2 SS①

 ――――おかしい。

 シュウは汗を拭っている霧雨の横顔をじっと盗み見た。訓練用にまとめていた長い髪を解き、シャワー室に向かう彼の様子は一見、普段と何ら変わりがないようにも思えた。

 だが、シュウは昨晩遅く、日本支部内の廊下を歩く霧雨を見かけていたのだ。フードを深く被り、その特徴的な毛髪を隠していたが、確かに霧雨の匂いがした。

 隠密行動をする理由はなんだ?

 その疑念を晴らすべく、シュウは一日霧雨を監視しているのである。


「シュウも早くシャワー室に向かいなさい。巡回まであまり時間がないんだから」


 隊長の千鶴がシュウに声をかけた。シュウはむすりと不機嫌さを隠すことなく彼女に返事をする。


「わぁってる。今、行こうとしてんだよ」

「貴方はまた……朝倉さんを困らせて。早く行きますよ」


 先にシャワー室に向かったはずの霧雨がいつの間にかシュウの後ろに立っていた。そしてそのまま彼はシュウの首根っこを掴み、ずるずるとシャワー室まで引きずっていった。


「おい! 自分で歩ける!」

「いえ、私が連れて行った方が早いです」

「っ、このぉ! 大人しく連れていかれると思うのか!」

「はい。今日の貴方は何やら私を監視しているようですし、どんな目的かは知りませんが大人しく私に連れていかれた方が貴方にとっても好都合なのでは?」

「なっ……!」


 澄ました顔で流し目を送る霧雨に、シュウはいけ好かないという感情を抱くのであった。

 ――なんでも見透かしてくる奴は、きらいだ。

 ぶっすぅぅとさらに頬を膨らませて、シュウはそっぽを向いた。


「別に? お前のことなんか、何も見てねぇし? 勘違いすんなし? どうせ監視するなら可愛い女の子がいいってぇの!」

「えぇ、そうですね」


 霧雨はシュウの言葉を軽くあしらう。そのことにさらにシュウの眉根は寄っていった。



 その日の遅く、シュウは自室をうろうろと歩き回っていた。


「やっぱり霧雨のことは信用ならねぇ」


 シュウの本能がそう告げていた。


「昼間も、隠し事の匂いがした。あれは噓つきの匂いだ。ぜってぇ、俺が暴いてやる!」


 シュウは鼻息荒く袖を捲った。そして、今夜も今夜とて日本支部内へ偵察しに行くのであった。

 異星人であるシュウは日本支部内研究区画に自室を設けられていた。千鶴や霧雨は敷地外にある隊員のための単身寮に住んでおり、勤務時間外においては門限もあったはずだ。

 だから、緊急事態でもない限り深夜に日本支部内を歩くことは規則違反になる。そのことは当然シュウも知っており、何より彼自身も夜更けに自室から出ているところを見られ、何度も懲罰行になっていたので、霧雨の行動には何かしら裏があることを確信していたのだ。


 そして、今夜もまた霧雨は日本支部にやってきた。昨夜と同様にフードのついたローブを目深に被り、辺りを警戒しているようだ。

 シュウは鋭く尖らせた爪を天井に打ち込み、静かに霧雨のあとをついていく。そうして、霧雨が向かったのは長官室の扉前だった。霧雨は再度、周囲を見渡したあと、静かに長官室に入っていった。

 それを見届けたシュウは踵を返す。中で行われているだろう会話を盗み聞きするべく、慌てて建物の外側へと向かったのであった。

 驚異の身体能力をふんだんに使い、彼は長官室の窓枠に張り付いていた。そして闇に紛れながら暗躍する自身の姿に恍惚として気分に浸っていた。


「うははは、俺だってやるときゃ、やれるのよ……!」


 神経を研ぎ澄ませると、鮮明に彼らの声が聞こえる。シュウはその内容に霧雨への疑念を確信に変えたのであった。


「それで? 霧雨くん、例の件はどうだった?」

「あの場所なら何とかなりそうです」

「ちづちゃんにもバレてないよね、もちろん」

「えぇ。私がそんな初歩的なミスを犯すとでも?」

「いんやぁ、そうは思ってないけどさ。うーん、どっちかって言うと、情に絆されるタイプでしょ? だから、本当のこと言っちゃうんじゃないかなって」

「……はぁ、ミハエル長官は私のことを些か買い被っておられるようですね」

「へぇ、それはいったいどういう意味?」

「目的の為ならば、私はどんな嘘でも貫き通せる、ということですよ」

「ま、そうだったみたいだね。シュウくんもちづちゃんも、君の抱えている秘密に気が付いていないようだし。てことで、引き続きよろしく頼むよ、霧雨くん」

「はい、もちろんです。――――それでは」


 霧雨はそう告げると、再びフードを深く被り直して長官室を出て行った。シュウもまた夜の影に隠れながら、自室へと戻る。

 今見たことを思い返しながら、彼は毛布に包まった。千鶴の厳しくも柔和な笑顔を想起して、シュウにしては珍しく深刻な溜息を吐くのであった。


「霧雨が黒なのは確定した。しちまった、けどよぉ。……こんなこと、ちづさんになんて言えばいいんだよ……」


 ――――ちづさんは、俺よりも霧雨のことをよく知っているわけだし、秘密にしておくのもまた、しんどいもんだな。


「……って、いやいや。なんで俺がこんなことで悩まねぇといけないんだよ!  あーーーー、もう! こうなったら霧雨に直接聞いてやる。あいつのせいで頭痛くなってきたわ。もう、寝る! 俺は、寝るぞ‼」


 腕を組んでシュウは眠りに落ちた。その夜の彼は、霧雨の嘲笑に耐える悪夢を見たのだとか。



 次の日、シュウは今日も今日とて霧雨のあとを尾行していた。今度は真っ昼間のことである。午後の燦燦と降り注ぐ日の光がシュウの心とは裏腹に世界を穏やかに色づかせていた。

