Flight 3

[――わたしは思いがけない人物に出会った]

 そう手帳に書き出すと、わたしはその「思いがけない人物」のことを次々に書きつづっていった。

 その人物とは、そう――アーセル様こと、アーセル・デュラス=ヴァーネイン様のことだ。彼の家・ヴァーネイン家は、上ではとても高い身分を持つ家系だった。アーセル様のお父様は、上では知らない者は誰もいないくらい、名前が通っているそうで、その上に、多くの功績を残しているようだった。

 その一人息子であるアーセル様はまだ青年なので、功績は残っていなかった。ちなみに、わたしとは少し歳が離れている。年若いせいで功績こそないもの、人気があって名前は徐々に知られつつあるようだ。下の人間と分け隔てなく接するなど、身分の差をつけないところに意外と人気があるんだとか。けれど、同時に、そのことを快く思っていない人達もいるようだった。

 おまけに、アーセル様はいわゆる美形というやつで、女性人気がすごく高いらしかった。……分かる気がする。実際、わたしも最初は綺麗なひとだと思ったんだから。

 そんなアーセル様に、わたしは成り行きで、しばらくお世話になることになった。

 ――あの時、わたしはアーセル様の問い掛けに二つ返事を返していたのだった。

 お世話になるにあたって、まず、わたしは両親宛に、しばらく帰れないという内容の手紙をつづった。手紙はリヅォさんが届けてくれて、アーセル様と出会った時のことを聞くと二人とも驚いていたみたいだけど、最後にはわたしのことを応援してくれることになった。今では時々、お母さんが様子を見に来てくれている。

 わたしも両親も、身分の高い人のところに置いてもらうことに気が引けていた。ある時、わたしがアーセル様に本当にいいのか聞いてみたところ、アーセル様は含み笑いを浮かべて、「気にしなくていい」とだけ答え、それ以上は何も言ってくれなかった。だけどやっぱり、わたしは何だかいたたまれない気持ちだった。

 そして、アーセル様に問い掛けられたあの時、わたしはかれに、どうしてわたしの力になてくれるのかをすぐさま尋ねていた。すると、アーセル様がどこか悔しそうでいて、寂しそうな顔をして、一言だけこうつぶやいたのだ。

「……オレも、探求者ワンダーになりたかったんだ」

 ――それは、アーセル様の本音だった。アーセル様は普段、丁寧な物腰と言葉遣いをしているのだが、その時だけは違っていた。自分のことを「オレ」と呼び、崩した口調でそう話していた。

 アーセル様はたったひとりの長男だ。だから、ヴァーネイン家を継がなくてはならない。立場が違ったなら、探求者ワンダーになれたかもしれない。それがかなわないだけに、アーセル様の中では「成り上がり」という存在は認めたくないもののようだった。


 採用の日まで、わたしはアーセル様と探求者ワンダーのことを学び続けた。探求者ワンダーにはなれなかったが、アーセル様はお父様から許可をもらって、その知識について今日こんにちまでずっと学び続けていたようだった。わたしなんかよりもずっと、探求者ワンダーのことをよく知っていた。わたしはそう思っていたのに、アーセル様の方もわたしの知識に感心しているようだった。

 そんなある日、アーセル様はこう話してくれた。――もしかしたら、わたしを助けたのは気まぐれだったかもしれない。けれど、わたしの力になりたいという気持ちは、今でも確かなものだと言い切れる。――だから、自分の夢をわたしに託す、と。

 わたしはアーセル様のそんなおもいに応えたいと、心からそう思った。その日から、わたしはそれまでよりずっと熱心になった。絶対、「成り上がり」なんかには負けない。絶対に夢を――わたしとアーセル様の夢を叶えるんだから!

