独りぼっちの異星人
高殿アカリ
1-1 思惑
新しく出来た郊外の市街地を第三番隊がパトロールしている時のことだった。
大きな円形の建造物が、乱立するマンションの隙間を縫って、シュウの視界の隅に映り込む。すると、彼は興奮したように先を歩く二人に向かって叫んだ。
「なんだぁ、あれ!」
この場で一番長身である霧雨の肩を支えとして、シュウは建造物をよく見ようと爪先立ち、首を伸ばした。彼の茶髪が霧雨の頭部を擽る。
「重たいです、シュウ」
眉目秀麗な霧雨の顔が不快を表している。
「かっけぇ、丸い! すっげぇぇえ」
図体の大きさに似合わず、シュウの好奇心は少年のそれだった。否、彼の境遇を考えればそれも至極当然のことであるのだが。
長く深い溜息を吐きながら、霧雨はシュウの身体を退かした。
その二人の様子をくすりと微笑みながら見守っているのは第三番隊隊長、朝倉千鶴。自らの上司である彼女に視線を送りながら、霧雨は恨みがましい口調で言う。
「何を笑っているのですか、朝倉さん」
その声色は随分ととげとげしい。
絹のように繊細できらきらと煌めく白銀の長髪を持ち、女性のように真っ白な肌をした霧雨は、端正な顔立ちと合わさって紳士のように思われがちである。しかし、実際の彼は見た目とは裏腹にかなり面倒くさい性格をしていることを千鶴は知っていた。
だからこそ、霧雨もまた彼女の前でだけは出逢った幼少期の頃のようにありのままの自分の姿を曝け出せているのだ。
「いやぁ、実に平和だなぁと思ってね」
霧雨に向かって微笑んだあと、彼女はシュウに建造物の正体を教えてあげた。
「シュウ、あれは観覧車だ。最近この辺りに出来た遊園地のものだろうね」
「遊園地ぃ? って、なんだそれは! 面白いところか? わくわくするか?」
シュウが千鶴に突進して行く。千鶴はシュウの扱い方が上手いから任せても大丈夫だろう、と霧雨は二人のテンポの良い掛け合いをぼんやりと眺めた。
そうしながら、彼は昨日の出来事について思考を巡らせていた。
首都区域には無機質な高層ビルが並んでいる。その一棟にEBE対策特殊部隊・日本支部があった。約数十年前より過激化した異星人(イーバ)の襲撃により、人類史上初となる世界規模の特殊部隊が編成された。それがまさにEBE対策特殊部隊なのである。
霧雨は日本支部長に呼び出されていた。第三番隊への連絡事項なら隊長である千鶴が呼び出されるはずである。
一体何事かと訝しげに長官室の扉を開けた。もっさりと伸びた癖毛をそのままに、もしゃもしゃとステーキに齧り付くミハエル長官がそこにいた。
「………」
静寂が部屋を満たす。正確にはミハエルの咀嚼音だけが響いていた。
食欲旺盛なただの変人だから敬うだけ無駄、と長官について言い切っていた千鶴の言葉を霧雨は理解した。なるほど、ミハエル長官はこういう人柄なのか、と。
異様な空気に言葉を差し込めそうにもなかったが、霧雨とて暇ではない。腕時計をちらりと確認し、パトロールの時間が迫っていることに気付くや否や、彼はミハエルに向かって口を開いた。霧雨にとって長官に不敬な態度を取ってしまうことよりも、パトロールに遅刻して千鶴に迷惑をかけることの方が避けたい事案だったのだ。
「ミハエル長官、大変失礼ではありますがそろそろ僕が呼び出された理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
ミハエルは深海のように深い蒼を宿した瞳を霧雨に向ける。だがそれも一瞬のことで、すぐに彼の瞳は目の前の大皿に戻った。
それから、ぽつりとミハエルは返事をした。彼にとってはどうでもいい話らしく、随分と乱雑な口調であった。
「君さぁ、シュウくんのこと好き? 嫌い?」
「は……それは、一体どういう……」
戸惑う霧雨にもあまり興味はないらしい。ミハエルは付け合わせのグリーンピースに格闘していた。返事を待っているのかどうかも分からない長官に、しかしこのままでは一向に話が進まないことを悟った霧雨は答えた。
「彼は人間ではありませんから。彼に対して好悪の基準を設けることは適切ではないように思います」
シュウは記憶を失った異星人だった。ある日、彼は千鶴に連れられてEBE対策特殊部隊にやって来た。異星人が襲撃した現場で倒れていたらしい。彼女は人好きのする笑みを浮かべ、傷だらけのシュウを放って置けなかったと言う。
ところが医務室で検査をしたところ、彼が地球外生命体であることが判明したのだ。地球人にここまで擬態可能な異星人は今まで観測されなかった。シュウ自身が記憶喪失であることも相まって、本人了承のもと、彼の身柄はEBE対策特殊部隊・日本支部に拘束されることとなった。
