1-2 カプセル

 次の日、霧雨はシュウと二人だけで第三番隊の担当地区を巡回していた。長官の宣言通り、千鶴は約一週間の出張に出かけたからだ。

 しかし霧雨の決意が固まる前に、問題は発生した。市街地区にて小型の異星人が大量発生したとの通報が入ったのだ。

 急いで現地に向かった霧雨たちの視界に入って来たのは異様な光景だった。同種の小型異星人たちが道路を塞ぐほどに幅を利かせ、闊歩している。当該区域の住民たちは既に各自のシェルターに避難しているようで、幸運にも辺りにはひとっこひとり姿が見えない。


「さぁて、一丁やっちゃいますか!」


 隊服の袖を捲り、舌舐めずりしたシュウとは対照的に、霧雨は駆除対象の小型異星人をじっと観察していた。


「待ちなさい、シュウ」

「っなんだよぉ。早く倒してぇんだが? 我慢出来ないんだが?」


 青筋を浮かばせながら、彼は挑発する表情で霧雨の顔を覗き込んだ。しかし、霧雨の透明度の高い純白の瞳が冷静な光を宿しているのを見て取ると、すんとシュウの表情も真剣なものに変わる。


「……何か問題でもあるのか?」


 幸いにも、小型異星人は霧雨たちの存在にまだ気が付いていない。


「このサイズの異星人でかつ、同種のものが大量発生している場合、基本的には小判鮫類に該当されるはずです」

「そうなのか? それは知らなかったや」

「貴方は全く、普段の座学で一体何を学んで……はぁ、もういいです。とにかく、目の前にいる敵は小判鮫類に該当しています」

「それの何が問題なんだ?」


 霧雨は手首に付けられた端末機の数値を確認した。


「現在までに確認されている小判鮫類の異星人には必ず親母体となる強大な異星人が常に近くにいたのです。それも一つの例外もなく。しかしながら、エネルギー検知計で確認しても、そこまで大きなエネルギーの存在は観測されていません。つまり、今目の前に接敵している小型異星人は新種である可能性が極めて高いと思われます」

「ほう? でもぶっ叩けばいいんだろ?」

「いいえ。そもそも朝倉さんも欠けている状態です。万全を期すために一度応援を頼みましょう」


 そう言って個人端末を素早く操作し始めた霧雨の腕を、シュウは掴んだ。


「見たところ雑魚そうだし、俺らだけでいけるっしょ」

「しかし……」

「ここで手柄を立てられれば、お前はちづさんに褒められる。俺はお前の上司共に恩を売れる。新種かもってんなら、一体だけ生きたまま捕獲しよう。どうだ? 悪くねぇだろ?」


 にっしし、と歯を見せてそのまま突撃していったシュウを、一人にするわけにもいかず、霧雨もまた彼の背中を追う。


「ちょっ、待ってください!」


 小型異星人と闘うシュウの背中に追いついた霧雨は、くるりと反転し、自らの背中を合わせた。シュウの殴りと霧雨の抜刀によって、呆気なく小型異星人の身体は霧散していく。ものの数分で彼らは小型異星人をあらかた処理し終えた。


「私たちだけでも問題ありませんでしたね」

「な? 言った通りだろ?」

「えぇ、私の杞憂でした」


 霧雨とシュウの視線が交わった。それは紛れもなく信頼し合う同志たちのアイコンタクトであった。だが彼らが気を緩めたその瞬間、小型異星人の一体が猛スピードでシュウの背後から近付いてきたのだ。


「シュウっ!」


 霧雨が珍しく声を荒げた。シュウは霧雨の声に素早く反応するも、そこにはほんの僅かな遅れが生じた。それはシュウが霧雨と目線を交わし合えたことに喜んでいたからだったのかもしれないし、異星人の彼にそんな感情はなく、ただ単に筋肉が疲れていただけなのかもしれない。どちらにせよ、それが命取りだった。

 小型異星人が握り締めたバタフライナイフがシュウの脇腹に刺さる。


「おいおい、こんなもんで俺の身体に穴があけられ、れ……あれぇ?」


 人間よりも遥かに硬い身体を持つシュウが不敵に微笑んだのも束の間。彼は間抜けな声を出して顔を青褪めさせた。

 異常に気付いた霧雨がシュウの身体を支え、バタフライナイフを持った小型異星人に刀を貫いた。

 霧雨の肩に寄りかかりながらも、どうにも力が入らないらしく、霧雨ごとシュウは崩れ落ちた。


「シュウ、大丈夫ですか⁉ 一体何をされたんです!」


 刺された脇腹を押さえている彼の手を退かし、霧雨は傷口を素早く確認した。自身の手が震えていることに気付き、霧雨は舌打ちをした。その震えは、シュウが誰にも負けることはない、と信じ切っていた己の甘さ故に引き起こされているものだと正確に理解していたからだ。

