追求 残り5日

リュックの中身を確認すると、

教科書に筆箱、財布、

給食の時に使う箸やナフキンなどの入った布の袋、

そして黒いデジタルカメラが入っていた。

財布やカメラは校則とやらによって

不用物と見做されしまい、

先生に見つかると没収されてしまう、と

昨日隣の席の女の子がこっそり教えてくれた。

何のためにそんなことを禁止するのか、

その女の子に聞いてみると、

彼女は不思議そうな顔をしながら

「勉強に集中するためだよ」と教えてくれた。

カメラを制服のポケットに仕込み、

教室の掛け時計を見ると

時刻は朝の8時を指していた。

教室を見渡すと、

既にほとんどの生徒が集まっていて、

複数のグループを作って会話をしていた。

ちらほらと1人で本を読んでいる生徒や

宿題をしている生徒がいたが、

この教室では異様に浮いて見えた。

グループで話している生徒達にも

様々な傾向があった。

グループの中心的人物は1人か複数人で

楽しげにしていることが多く、

その他の生徒は一生懸命に笑顔を作り、

どこか苦しそうにしているように見えた。

このクラスの中で一番大きく、

力のありそうなグループの中心人物は

白粉夕陽、薫衣大地の2人だった。

2人とも髪を茶色に染め、

まるで自分達の存在を誇張かのするように

いつも大声を出していた。

染髪は校則で禁止されているのだが、

あえてそれを犯している自分達に酔っているのが

周りからは簡単に見てとれる。

誰にも見られていないことを確認し、

彼らにカメラを向け一枚写真を撮った。

写真には、彼らの満足気で、

どこか違和感のある笑顔が綺麗に収まっていた。

「朔真君」

急に耳元で声がして驚き振り向くと、

色々教えてくれた隣の席の女の子が

僕のカメラを覗き込んできていた。

昨日はしなかった甘い香水の匂いがして、

彼女は鈴を転がすような声で小さく笑った。

「だめだよ、勝手に人の事撮っちゃ」

「同級生の女の子の写真が大好きな友達が

いるんだ。そいつのために撮ってる」

「へえ、変態さんだ」

彼女は椅子を引き、隣の席に座った。

彼女に構わずカメラを構え続けていると、

「ねえ、朔真君」と話しかけられた。

「何?」僕はカメラをリュックの中に隠し、

億劫そうに返事をして彼女の方を見た。

彼女は例えるならば、猫のような顔をしている。

丸顔で、目尻の高い大きな目をしていて、

ツンツンとした硬い髪質のショートカットの

髪型がよく似合っていた。

儚げで綺麗な声をしていて、

穏やかな雰囲気を纏っている。

人懐っこい笑顔を浮かべ、聞いてきた。

「私の名前、覚えてくれた?」

昨日の記憶を辿ってみても、

思い出せる気配すら無かった。

「ごめん、思い出せない」

「そんな。私だよ、私。ほら」

彼女は笑顔から一転驚いた顔になったり、

コロコロと

表情が変わっていくのが見ていて面白かった。

僕は彼女の胸のあたりについている名札を

カンニングし、「白咲」と指を指し言ったが、

「私、苗字より名前で呼ばれる方が

可愛くて好きかな」

と返され、頭を掻き苦笑いをした。

ここにあるのは、紛れもない平和な日常だった。

僕達の間には和やかな空気が流れていて、

表情は人それぞれだが

総じて教室の中の雰囲気は悪く無かった。

だが次の瞬間、そんなこの空気が、

まるで電撃が走ったかのように塗り替えられた。

ガラガラと教室の戸を開ける音がしたと同時に、

ここにいる全員が一斉にその音の方を見た。

ついさっきまで漂っていた

平穏な雰囲気は掻き消え、教室を沈黙が包んだ。

彼らの目には、強い恐怖や不安が

篭っているようで怯えているようでもあった。

すかさずカメラでこの異様な光景を収め、

僕も音のした戸の方に目を向けた。

僕らの視線の先には、

息吹と咲凛花の姿があった。

息吹の表情は強張っていて、

咲凛花からは全くと言っていいほど

何の感情も読み取れなかった。

彼らは真っ直ぐ自分の席へ移動し座った。

