嘘が嫌いな僕と嘘をつかない彼女

健杜

第1話 芽生え

 人は嘘をつく生き物だ。

 一度も嘘をついたことのない人間など存在しないし、存在するとしたらその人は聖人だろう。

 少なくとも、僕はまだ出会ったことがない。

 よく、綺麗な瞳をしているとか言うけれど、僕に言わせれば人は綺麗な瞳で残酷な嘘を平気でつく。

 その場面を何度も見てきたし、経験もしてきた。

 だから僕は人を信じないし、信じてもらおうとは思わない。

 今までも、これからも、そのはずだった。

 彼女に出会うまでは。


 


 高校の一年の春、朝のホームルームが始まる前の時間、クラスメイト達は友人と笑いあう中、僕――天野真あまのまことは一人席に座り、イヤホンを耳に着けて読書をしていた。

 クラスに友人と呼べる人はほとんどおらず、一人で過ごしているのが入学して一ヶ月たった僕の現状だ。

 別に何かやらかしたわけではないが、常にイヤホンをつけて周りにかかわってこない人間と普通は話そうとしないだろう。

 この結果に後悔はしておらず、人と関わらないで済むのでこれでいいと考えていた。

 なぜなら僕は――人の感情が分かるからだ。


 「昨日のドラマみたか?」

 「ああ、見た見た。面白かったよな」

 「新曲聞いた?」

 「うん、聞いた。サビがめっちゃよかったよね」


 このなんて事のない日常の会話だが、僕には普通の人とは違って感じる。

 まず、ドラマを見たかの返事と、新曲のサビが良かったという二人の返事は嘘だ。

 先ほど感情が分かると言ったが、具体的には聞いた言葉の感情の強さや好意などを温度で感じることができ、相手を見ると見た人の言葉の感情が流れてくる。

 二人の言葉はそれぞれ生ぬるい温度に嘘の感情が流れてきた。

 つまり、相手の話に興味が薄く、適当に話をあわせているだけということだ。

 この能力のせいで嫌な思いを多く経験してきた結果このように、一人で過ごすようになった。

 クラスの中でもこんな僕に話しかけてくれる例外が何人かいるが。

 ホームルームがそろそろ始まるので、気が進まないがイヤホンを外すと、周囲の人の言葉が熱を持ち始めたのを感じた。


 「彼女か……」


 周囲の様子から誰が来たのかを察して、外したイヤホンを再びつけようとしたが遅かった。


 「おはよう皆」


 教室のドアから一人の女子生徒が入ってきて、クラスメイトに挨拶をする。

 それ自体普通のことだが、彼女がすると普通のことではなかった。


 「おはよう、橘さん」

 「橘さん昨日のドラマ見た?」


 クラスの人々が一斉に彼女、橘鏡花たちばなきょうかへ話しかけていく。

 彼女は成績優秀、誰にでも優しく、スタイル抜群の美人だ。

 神は二物を与えずというが、彼女は二物どころの話ではない。

 わずか一ヶ月で学年のアイドルと呼ばれるほど有名な彼女は、すでに多くの告白をされているがすべて断っているようだった。

 彼女の周囲のは常に多くの人が存在しているので、近寄ると能力の影響で強い感情が多く流れ込んで気分が悪くなってしまうので、僕はなるべく彼女の近くにはいかないようにしていた。


 「すみません、もうすぐホームルームが始まってしまうので、話は休み時間にしませんか?」


 彼女が困りながらそう言うことで、周囲の人たちは自分の席へ戻っていく。

 ようやくクラスが落ち着いたところで、彼女も自分の席へ向かい席に座る。


 「おはようございます。天野君」


 そして、花が咲くような笑顔で隣の僕へ挨拶をしてくる。


 「おはよう、橘さん」


 そう、不運なことになるべく避けたい彼女の席は僕の隣だったのだ。

 この席は学校が始まってすぐにくじ引きで決められ、クラスの男児たちから嫉妬の感情を一気にぶつけられ、吐きそうになったものだ。

 あく感情は基本的に気持ちのいいものではなく、流れてくると少し気分が悪くなる。

 それを十数人から一気に流し込まれれば、どんなに体調が良くても次の瞬間には絶不調になっている。

 だから嫉妬の感情を向けられないようになるべく関わらないようにするが、彼女は誰にでも優しく、一人で過ごす僕にも話しかけてくれる例外の一人だ。


 「昨日少し夜更かししてしまったので、今日は遅刻しそうで危なかったです。天野君はいつも学校に来るのが早いですよね」


 彼女の言葉に裏はなく、嘘をつかずに話してくれるので、会話していて不快な気持ちにならない数少ない相手だが、こうしている間にも聞こえてくる言葉には嫉妬のせいか、冷たい感情が周囲から伝わってきている。