 思い通りに動かない指先を叱咤して、彼の隊服を引き上げると、そこはシュウの体液により真っ青に染められていた。裂け目の周りがジュッと音を立てて爛れている。


「これは……」

「毒、みてぇな、やつ。俺だけに効く、的な? ……ははっ……なんか、いてぇな」


 シュウは額に汗を滲ませながら乾いた笑いを漏らす。


「笑っている場合ではありません。早く救援を呼ばなくてはっ!」


 シュウの傷口から視線を上げた霧雨は、そこで動きを止めた。シュウの痛みを滲ませた軽口が耳に届く。


「どうもなぁ……あぁ、いてぇ。そう簡単には、駄目、らしいなぁ」


 二人の周りには、いつの間にか再び大量発生した小型異星人が集まってきていた。


「そん、な。確かに駆除したはずです。どこから湧いて来たと言うのです!」


 パニックに陥りそうになっている霧雨の頭に向かって、シュウは頭突きを繰り出した。互いにチカチカと星を散らす。

 ぜぇぜぇと荒い呼吸を繰り返しながら、シュウは霧雨に告げた。


「いい、から。早く、くすり。くれよ。ふぅーー! ――――寄越せ、霧雨」


 ぐいっと胸倉を掴み、シュウは霧雨を引き寄せた。そして、胸の内ポケットから錠剤を奪う。奇術師のような華麗な手捌きであった。


「……貴方、気付いて」


 霧雨が呆然としている間にも、小型異星人は彼らにじりじりと歩み寄って来ていた。

 シュウの唇に挟み込まれた赤いカプセルが、するんと彼の喉を通っていく。ごくんと飲み込んで、彼は笑った。


「うぉっ、即効性か」


 どうやら痛みは引いたらしい。刺された傷口も塞がり始めていた。しかし、彼に待っているのはオーバーヒートだ。作為的に我を失うなんて、やっぱり非人道的だと霧雨は思った。錠剤を受け取ってしまったことは間違いだった、と。

 そんな彼に、シュウはいつもと同じ楽観的な笑顔を向けている。もしかしたら異星人であるシュウにとって、人為的に我を失うことは大した話ではないのかもしれない。いや、それもただの仮説でしかない。シュウの笑顔からはいつだって真意が読み取れないのだから。


「俺は人間じゃねぇんでな。匂いで分かるってわけ」


 誇らしげに自らの鼻を指差したシュウに霧雨は力なく微笑み返した。


「そう、でしたか」


 シュウの瞳孔は広がり始め、髪は炎のように赤く次第に揺らめいていく。


「いいか、霧雨。俺ら二人だけで何とかしよう」

「どうして、そこまで」


 ――――地球人の為に闘うのですか。

 後に続く言葉を霧雨は発さなかった。だが、シュウには全て伝わっていた。


「ちづさんの為だよ。あの人だけだ。あの人だけ、俺を怪物扱いしないでくれたんだ。同じ人間として尊重してくれたんだぜ? びっ、くりしたんだよなぁ」


 シュウは漆黒に染め上げられた双眸を嬉しそうに細めた。


「そんな人の教えを守らないのもかっこ悪いし、かっこ悪いところを見せたくもねぇ。……霧雨、お前だってそうだろ?」


 その屈託ない笑顔は、炎と化した髪と相まって太陽のように燦々と輝いて、霧雨の瞳には映るのだ。だから、何も言い返せない。

『目の前の助かるべき生命を見捨てるな』

 千鶴の言葉が脳裏を巡る。


「……そう、でしたね」


 二人は共に立ち上がった。シュウの喉から獣の咆哮が飛び出す。


「じゃあ、また逢おう。あとは頼んだぜ、相棒」


 そう言って、霧雨の返事を聞くこともなく、シュウは飛び出した。その脚力は人間の動体視力如きでは到底捉えることなど出来るはずもない。一瞬で彼は怪物へと変化したのだ。目の前で暴れている彼は、もう既に霧雨の知るシュウではなかった。


「頼まれたのなら、応えないわけにはいきませんね」


 そう呟くと、再び霧雨も刀を片手に駆け出した。せめてシュウのオーバーヒートが少しでも早く終わるように、残飯処理くらいはしておく必要があるだろう。

 ばさりばさりと霧雨の手によって小型異星人たちが薙ぎ倒されていく。倒すべき相手に斬りかかっている瞬間だけは、何もかもを忘れていられる。雑念が払われ、頭の中が明瞭になるのを霧雨は感じていた。それこそが彼の強さでもあった。

 クリアになった思考の片隅で、彼はいつものようにあの夜の記憶を呼び起こす。絶え間なくしとしとと霧雨が降り続けていた夜のこと。彼が「霧雨」として生きるきっかけとなったあの夜のことだ。

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