 霧雨は郊外の街中を闊歩していた。一体、ここにどんな用事があるというのか。シュウはキャップの鍔を摘み、先を行く霧雨の背中を眺め思案していた。

 坂道を登り切った先にある平凡な赤い屋根の一軒家の前で、霧雨は足を止めた。シュウは慌てて近くの電柱に身体を隠す。


「バレていますよ、シュウ。そこにいるのでしょう?」


 霧雨から声がかけられ、シュウは大きく肩を揺らした。それから、観念したようにキャップを頭から外して、そろりと姿を現す。


「さすがだな、霧雨さんよぉ」


 そう言うや否や、シュウは身体を大きくうねらせ、霧雨に飛び掛かっていった。


「お前の嘘、俺がしかと暴いてやるよぉぉぉぉぉぉぉぉぉ‼」


 叫んだシュウの髪は鮮血の如く深紅に染まり、その瞳は仄暗い深淵を覗かせていた。


「なっ……! オーバーヒート⁉」


 シュウの変化した姿を見て、霧雨が目を見開く。その隙をつき、シュウの鋭い爪が霧雨の横頬を掠めた。つつーっと赤い血が流れ、霧雨は痛みに眉を顰めた。


「貴方がその気なら、私だって手加減は致しませんよ!」


 背中に担いでいた鞘から刀を引き抜くと、霧雨もまた戦闘態勢に入る。


「ふん! やれるもんならなぁ!」


 シュウの口角が僅かに上がる。どうやらこの状況を楽しんでいるようだ。

 金属同士の硬く甲高い音が辺りに響く。襲い掛かってくるシュウの爪や牙を霧雨が刃で受け止める。その度に二人の間には小さな火花が幾度も飛び散る。彼らの力は拮抗していた。

 どのくらいの時間が経ったのだろう。空はいつの間にか橙色に染まり、カラスの鳴き声が耳に届いた。


「「……はぁ、はぁ……っはぁ……」」


 二人は互いに息を切らしていた。大きく上下する肩を見るに、どちらも残っている体力はほとんどないだろう。


「霧雨ぇ、もう降参したっていいんだぜ……? はぁ、はぁ……」

「馬鹿を言うんじゃありません。降参するのは貴方の方ですよ、シュウ……ふぅ……」


 シュウの上唇がめくれ、熱い吐息が牙の隙間から漏れる。ふしゅぅぅぅぅぅ。白い蒸気がシュウの中の熱を孕んで外気に触れた。


「俺は、お前を負かして! んで! それから、お前が悪い奴だって、ちづさんに言わなきゃなんねぇんだよ! だから、だから‼ 絶対に、負けらんねぇんだよ‼」


 シュウが低く深くタメの態勢に入る。それを見た霧雨もまた瞼を下ろし、刀を構える。


「一体、何の話なのか理解しかねますが……貴方に負けるなど、私こそ朝倉さんに顔向けが出来ませんので――――全力で行かせていただきます!」


 霧雨に飛び掛かるシュウ。そして、彼の身体を貫こうとする霧雨の刃。二つが重なる、その直前――――。


「え? 一体、何事⁉」


 二人に声をかけたのは、正しく彼らの隊長である朝倉千鶴なのだった。

 ぴたりと二人の動きが止まる。それから、我に返ったように千鶴の方を振り向いた。


「どうして、ここに――――」

「なんで、ちづさんが」


 戸惑う二人に、彼女は屈託のない笑みを浮かべた。


「霧雨からのサプライズがあるってミハエルに言われていたからね。居てもたってもいられなくて来ちゃったのよ」

「……あの長官……私には秘密にしておくよう、言っていましたのに……」

「はぁ? 一体何の話だ? サプライズぅ?」


 首を傾げるシュウを見て、千鶴もまた頭に疑問符を浮かべた。


「あれ、霧雨から聞いてない? なんかね、私たちのおうちを買ってくれたらしいよ」

「……はぁ?」


 驚くシュウを気に掛けることなく、千鶴の口から真実がぽろりぽろりと零れていく。


「わざわざ、ミハエル長官にまで掛け合ったっていうんだから、霧雨は優しいわねぇ。シュウが研究区画に住むのは精神衛生上良くないって直談判したそうじゃない。良かったわね、シュウ。貴方のことを一番に考えてくれる同僚がいて」

「……っ、は、はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ? んなわけねぇよ! だって、こいつは、こいつは……長官室で何やら怪しげな取引を、していた……わけ、じゃあ、なかった……のか?」

「え! そんな風に見えてたの? シュウってお茶目ね」

「いや、お茶目とかじゃねぇって。……ってか、んだよ。そういうことなら霧雨も言ってくれりゃあ、良かったのによ。あーぁ、心配して損したじゃねぇか!」


 すると、これまで頬を真っ赤に染めてあらぬ方向を見ていたはずの霧雨が、ばっと真っ直ぐにシュウを見つめて、酷く軽薄な笑みを浮かべた。


「そう、なのですね。貴方は私を心配していた、のですね。ふふふ、ありがたいことですねぇ」


 形勢逆転とばかりに澄ました表情の霧雨に、シュウはまた悔しい思いを抱くのであった。


「ほ~ら。二人とも、私の荷物を持って頂戴」

「朝倉さん、引っ越しは来週の予定なんですけれど……」

「うわ、これ全部ちづさんの荷物なのか?」

「なぁに? 文句ある? 乙女はいつだって持ち物が多いものなのよ」

「「ははははは」」


 部下の乾いた笑い声は綺麗なユニゾンとなって、夕焼けの空に吸い込まれていったのでした。




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