 かといって無視したり、冷たい態度をとった時にはこれの比にならない感情がぶつけられるので、普通にしなければならない。


 「そうだね、早寝早起きは習慣になっているから、学校に来るのは早いね」

 「私朝起きるのが苦手なので羨ましいです」


 なるべく登校中の学生が少ない時間に来ることで、能力の影響を減らしているだけなのだ。

 人数の多い時間帯に登校して、朝から気分が悪くなるよりは早寝早起きをした方が良いと気づいて以来そうしているのだ。


 「朝弱いのは人それぞれだから仕方がないよ」

 「そうですね」


 どうにか会話を打ち切ろうとした時、タイミングよくチャイムが鳴った。


 「先生がもうすぐ来るし、またあとでね」

 「はい、今日も一日頑張りましょう」


 その後先生が来てホームルームが始まったことで、周囲の興味が先生へ向いた。

 こうして朝を乗り切った僕は、何とか今日も一日乗り切ったのだった。


 「きりっつ、礼、ありがとうございました」


 号令係の挨拶で長かった学校が終わる。

 こんな能力を持っている僕は当然、部活に入っているわけでもないのですぐにカバンを持って人が多くなる前に学校を出る。

 家までは学校から徒歩二十分ほどで、比較的近い場所にある。

 今日も疲れたのでさっさと帰って読書の続きでもしようと思ったのだが、とあることを思い出しカバンの中を慌てて覗く。


 「課題の問題集がない。授業が終わって机の中にしまったままかな」


 いつもより少しカバンが軽いと思い、覗いてみれば案の定だった。

 気が進まないが、提出期限は明日なので取りに戻らねばならないい。

 課題を忘れて先生に叱られるのもそうだが、むやみに注目を浴びることは避けたい。

 また学校に戻らなければならないのかと、憂鬱な気分に陥りながら俯いてなるべく人を視界に入れないようにして学校へ戻る。

 重い足取りで教室へ向かうと、ほとんどの生徒は部活や家に帰るためにすでに教室を出て行っているはずなのに、彼女は一人教室に残っていた。


 「どうしたのですか天野君? 帰ったはずでは?」


 僕に気軽に話しかけてくるのは、橘鏡花だった。

 

 「課題の問題集を忘れたから取りに戻ってきたんだ」

 「それは災難でしたね」


 彼女は部活に所属していないので、すでに帰宅していると思っていたが何やら掃除をしていた。


 「そういう橘さんは掃除してるの?」

 「はい、今日は私の当番なので」


 手に持った箒を見せながら説明し、掃除に戻る。

 だが、一人で掃除をするその光景はおかしかった。


 「他の人たちはどうしたの?」


 掃除当番は一人ではなく、複数人いるはずなのに、彼女の他には誰も見当たらなかった。


 「他の人たちは用事があるのですでに帰りました」


 ゆるりと首を横に振って何てことないように口にする彼女だが、少し寂しい感情が僕に流れてきた。

 不思議なことに寂しいという感情は本来冷たい温度が伴うはずなのに、この所の言葉はなぜか温かかった。


 「橘さんは、掃除を押し付けられたんじゃないの?」


 気が付けば口からそのような言葉が出ていた。

 いつもなら、何も言わずに問題集をとってさっさと帰っているはずなのだが、少し気になってしまった。


 「そうかもしれませんね」


 苦笑いを浮かべながら僕の言葉を肯定する。

 彼女は体よく雑用を押し付けられたことを分かっているのに、負の感情を抱いていないのだ。

 普通は押し付けられた不満や、恨みなどが存在し、言葉は冷たくなるはずなのだが、不思議なことに彼女の言葉は温かいのだ。


 「用事だってどうせ嘘じゃないのか」

 「そうですね、おそらくその可能性が高いでしょう」

 「だったら、その友達が少しは嫌いになるんじゃないのか?」


 相手を不快にする言葉がどんどん口から出て行く。

 僕には理解できなかった。

 嘘をつかれて利用されているのにもかかわらず、負の感情を抱かないことに。


 「嫌いになんてなりませんよ」


 だが、そんな僕の言葉でも一切不快にならずに彼女は断言した。


 「どうして?」

 「確かに彼女は嘘をついたかもしれません。ですが、それだけで嫌いにはなりません。私は彼女のいいところを知っています。今回の嘘だけで彼女のその良さはなくなりませんし、彼女と過ごした思い出も消えたりしません」