そして実務上、シュウは千鶴の第三番隊の隊員となり、必然的に霧雨は異星人を同僚に持つ次第であった。
回想に耽る霧雨の耳にやはり淡々としたミハエルの声が届いた。
「なら、問題ないね」
「はい? 何のお話でしょう?」
「霧雨くん、だっけ。君さ、実働部隊では随分と優秀みたいだけど、本当は研究職に異動申請しているんだってね」
無意識にぐっと霧雨の拳に力が入る。
ミハエルは、そんな霧雨の様子など一切気にすることなく、大皿のプレートを平らげ、銀製のフォークをがじがじと噛んでいる。
「それ、叶えてあげるよ」
「え?」
「代わりにさ、この薬、シュウくんに飲ませてみせてよ」
そう言ったミハエルは、フリーザーバッグに入れられた真っ赤なカプセルの錠剤を投げ渡す。
「これは一体……?」
霧雨が錠剤からミハエルに視線を戻すと、ミハエルの瞳がしっかりと彼を見つめ返していた。それから、不気味なほどににんまりとした笑みを浮かべて長官は口を開いた。
「今ねぇ、シュウくんのオーバーヒートを促す薬を研究させていてね。これはその試薬品。どう? 試してみたくない?」
オーバーヒート、それはシュウが時折起こす暴走反応のことを指している。大抵は襲撃現場で起こすことが多いのだが、未だに暴走の引き金となる因子は不明であった。
オーバーヒートを起こしたシュウは真っ赤に燃える炎のように髪を赤く染め、その漆黒の瞳孔は彼の瞳全体を覆い尽くしてしまう。また物理的攻撃力も劇的に跳ね上がり、地球の原子力エネルギーに近い周波が観測される。
戦闘においても、的確にターゲットである異星人を排除していく。言語能力が低下しており、コミュニケーションが取れていないにも関わらず、地球人を攻撃することはない。この奇跡のような膨大な力を世界連盟が見逃すはずもなく、彼のオーバーヒートに関する解明及び調査研究はEBE特殊部隊に課せられた責務でもあった。
「しかし、それはあまりにも」
「非人道的? まさか霧雨くん、シュウくんの心配でもしちゃってるの? 彼、人間じゃないよ?」
こてりと首を傾げ、無垢な疑問符を浮かべたミハエル長官に、それでも霧雨は首を縦に振ることは出来なかった。
というのも、彼はオーバーヒートが解けたシュウの状態を知っていたからだ。オーバーヒートにはかなりのエネルギーを消費する。故にシュウの身体や精神が無事で済むわけがないのだ。覚醒後の彼にはオーバーヒート時の記憶は無く、低体温症のような副反応も見られる。また髪も灰を被ったかのように色が抜け落ち、その様は見ているだけで弱々しいほどであった。それを人為的に起こさせるなど、幾ら霧雨でも躊躇してしまう。
「朝倉さんに確認を取ってもよろしいでしょうか? そもそも、朝倉さんはご存知なのでしょうか?」
「ふふ、そんなことが気になるなんて君もまだまだだねぇ。ちづちゃん、ね。彼女、優しいでしょ? だから、話してない。それに明日から出張らしいし。頼み事するのも、さぁ。ね、分かるでしょ? それにこれは、もっと御上からの依頼なんだよねぇ。誰かがやらなきゃ、シュウくん、消されちゃうかもね? そうなったら、ちづちゃん哀しむだろうなぁ。泣いちゃうだろうなぁ。でも、だぁれのことも責めないんだろうなぁ」
子どもみたいにくつくつと笑うミハエルの様子に、霧雨は諦観した。彼は霧雨の弱みをよくよく知っていたから。それはつまり、彼が依頼を引き受けることでもあった。
「っ‼ 分かりました」
踵を返した霧雨に、ミハエルの軽やかな声がかけられる。
「期限は一週間だよ〜。忘れないでねぇ」
そして、赤いカプセル錠剤は今もまだ霧雨の隊服の内ポケットに眠っている――――。
「なぁ! 聞いてんのか‼」
何の変哲もないあり触れたこげ茶色の瞳が霧雨を覗き込む。シュウの顔面が目の前に迫って、霧雨は仰け反った。彼のパーソナルスペースの狭さには、まだ、慣れない。
「な、何でしょう」
「私が出張から戻ったら、三人で遊園地に行こうって話よ。良いわよね?」
にっこにこと満面の笑みを見せる千鶴に、霧雨は僅かにたじろいだ。
「……あぁ、はい。まぁ」
昨日の秘密を抱え込んでいる後ろめたさからか、気付けば了承の返事をしていたのだった。
「うおおおおおお!」
「あら、シュウも随分と喜んで。そんなに霧雨と一緒に行きたかった?」
「なっ、ばっ……んなわけ!」
「あははは、相変わらず分かりやすいわねぇ」
喜び合う二人を直視出来ず、霧雨はふいっと視線を逸らしたのであった。
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