第064話 他人の恋、自分の恋
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生
春分も過ぎ、
最初の頃は、いちいち騒いでいたリーエとヴィセの二人も、段々とまじめに受け止めるようになっていった。
ある春の日の昼下がり、リーエも薬が効いて落ちついた時間、二一六号室の二人はいつも以上に真剣に話し合った。
ヴィセが尋ねる。「リーエとしてはどうしたいの?」
リーエは、二人の二一六室の真ん中に拡げた談話テーブルに向かって座り、ヴィセが入れてくれたハーブティを飲む。「ホントーにね、ホントーに、なやんでいるんだぁ」そういって天井を見上げる。
ヴィセは黙ったままハーブティを口に含んで、そのまま、黙ったままでリーエを眺める。
リーエは、顔を下ろすとヴィセとは視線を合わせないままゆっくり、語り出す。「いま、分かっているのは、チーヤが私のことを、恋愛的に、好きでいてくれている、ということ。
分かっていないのは、私自身が、どうしたいかということ。
チーヤのことは好きだよ。
うん、それはその通り。
だけど私の心は、年相応に育っていない、と、思う。
多分幼稚園の時の、ハセがいじめられたら、いじめた男子を許さない、みたいな、正義感とか、優越心とかから来る見守っててあげたい気持の、裏返し、鬱病の自分とは、絶対的に有意な存在に、依存したい気持ち、が先に出ちゃってると思う。
多分それは、子供が親を頼るような、妹が姉を頼るような、そんな、好き、なんだと思う。
あのさ」
「なに」と返事しながらヴィセはハーブティを口に含む。
「ヴィセは今まで、どんな恋をしてきたの」
口に含んだお茶を、ブーっ、という音ともに吹き出すのを、リーエの顔目がけてではなくとっさに横を向き、窓の外に向けるくらいの余裕しかヴィセにはなかった。
げへっ、げほっ、げほほっ。
気管にまで落ちたハーブティにむせかえる。
リーエは、びっくりしすぎ、うろたえを通り越して涙目になろうとしている。
ヴィセはそんなリーエを横目に見て、左の手のひらを向けて、気にしないで、の合図を送ってくる。
「ごめん、いきなりすぎる直球で少しむせた。
でもそうだよね、私ぐらいしか聞く相手いないもんね」
リーエは、首を縦に二回振る。
「ちょっと、落ちつくまで、まってね」そういうとヴィセは、なんども咳き込みながら、落ち着きを取り戻す。「私はさあ前にもいったっけ? 北部のライコンコスキの出身なんだ。
私は中学とは違って、高校は私服の共学高にしか通えなかったんだけど、入学した一年生の秋に、移動教室で、すれちがったんだぁ、
最初の彼氏に」
そう、昔を振り返るヴィセの顔は、きっと心臓がそうさせるのだろう、乙女の、顔だった。
ヴィセが続ける。
「その時は教材やら、教本やら、プリントやらと荷物が多い授業でね、教室の入り口でつまずいた私は荷物を盛大に床に散らかしてしまって、みんながクスクス笑いながら通り過ぎていくとき、一緒になって拾い集めてくれたのが彼だったんだ。
すぐに調べて、そしたら三年生だと分かって、こりゃご縁がないかな、と思っていたんだけど、学食で時間帯が被ることが多くて、なるべく近くのテーブルを選んで、周りの子を誘って、周りの子のことは話半分にききながら、彼を眺めていたんだ。
男の子達のグループで食事を取るときは楽しそうに盛りか上がっていて、たまに、女の子と二人で食事を取っているときは、もの凄く優しそうなオーラが出ていて、彼女持ちかあ、なんて凹んだこともあったけど、絶対に同じ女の子とは二回も食事を取らなくて、なんか違うぞと思い始めて、いろいろ聞いて回ったら、彼女なんていない、っていう噂を耳にして、
もう、その頃は恋に落ちていたんだな、私」
ヴィセは一拍おいて、ハーブティで口を潤す。
「それでね、思い切って告白したの」
リーエは驚き「えっ、はやっ」と呟く。
ヴィセは本当に優しい笑顔で答えてくる。「入学して、彼の存在に気がついて、告白したのは十一月だったから、多分、そんなに早くはないんじゃないかな。
結果は撃沈。
声をかけたのが人通りの少ない渡り廊下で、廊下から校舎と校舎のあいだに降りて、少しはなれたところに誘って告白したの。
でも、ごめんって即答されて、続けて、ちゃんと説明したいから今度お昼を一緒に食べない、と聞かれて、何を勘違いしたのか私は舞い上がっちゃってさ、二つ返事でオーケーしちゃって、その日のお昼を学食で一緒に食べることにしたの。
そこで聞かされたのは、ライコンコスキには大学はないから、そしてゼライヒ北部は南部と比べて人口が少ないこともあって、大学進学とともに、ばらばらになってしまうことの方が多いから、だから高校の内に選んだパートナーと、大学進学が切っ掛けでぎくしゃくしてしまい、破局になることが多いから、だから高校では相手を作らないようにしているんだってことだった。
