追求 残り5日
空には太陽が天高く浮かび、
世界を明るく照らし、焼いていた。
繋いでいた手を離し、隣にいた大地に言った。
「じゃあね」
彼は「おう」と返事をし、その後にこう続けた。
「夕陽、早くやらせろよ。
いつまで生理なんだよ。じゃあな」
心に冷たいものが差し込んで、恐怖感に襲われた。
大地は、そのまま私とは別の
進行方向の道を歩いていった。
一瞬のうちに暴れ出した心臓を
深く呼吸をして心を鎮め、私は歩き出した。
目的地は近くにあるスーパーマーケットだった。
すぐに到着し、自動ドアをくぐり店内に入った。
平日の昼間に行くとスーパーには客が少なく、
快適に買い物が出来ることを私は
これまで積み上げてきた経験から熟知していた。
買い物カゴをカートに乗せ、
野菜から順番に商品を見ていく。
普段と比べて安くなっている食品や
量に対しての価格が安い食品など、
とにかくコストパフォーマンスを重視して
買い物カゴに次々と商品を入れていった。
「あ」
流れるように効率よく買い物をしていた
夕陽の足が止まった。
彼女の目線の先には
百円のバニラのアイスクリームがあった。
最近は段々と夏が近づいてきて、
太陽もガンガンに照って暑い日が続いている。
今週末には夏祭りだって開催されるような季節だ。
この暑さの中で食べるアイスクリームが
格別であることは誰の目にも明らかで、
無意識のうちに夕陽もそれを手に取っていた。
そのままの状態で彼女は数十秒迷い、決断した。
アイスクリームを売り場に戻し、
振り返らないように、一目散にレジに向かった。
半袖の制服の袖から滴り落ちた汗は、
彼女のアイスクリームを惜しむ気持ちを
実体化したようだった。
会計を終え、
夕陽はリュックの中から買い物袋を取り出し、
硬いものから順番に
買ったものを中に入れていった。
値引きされている商品や、徳用、
と書いてある商品がほとんどだった。
甘いお菓子も、冷たいアイスクリームも
買うことができなかった。
淡い希望を持ちながら財布の中身を覗いてみると、
小さな銀色の硬貨が数枚あるだけだった。
「三円、って」
今月も、無駄遣いをしている余裕は全く無い。
財布をリュックの中に仕舞い、
気合いを入れて
膨れ上がった買い物袋を持ち上げた。
それは1人の女の子が抱えるには
あまりにも重いものだったが、
夕陽は汗だくになりながら強引に
無理をして家まで運んでいった。
夕陽の家はこのスーパーマーケットから
そう遠くない所にある。
花束幼稚園という幼稚園の近くにある
喫茶店の隣の、
一軒家が彼女の住んでいる家だった。
「重た、かった」
家まで辿り着いた彼女は額の汗を拭い、
リュックから鍵を取り出す。
「夕陽ちゃん」
高音の綺麗な声が聞こえ見ると、
喫茶店のドアの前に薺さんが立っていた。
薺さんはこの喫茶店で働いている店員で、
家と店が隣にあることもあり顔見知りだった。
彼女はまるで人形のように
完璧に整った顔立ちをしていて、
その顔にはまだ幼い感じが残っている。
彼女は自身で24歳だと言っていたが、
どう見ても高校生くらいにしか見えない。
薺さんは弾けるような笑顔で言った。
「おかえり。相変わらず夕陽ちゃんは働き者だね」
「ありがとうございます」
「でもね、すごく偉くて可愛いけど、
疲れちゃったらちゃんと休むんだよ?
