追求 残り5日

心を殺していたから、私の中身は空っぽだった。

あの性欲が服を着て歩いているようなクズは、

私ではなく、私の抜け殻と性交をしているのだ。

本当の、私では無く。

「それが何なんだよ」

無意識のうちに出た言葉が、

私の心をまた、強く縛り付けた。

体の中には、溢れるほどにあの男から

植え付けられた熱が篭っていた。

溺れそうなほど掻き回された口内のねばつきは、

何度口をゆすいでも取れなかった。

玄関に向かう最中にあった水飲み場で

もう一度だけうがいをして、

私は背筋を伸ばし歩き出した。

何も考えないようにしていると、

小さく、連続的に窓を叩く音が聞こえてきた。

見ると、

空は黒い雲で覆われ、雨が降っている。

一時間以上もトイレに拘束されていると、

まるでタイムリープをしてしまったかのような

感覚に陥ることはよくある。

帰りの会の時には、空は爽快に晴れていた。

生徒玄関に到着すると、

外を呆然と眺め立ち尽くす人影があった。

人影は私の存在に気づき、

こちらの方を見て話しかけてきた。

「咲凛花、こんな時間まで何してたんだ?」

聞き覚えのある低い声は、息吹のものだった。

「何でもいいでしょ。息吹は?」

「図書室で本借りたりとかしてた」

「ふうん」

「そっちは?」

「あー、委員会」

「咲凛花って委員会、入ってるのか?」

「入ってないけど」

「だよな」

苦笑いしている息吹に言った。

「傘、忘れたんでしょ」

彼は悲しげな声で返した。

「そうなんだよ」

「埋め合わせするなら、入れてあげるけど」

私が言うと息吹は意外そうな顔をした後に、

照れ臭そうに「ありがとう」と言ってきた。

彼の笑顔は、外から入ってくる光が無く、

薄暗かった生徒玄関で光り輝いて見えた。

彼は私の、太陽なのかもしれない。

外に出ると、学校の窓から見ていたよりも

ずっと激しく雨が降っていた。

折り畳み傘を開いてみると

思っていたよりサイズが小さく、

2人一緒に入れるのか不安になった。

「息吹、行くよ」

手招きをしながら呼びかけると、

俯きながら彼は私の隣に並んだ。

「それじゃ肩濡れちゃうでしょ」

お互いの肩が触れ合うくらい近づいて、

私達は歩き出した。

傘に落ちてくる雨音が小気味よく感じる。

少しして、緊張している様子の息吹に話しかけた。

「息吹の家ってどこにあるの?」

「そんなに遠い、所では無いぞ。

アパートなんだけどな。

住所は分かんないけど、近くにはラーメン屋と

喫茶店と、あと幼稚園がある」

幼稚園、と聞いて思い出した。

「その幼稚園ってさ、

花束幼稚園ってところでしょ」

「おお、知ってるのか」

「知ってるというか、私が通ってた所だから」

へえ、と息吹が感心したような声を出した。

「じゃあさ、幼稚園の頃から中学まで

同じやつっているんじゃないか?

幼馴染みたいなさ」

「夕陽ちゃん」

「へ?」

「夕陽ちゃん」

意外そうな顔をして、息吹は聞いてくる。

「夕陽って、あの茶髪の、だよな」

「そうだよ。あの夕陽ちゃん」

「何でそんなに親しげに、

あいつの名前を呼ぶんだよ。

朝、お前に豚女っていったやつだろ?」

「うん」

「咲凛花は、そんなこと言われて

悔しかったり悲しかったりしないのかよ。

俺は、お前が豚って

呼ばれて本気で悔しかったんだ」

彼がそう言うのを聞いて、

私は唐突に彼の名前を呼んだ。

「息吹」

「何だよ」

「ありがとう、私なんかのために怒ってくれて」

息吹は俯きがちに言った。

「別にそんなんじゃねえよ。

ただ、なんでなんだかお前が

傷付くのが許せないってだけなんだ」

「そうなんだね」

言いながら余程おかしな表情をしてしまったのか、

息吹が目を見開き驚いたような様子で

私の顔を凝視していることに気がついた。

「どうしたの?」

「いや、なんでもない」

彼はすぐに目を逸らした。

「あ、ここ曲がるぞ」

息吹の指示に従い、私達は十字路を曲がった。

「でね、さっきの話の続きなんだけど。

夕陽ちゃんはね、

昔は私とずっと一緒にいてくれた、

怖がりで優しい子だったんだ」

「想像つかないな」

「そうかもね」

私は彼女と過ごした幼稚園の頃の思い出や、

小学生に上がってからのことを事細かに話した。

彼は終始、浮かない顔をしていた。

「で、今に至るって感じ」

「まあでも結局、

どんな過去があっても今あれじゃダメだろ。

昔は良い子だったからって、

人を傷つけることが許されるわけじゃない」

「そうなんだけどね。

でも、夕陽ちゃんはなんか、

芯は変わってないような気がするんだよ。

どんな時も、怖がっているように見える」

「そうかよ」

息吹は呆れたような顔をしていた。

「ここ、俺ん家」

それから少し歩いて、私達は

息吹のアパートに到着した。

「ここなんだ。じゃあ、ここでお別れだね」

「ああ。傘ありがとうな」

彼はアパートの階段を登り始め、途中で止まった。

「そうだ、咲凛花。明日の放課後空いてるか?」

「空いてるけど」

「よし、じゃあそこで埋め合わせはするよ。

明日も一緒に帰ろうぜ」

「うん」

彼は階段の上から私を見下ろしながら、

「じゃあな」と手を振った。

私は「またね」と返し手を振り返した。

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