も聞かずに、寄り添ってくれる。

そうだよ、あなたは、本物じゃない。

いや、そっか、分かったよ。

演技だったんでしょ、全部。

咲凛花ちゃん、ねえ、咲凛花ちゃん」

咲凛花の方を見ると、

彼女は顔に微笑みを浮かべ、

ぽっかり空いた暗い穴で、

何も言わずに私の方を見ていた。

「おい、席戻るぞ」

大地の声がして、

私は自分の席に引っ張られていった。

目を逸らすことも出来ず、

私達の目は合ったままだった。

恐怖に駆られた私達の行動が、エゴが、

遂に咲凛花を殺してしまったという

現実を受け入れることは、難しかった。

隣の席の転校生が咲凛花に何か話しかけている。

転校生の彼に、

彼女は私の見たこともないような笑顔で返した。

押し寄せる過去の自分への恨み言と後悔に

見えていないフリをして、私は呟いた。

「私は、死にたくないな」

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