今の夕陽ちゃん、しんどそうな顔してる」
「気を付けます。
もしどうしようもなく辛くなったら、
薺さんの店で甘いケーキでも食べて
バッチリ回復することにします」
「うん。その時は、一生懸命作るからね」
薺さんは体を伸ばし、
「じゃあね」と
私に手を振り言って店の中に戻っていった。
少し心が軽くなった私は家の鍵を開け、
買い物袋を両手で抱え玄関へ入っていった。
「ただいま」
玄関に入った瞬間に濃い
酒の匂いが鼻をくすぐった。
いつものことで、私はこれには
なんとも思わず靴を脱ぎリビングのドアを開けた。
そこに広がっていた光景に、溜息が漏れた。
テーブルの上には空になったウイスキーの瓶や
炭酸水、酒に合わせるおつまみが散乱していて、
ソファに上にはスーツ姿のお父さんが
煩いいびきをかいて寝ている。
私は彼を起こさないように
静かに冷蔵庫の前に移動した。
その中で彼の薬指に光って見えた指輪は、
もう彼のものでしかない。
小学五年生の頃、その指輪と全く同じ形をした
指輪がひん曲げられて捨てられる所を、
私は目の当たりにしたことがある。
思い返してみれば、
お父さんが変わってしまったのも
それからだったかもしれない。
買い物袋を下ろし、冷蔵庫を開けた。
中には数本の酒瓶と炭酸水があるだけで、
まともな食事が作れる環境では全くない。
野菜から順番に、
買ってきた食品を中に仕舞っていった。
冷蔵庫の空間が半分ほど埋まった頃、
買い物袋の中身は空になった。
一週間食い繋ぐための献立を考えても、
どうやっても足りない食材の量に頭を抱えた。
私は考えることをやめ、
水道からコップに水道水を汲み一気に飲んだ。
「まっずい」
生温く、不快な感じのする液体が喉を通過して
私の一部になっていく。
私たちの住んでいるこの街は、
田舎のくせに、水だけは異様に美味しくない。
眠りこけているお父さんを放置し、
私はリュックを背負い二階に上がっていった。
自分の部屋に入り、
小学生の頃に買ってもらった学習机に
リュックをかけ座る。
ノートと教科書、
問題集を広げ机と向かいった時、
飾ってある複数個の写真立てが目に入った。
どの写真も少し昔のもので、私の髪の色も黒い。
お父さんやお母さん、私、そして咲凛花ちゃん、
みんなの笑顔が
小さな額縁の中に閉じ込められていた。
思わず見惚れていると、
突然写真が輝き出して、
その光が私を包み沢山の記憶が蘇った。
あの頃の何気ない日常が
今となっては宝物のように思えて、
その記憶はどれも暖かく、
怖がりな私を安心させた。
夢を見ているかのような浮遊感の中、
隣に座っている
咲凛花ちゃんが微笑んで私の名前を呼んだ。
「夕陽ちゃん」
その声が聞いた途端に痛み始めた心臓を握り潰し、
私は目一杯目の前の幻を掻き消そうと
咲凛花ちゃんの幻影を殴った。
すると、
「痛いよ、夕陽ちゃん」
と彼女は頬を押さえ、
優しそうな目でこちらを見てきた。
私はそれに耐えきれず、何度も何度も
咲凛花ちゃんを顔目掛けて暴力を振るった。
それでも、何度叩いても彼女の優しそうな目は
変わることはなかった。
遂に私が自分の顔を痛めつけ、
自傷行為に走ろうとしたその時、
「それはダメだよ」
咲凛花ちゃんが私の手を止めた。
次の瞬間、
弾けるような炸裂音が頭の中で鳴って、
私は真っ黒な写真が入った写真立てを
両手に持ち眺めていた。
その写真を見ようとしても、
私の深い部分がそれを
拒絶して見ることが出来ない。
写真立てを元の場所に戻し
机の上に広がっている
白紙のノートに目を落とすと、
私の目から何かが溢れた。
黒く染まっていく心を、私は殺して前を向く。
目の前の白紙のノートはまるで、
私のほんの少し先か、
ちょっと先か、はたまたずっと先かの未来を
描くための夢のようなものだと思った。
問題集を開き、シャープペンシルを持つ。
私の好きな小説家だって書いていた。
『過去ばっかり見てると、意味ないですよ。
車だって、ずっとバックミラー見てたら、
危ないじゃないですか』って。
私は、自分の未来を自分で切り開くためにと
自分に言い聞かせ、問いと向かい合った。
その行動原理が、
本質的には未来への恐怖心から来ていることには
気づかないフリをした。
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