直前まで白咲と話していたからなのか、

人形のようなその顔に恐怖感を覚えた。

誰かの唾を飲み込む音がして、

その次に甲高い足音が響き渡った。

カメラ越しに見ると、足音を鳴らしているのは

この教室で一番大きなグループの中心人物だと

推測される白粉夕陽だった。

彼女は咲凛花達の席に近づいていき、

そして咲凛花の机の足を蹴った。

暴力的で大きな音が教室を支配する。

夕陽を見つめる息吹の表情が何か、

衝動に駆られているようなものになった。

夕陽は楽しそうに、咲凛花に言った。

「ねえ、豚女。どうしたの、その靴。

汚れてるじゃん。誰がやったんんだろ。

許せないね?ほら、貸してよ。

夕陽が綺麗にしてあげるから」

彼女の話し方は、

優雅で少し子供らしく、上品でもあった。

声も聞きやすく、綺麗で、

彼女のとった行動や言動と一致しなかった。

配役を間違えたドラマや映画を見ているような

気分になり、目の前に広がっている現実を

脳が理解してくれなかった。

息吹が遂に衝動に耐えられなくなったのか、

勢いよく立ち上がった。

息吹は夕陽を睨みつけ、

何か言おうとしたようだったが、

咲凛花が手で制し彼を止めた。

夕陽は教室中に聞こえるように大声で、

2人を嘲笑った。

「何?その穢れた体使ってもう次の彼氏作ったの?

本当に見境無いね。

息吹君だっけ、君も、見る目ないよ。

この子、あの担任のデブと

放課後やりまくってるんだよ?

はあ、気持ち悪い。最悪。

まあ、でも仕方ないのかな?豚だもんね?」

それを聞いても

咲凛花は一切表情を変えなかったが、

息吹の方は今にも衝動に駆られそうに

なっているのが僕には分かった。

彼が何か問題を起こす前に、止めなければ。

僕も僕で一種の衝動によって

彼らの元へ駆け出そうとすると、

後ろから軽い衝撃があった。

柔らかく、温かいものに体を締め付けられ、

甘い香水の匂いが頭をクラクラとさせた。

「行かせない」

背骨のあたりにくすぐったい感覚がして、

白咲の儚げな声が聞こえてきた。

この時、僕の中にまた一つの衝動が走った。

それは、生物としての本能的なものであり、

これによって、

僕は初めて自分が人間であることを実感した。

僕のお腹のあたりに巻き付いている

白咲の手を触ると、彼女はびくっと体を震わせた。

「分かったから」

手を解き、後ろを見ると

心配そうに僕のことを見つめる白咲の姿があった。

彼女は次は僕の左手を強く握り、

離してくれなかった。

胸の中で、再び強く走った衝動を抑えこんだ。

「お前達はどうして、

咲凛花をそんな風に扱うんだよ」

深刻そうな息吹の声が聞こえ振り返ると、

夕陽と息吹が向かい合っていた。

夕陽の余裕そうな表情と

息吹の真剣な表情は対照的に見える。

夕陽は挑発的な口調で言った。

「楽しいからだよ?」

力強く床を蹴る音が聞こえ、

息吹が弾けるように夕陽の方へ飛んだ。

彼は、拳を握っていた。

勢いよく振りかぶった彼の拳は

夕陽の顔へ狙いを定め、放たれようとした。

その時、夕陽の影から何者かの人影が現れ、

向かってくる息吹を乱暴に蹴り飛ばした。

彼は掃除用具の入っているロッカーに

強く背中を打ち付け、蹲り咳き込み始めた。

人影の正体は、夕陽と共にグループの中心人物と

なっていた薫衣大地という男だった。

中学生にしては背が高く筋肉質な体をしていて、

とても息吹の勝てそうな相手には見えない。

大地は倒れ込んでいる息吹の髪を持ち上げ、

そのままロッカー目掛けて投げた。

体を打ち付ける鈍い音と軽い金属音が

教室中に響き渡っていく。

助けに入ろうと思う度に、

左手から伝わってくる柔らかい肉感と

温かい体温が思考を停止させた。

この教室は、2人の独壇場だった。

僕らにはただ、この惨状を

じっと眺めていることしか出来なかった。

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