変容 残り4日

 今朝も天気予報は見逃して、

適当に教科書をリュックに入れて外に出た。

綺麗に晴れていたので折り畳み傘は

仕込んでこなかったが、

昨日のこともあって

数歩歩いてから不安に襲われた。

途中で幼稚園の方向に眼鏡をかけた女性が

あたふたと走っていったのが見えた。

よく見ると、

咲凛花に少し顔立ちが似ているかもしれない。

咲凛花の家は通学路の途中にある一軒家だ。

俺のアパートからもそれほど離れていないので、

時間さえ合えば会える確率は高い。

俺は彼女の家を出る時間を

予測して歩くスピードを調節していった。

しばらく通学路を歩き

咲凛花の家の目の前まで来た時、

玄関の扉が開いた。

「あ、おはよう。咲凛花」

俺が何気ない感じで挨拶すると、

彼女は「おはよう、息吹」

と小さく手を振って返してくれた。

その動作は可愛らしく見えたが、

俺には朔真や四葉のように咲凛花を性的な目では

見れていないようで、

それ以外の感想は特に浮かんでこなかった。

「一緒に行こうぜ」

「うん」

俺たちは並んで歩き出した。

今日も校門前には沢山の生徒が群がっていた。

まるでそういう生態のある虫のように、

ひとまとまりごとに少しずつ校内に入っていく。

虫や機械、が彼らを例えるのにはしっくりきた。

その一人一人が複雑で難解な心を持って

活動しているとはどうしても思えなかった。

「おはよう、咲凛花ちゃん」

俺らが校内に入ろうとしたところで、

校門前に立っていた花水木先生が

咲凛花に近づき言った。

昨夜の記憶が蘇り、胸の中に蠢くものを感じる。

視界が少しぼやけた。

彼の手が咲凛花の下半身あたりに

伸びようとしたのを確認し、

彼らの間に割って入ろうとしたところで

意外な出来事が目の前で起こった。

「触らないでもらえますか?」

昨日までは抵抗することなく圧力に屈していた

咲凛花が反抗の意思を示し、

その汚らわしい手を払ったのだ。

花水木先生は驚いたような顔をして固まっている。

俺は力強い足取りで

先へ歩いていく咲凛花の後を追った。

「靴、今日も無いや」

「俺も、みたいだ」

俺らは生徒玄関に入った後、

それぞれの靴箱の前に立ち、話していた。

「意外と、心にくるな。これ」

「そう?慣れちゃったよ」

彼女はこちらを見て、「行くよ」と手招きした。

俺は自分の身に起こっている事態よりも、

咲凛花の変容に呆気に取られていた。

そうして俺らは昨日と全く同じルートの廊下を、

上履きを履かず靴下で、並んで歩き出した。

相変わらず、ここにいる人間たちはこぞって

俺らのことを笑い、蔑み、憐れみ、楽しみ始めた。

嘲笑に包まれながら、俺らは歩く。

「パレードみたいだな」

皮肉を言うと、咲凛花は笑った。

「ほんとだね」

彼女の笑顔を目の当たりにした時、

俺は内心、驚きを超え恐怖感すら覚えていた。

昨日と全く同じ事柄が起こっているのに、

咲凛花の状態だけが変容していた。

見ると、彼女は真っ直ぐと前を向き、

しっかりとした足取りで進んでいる。

心を殺したみたいに沈んでいた昨日とは、

全くの正反対のようだった。

俺たちはそのまま歩き、

校内の端の大きなゴミ箱の前に辿り着いた。

ゴミ箱の前に立ち、蓋を開けてみると

不快な匂いが鼻の奥まで入ってきた。

隣を見ると、咲凛花は躊躇無く中身を漁っている。

だが、彼女の表情に曇りは無かった。

彼女に習い、仕方なくゴミ箱を漁っていくと、

すぐにそれらしい上履きは見つかった。

「ほら、咲凛花の。あったぞ」

手で汚れを落とし彼女の足元に置くと、

「ありがとう、息吹」と返ってきた。

そしてすぐに「息吹のもあったよ」と言う声が

聞こえ、咲凛花が俺の靴を差し出してきた。

「助かる」

昨日まで新品だった上履きに強固な

黒い汚れが付着してしまっていた。

履くと、気持ちの悪い湿気を感じた。

「息吹」

名前を呼ばれ咲凛花の方を向くと、

彼女は靴を履き終え、

じっと俺の目を見つめていた。

「私ね、昨日の夜、決めたことがあるんだ。

息吹のおかげで」

咲凛花はこのゴミ箱の前で、

俺に誓うように言った。

人気のないこの場所に響き渡るその声は

綺麗で強かで、儚かった。

「私、これから叛逆する!

息吹に言われて気付いたんだ!

これは、仕方ないことなんかじゃない。

どんな理由があったって、

私が傷付くのは間違ってるよね!

これからは、夕陽ちゃんや、大地君から逃げない。

ちゃんと向き合おうって決めたんだ。

息吹。頼られて、くれる?」

咲凛花はそう言って左手を差し出してきた。

俺はすぐに、その手を俺の左手で握ってやった。

生温かい体温が混じりあっていく。

「ありがとう、息吹」

咲凛花はそう言って微笑んだ。

俺はその笑顔に、強烈な違和感を感じた。

人間は何故笑うのか、

昨夜、作戦会議の後に3人で考えた。

それは肯定的でいて否定的な、

複雑な矛盾だらけの感情だった。

考え悩み、俺たちの出した結論は一つ。

人間が笑うのは、

同じ人間を、欺くためだということだ。

そして、この彼女の笑顔は、

昨日の帰り道に見せてくれたような、

純粋な笑顔ではなかった。

俺の見たかった、咲凛花の笑顔では無かった。

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