 とても信じられないような言葉だが、それが本心で言っているのが僕にはわかった。

 それと同時に強い衝撃が僕の中を走った。


 「そうなんだ。ごめんね変なこと聞いちゃって」

 「いいえ、一人で暇だったのでちょうどよかったですよ」


 今思えば彼女の言葉は常に温かく、心地のいいものだった。

 あれだけ多くの人たちに囲まれながら、嘘をついている場面を見たことはなく、冷たさを感じたこともなかった。

 彼女は僕がいないと否定した、一度も嘘をついたことのない人間だったのだ。

 そんな人間が存在したのだ、しかも目の前に。

 ありえない、本当は彼女の先ほどの言葉は嘘だと言われた方が信じられるが、何よりも僕の能力が彼女の言葉は真実だと言っている。

 ならば疑うことは彼女に失礼だ。

 気づけば掃除用具入れに向かい、箒を持っていた。


 「何をしているんですか?」


 彼女は驚きながら僕に訊ねてくる。


 「何って掃除だよ」

 「天野君の当番ではないですよ」

 「分かってるよ。さっき君の友達をバカにするような発言をしたからそのお詫び」

 「私は別に気にしていませんが」


 彼女は不思議そうに答えるが、反対に僕はなぜ彼女が困惑しているのかが分からなかった。

 一人で掃除をしている人がいたら手伝っても不思議ではないはずだ。

 恩を無理やり売っていると思われたのだろうか。

 能力である程度感情は理解できるが、相手の心を読めるほどこの能力は万能ではない。


 「じゃあ、一人で掃除している橘さんを見て見ぬ振りができなかったから。これを見捨てて帰ったら、僕が後から嫌な気分になるから勝手にやるってことで気にしないで」


 なので、あくまで自分のためと言って、恩を売るつもりはないことをアピールする。


 「ですが、天野君はそんなタイプではありませんよね」

 「そうかな?」

 「そうですよ。いつも我先にと家に帰ったり、面倒事を避けてるじゃないですか。隣の席だからよく知っていますよ」

 「バレてたか」


 まさかそこまで知られているのは想定外だった。

 そこまで知られていれば、この言い訳も使えない。


 「じゃあ、綺麗好きってことでいいよ」

 「そんな今考えたように言われても……わかりました。綺麗好きなら仕方ありませんね。掃除手伝ってくれますか?」


 僕の言葉が面白かったのか、喉を鳴らして笑いながらお願いをしてくる。


 「お願いをされなくても、僕がやりたいだけだから別に気にしないで」

 「そうおっしゃるならそれでいいですよ」


 ついに折れて苦笑しながら、二人で掃除をする。


 「ありがとうございます」


 お礼を言われるが、自分のためにやっているので、聞こえなかったふりをして返事をしない。

 一人では時間がかかっても、二人でやれば掃除はすぐに終わった。


 「あの、ちょっと待って下さい」


 ちりとりで集めたごみを捨てて、やることは終わったので、すぐに帰ろうとすると彼女に呼び止められた。


 「どうしたの?」


 もう用事は済んだので早く帰りたいところだが、彼女は何か言いたそうにもじもじしていた。

 彼女を見ると、様々な感情が流れ込んできていつもなら一度に複数の感情が流れ込むと気分が悪くなるのだが、不思議と彼女の感情は不快ではなかった。

 彼女はひとしきり悩んだ末に、恥ずかしそうにしながら口を開いた。


 「あの、連絡先を交換してくれませんか?」

 「えっ? 誰の?」


 後ろに誰かいると思って振り返るが誰もいない。

 そんな僕の間抜けな行動を見て、笑いながらもう一度今度ははっきり告げる。


 「天野君の連絡先を教えて欲しいのです。今日のお礼も今度したいので」


 予想外の言葉に思わず唖然としてしまうが、すぐに正気に戻り頷く。


 「うん、僕なんかでよければお願いします」


 気づけばそう言葉にしていた。

 普段なら彼女の連絡先を持っていることの危険性を考え、断っていたはずなのだが、なぜか今は彼女のことをもっと知りたいと思っていた。


 「ありがとうございます」


 だがそんな考えは彼女の花が咲いたような、見惚れるような笑顔の前ではどうでもいいことだった。

 こうして普段は避けようとしていた学年のアイドル、橘鏡花と連絡先を交換することになったのだが、今思えばこの時にはすでに、僕は彼女に恋をしていたのだろう。

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