それで私は理解したの、ああ、彼が二人で昼食を取っている女の子達は、みんな彼に振られた子達なんだって。
それともう一つ、彼は相手が自分のことを諦めやすい理由を持ってきたの。
彼は、周りのみんなにも変わっているといわれていると付け加えた上で、黒髪ストレートの子がタイプなんだって。
旅行中の東洋人の女の子がだっこされているところをみて、もの凄い衝撃を感じて、一時期、自分が変態なんじゃないか、ロリコンなんじゃないかとも疑ってみたって。
でも、東洋のWEBサイトを見たりして、自分が黒髪のストレートにもの凄くあこがれを感じることに気がついたんだって。
それを聞いた私は、その日のうちに美容院に寄って、髪を真っ黒にして縮毛矯正を当ててもらったの」
それを聞いてリーエは驚く。「えっ、染めちゃったの?」
「そう、黒く染める子なんていないから、美容院側もびっくりしていた。
そして翌日、彼に会いに行ったの。
ていうか、登校したときからクラスメイトの話題になっていて、めっちゃ恥ずかしいはずなんだけど、私の心は何か落ちついていて、どーだ、見たか、って気分だった。
お昼の学食で、また周りの男子生徒と和気あいあい盛り上がっている先輩の所にいったの。
先輩、お話しがあります、って。
彼のためにそこまでする子はいなかったみたいで、彼の好みを知る男子生徒の何人かは、スプーンを手から皿に落とすほど驚いていたし、彼に断られたであろう、何人かの女子からは、すっごい恨みのこもった視線が差してきた。
彼は驚いて、あ、うん、いいよ、今? って聞いてくるし、こっちは学食に入ったところから心臓がドキドキしていて緊張が止まらないし、二人で別のテーブルに移った時は、お互い、しばらく声も出なかった。
だから、自分の方から聞いたの、東洋人でもないのにこんな髪色、変ですか、って。
そしたら彼は、少し紅潮した頬で返してくれたの、こんなことをいって君を惑わしたくはないんだけど、いま、自分でも信じられないほどドキドキしている、素敵だよ、君は、って。
それからも色々あったけど、そんなこんなで私の期限付きの恋は始まったの。
ホントーに幸せだった。
一日だって休みを取らなかったし、勉強にも身が入って成績も上がった。
期限付きの恋のはずだけれども、私は、そんなことない、と打ち消すように振る舞っていた。
でも、あっという間に彼の卒業という期限が来た。
彼は頑なだった。
最後は、分かれたくない、と泣きじゃくって彼の胸をつかんでいたけれども、彼も最後は、ぽつりぽつりと、ごめん、を繰り返すだけになっていた。
そして、彼の手で、彼から引きはがされて、ごめんなこんな結末で、といわれて、私も流石に、これ以上の私の全てが彼の迷惑だと分かって、だから、ありがとう、とだけ伝えて家路についたの。
一週間は泣いて過ごしたかなあ。
段々と現実と向き合い初めて、そして開き直り初めて、そして元気を取り戻して、そして迎えた新学年。
九月の一学期スタートは最悪な質問で幕を上げたわ。
私は髪を切ってショートボブにして髪色も地毛に戻したの。
そうして、一年生の頃から仲のよかった男女のグループで、世間話や噂話をしていたら、男の子の独りから、もう三年生の先輩とは別れたのかい、って聞かれたの。
人が今一番聞かれたくないことを、よくもまあ堂々と尋ねてくるな、ってあったまにきた私は、それがあんたになんの関係があるわけ、って怒鳴り返したの。
彼はようやく、自分がとんでもない事を質問したと気がついたんだけど、後の祭り。
周りからもブーイングをうけてしょんぼりしていたわ。
私も気が動転していて、涙目になりながら聞いたの「なんで私のプライベートがあんたに関係あるわけ」って、そしたら彼なんていったと思う。
そうリーエにたずねるヴィセの顔はいたずらっ子のそれだった。
リーエは腕を組みながら「うーん、噂話を確かめたかった、とかですかねえ」と、思いつくままに返事をする。
ヴィセの笑みが強くなる「それがね、私のことが好きだったから、おつきあいできるチャンスがきたのか確かめたくって、っていってきたのよ。
その場にいる全員、はぁ? となったわ。
特に女の子達がキレかかっていたな。
人の傷心につけ込もうとかあり得ない、図々しい、って。
でもさー、その一ヶ月後、私彼とつきあっちゃうんだよねぇ」
「えっ」とリーエが驚く。
無理もない、先ほどまで先輩との恋路をヴィセの表情つきで聞いていたばかりだ。
去りゆく先輩への一途な思いに耳を傾けていたのに、あっという間に他の男の子とつきあうとは衝撃だった。
ヴィセが続ける。「これはねