追求 残り5日

 「さようなら!」

日直の後に続いて俺はさようなら、と復唱した。

今日の授業が全て終了し、

下校する前に行われる帰りの会の直後だった。

「咲凛花、また明日」

隣の咲凛花に言うと、

彼女は「また明日ね」と手を振って返してくれた。

俺は教科書などの荷物の入ったリュックを背負い、

教室から出て歩き出した。

学校の中は、音で満ちている。

廊下を歩いているだけで、

様々な人間の

笑い声や話し声が絶えず聞こえてきた。

それが、どこか不気味に感じた。

それから間も無くして俺は

目的地の図書室に辿り着いた。

図書室の電気はついておらず、

学校の隅にあるせいか辺りに人気が全くない。

適当な場所にリュックを下ろし、

壁に寄っ掛かりながら放課後の図書室の

開放時刻を待つことに決めた。

放課後は図書室で

人間について調べる予定だったのだ。

じっと黙って待っていると、

どこか遠くから生徒達のものと

思われる笑い声が聞こえてくる。

改めて、その声が不気味で仕方なかった。

出来るだけ聴覚を意識の中から外し、

思考に集中した。

俺が人間になってから、

一つ、疑問に思っていたことがある。

それは、どうして人間は笑うのか、

ということだった。

知識として、笑顔は陽性の感情に伴って

表情が独特の緊張をすることで起こる、

と言うことは知っていたが、

それが人間に存在する理由は理解できなかった。

一部の人間が使う日本語という言語には、

この笑顔に関連する言葉が多い。

例を挙げるなら、

微笑、失笑、苦笑、嘲笑、冷笑などだ。

笑顔とは陽性の感情に伴って

起こるもののはずなのに、

どうしてか否定的な言葉が

そのほとんどを占めている。

人間にとって、笑顔の存在意義とはなんなのか、

考えれば考えるほど難解に思えた。

気にしないように意識していた音の中から、

こちらに近づいてくる足音に気付いた。

見ると、ショートカットの女の子が

こちらに歩いてきていた。

彼女には朧げではあるが、見覚えがあった。

「息吹君、だっけ?図書室開けるよ」

震えるようなか細い声でそう言われた。

彼女はスカートのポケットから鍵を取り出し

図書室の扉の鍵を開け、

そのまま中へ入っていった。

俺もそれに続く。

「私、図書委員でね、

鍵開けるのも仕事なんだけど遅れちゃって。

ごめんね」

「全然構わないけどな」

「なら、良かった」

俺は記憶を辿り、彼女の名前を

思い出そうとしていたが一向に思い出せなかった。

確か、朔真の隣の席の女の子だったはずだ。

「えっと、図書室は5時に閉めるからね」

彼女はそう言って本の貸し出しなどを

行うカウンターに移動していった。

俺は中を見渡し、適当に徘徊を始めた。

この学校の図書室はさほど大きくはないが、

どこに何があるのか分かり易いように

工夫がされていて、落ち着ける雰囲気があった。

俺は人間の心について知るために

心理学の本を数冊と

日本の歴史についての本を数冊、

そして目に止まった面白そうな文庫本を一冊

手に取りカウンターへ持っていった。

文庫本の表紙には、

覆面を被った男が地球を回している、

という不思議な様子が描かれていた。

「これ、全部貸し出しで」

そう言ってカウンターに本を置くと、

向かいに座り、考え事をしているような風だった

彼女は小さく驚いた。

その後、本に貼り付けてあるバーコードを機械で

読み取ってこちらに差し出してきた。

「本当は貸し出しが出来るのは

二冊までなんだけど、

まあ、誰も借りる人いないからね、いいよ。

はい、どうぞ」

「ありがとう」

掛けてある時計を見ると、時刻はまだ四時だった。

図書室が閉まる時間の五時までは

まだ一時間ほども時間がある。

居心地の良さもあり、俺は設置されている椅子に

座って借りた文庫本を読み始めた。

「息吹君」

急に名前を呼ばれ振り返ると、

カウンターにいたはずの

図書委員の女の子が立っていた。

「ちょっといい?」

と聞いてきたので「いいけど、なんだよ」

と答えると彼女はテーブルの

向かいの椅子に座った。

掛け時計を確認すると、

時刻は四時四十分を示している。

女の子は、恐る恐る聞いてきた。

「息吹君ってさ、朔真君と、仲良いでしょ?」

「あー、仲良いというか」

「うん」

「一緒に住んでる」

「え、あ、そうなんだ」

「ああ。それがなんだ?

朔真についてなんか知りたいのか?」

彼女は小さく頷いた。

「へえ、面白いしなんでも教えてやるよ!

あいつ顔だけは良いからな」

「まあその、確かに格好いいけど、さ」

彼女は口籠もり、色白な頬が少し赤くなった。

「今日の昼休み、凄いことされちゃって」

「凄いこと?なんだ、検討もつかないな」

思い返してみても、彼は今日の昼休みは

四葉と一緒にこの図書室にいたはずだった。

彼が何か、凄いこととやらを

彼女にするとは思えなかった。

女の子は俯き、口元を手で隠し

恥ずかしそうに言った。

「私が話しかけたら、その、結構人いたのに

朔真君にいきなり抱き締められて、

そのまま、キスも、されちゃって」

「はあ!?」

驚きのあまり反射的に大声が出た。

「し、しかもね。

そのキスが、なんか凄いえっちで、

私初めてだったから全然応えられなくて」

「え、ま、マジで?本当にあいつがやったのか?」

「ほんとだよ。もし本当じゃ無かったら、

私、こんな気持ちにならない」

女の子の顔は真っ赤になっていた。

俺は動揺しながらも、平静を装って見せる。

「分かった。じゃあ、

まずは君の名前から教えてくれ。

それから、

あいつについて聞かれたことは全部答えてやる」

顔を隠しながら、彼女は自分の名前を口にした。

「白咲菫」

「分かった。菫だな。

さあ、遠慮なく何でも聞いてくれ」

「うん。あの、朔真君って

これまで私じゃない、他の女の子と

付き合ったりしたこととかって、あったりする?」

2人の会話は大いに盛り上がり、

図書室を閉じるはずの五時を過ぎても

彼らの話し声が収まることは無かった。

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