 お返しに、わたしもアーセル様に自分のことを話した。

 夢のこと――特に、あの写真集の空を実際に見てみたいと思っていることを話した。そして、お母さんに写真集を持ってきてもらい、アーセル様と一緒にその写真を見たりもした。その時のアーセル様の顔はすごく輝いていた。どうやら、わたしと同じく、その空に魅了されたみたいだった。

 それに手帳のことも話した。思い出を残したいと思った時は手帳に書き留めていること、それがある種のくせになってしまっているかもしれないこと。話していた時、少し恥ずかしいと思っていたのに、それを聞いたアーセル様が手帳を見たいと言い出して聞かなかった。最初は嫌だと思ったけれど、彼になら見せても大丈夫だと感じて、手帳を渡した。

 わたしの手帳を、アーセル様は何度も笑い声を上げながら、しっかりと目を通して読んでいた。そして、全部読み終わると、かれはこんなことを言った。

「何か、お前らしくていいな」

 やっぱり恥ずかしく思ったけれど、そう言われて悪い気はしなかった。……よっぽど、アーセル様はわたしの手帳を気に入ったらしい。また書いたら見せるように言われてしまった。

「……あ、そうだ。 お前が探求者ワンダーになって、空と宇宙をとべるようになったら、新しい手帳をやるよ。 そうしたら、今みたいな走り書きみたいなのじゃなくて、ちゃんとしたの書いて手記ってやつにするんだ。 もしそれができたら、オレが最初の読者になるから」

 ふと、アーセル様が思い付いたかのように、そんなことを口にした。わたしはかれに言われたことを考えてみる。……手記、かぁ。あんまり文章を書くのは上手くないけれど、手帳に色々書いたりするのはすごく楽しいと思っていた。そう考えると、ちゃんとしたかたちにするのも良いかもしれない。

「いいかもしれませんね」

「うん。 じゃあ、約束だ」

 そんなことをふたりで話して、約束までした。その時、わたしは一層頑張ろうと決心したのだった。

 そして、いつか独自オリジナルの舟をつくってみたいと思っていることも話した。アーセル様は特に、この話を楽しそうに聞いていて、こんなことを言ってくれた。

「オレも絶対手伝うから、いつかその夢叶えような」

 それがいつになるのか分からないけれど、わたしはすごくうれしくて、「その日」が待ち遠しく思えたのだった。


 お互いのことを知り、時が過ぎるにつれ、わたしとアーセル様は親しくなっていった。そして、いつしか、信頼し合うようになっていた。

 そんな時、アーセル様はこんなことを言った。

「アルスって呼べ」

 「アルス」というのはアーセル様の愛称だった。時々リヅォさんが呼んでいるのを聞いたことがあったけれど、滅多にはないことだったので、何だか特別なことのように感じて気が引けた。そう思って遠慮していると、アーセル様の方からそう呼んでほしいと頼まれたのだ。

 そして、その時以来、くすぐったい気持ちになりながら、アーセル様のことをアルスと呼んでいる。ただし、上の人達がいる時など、人前ではそう呼ばないようにと言われた。なぜかというと、上の人達に親しくしているところを見られると、色々面倒なことが起きるからという理由だった。どうやら、わたしを守るため、気を遣ってくれたようだ。

 アーセル様――アルスの方も、それまではお前など、それとなく呼び掛けるだけだったのに、今ではわたしのことをアリアと呼んでくれるようになっていた。

 呼び方を変えると同時に、話し方も変えていた。前までは礼儀として丁寧に話していたのだが、今では少し違っていて、人前では尊敬と親しみを込めて話すようにしていた。そして、ふたりきりになった時だけ、敬語ではなく、普段の喋り方で話し掛けていた。

 アルスの方も、本音をもらして以来、わたしとは砕けた口調で話していたけれど、今では、同じく口調でも親しみがあり、どこか優しい話し方に変わっていた。どうやら、わたしに心を開いてくれたみたいだった。

 わたしもすっかり心を許していた。かれがいなければ、ここまでやって来れなかった。むしろ、かれがいたから、頑張れた気がする。――わたしの夢はもう、自分だけのものじゃない。そう考えていた。

 ――だから、わたしは諦めずに、できるだけのことをやろうと決心したのだった。

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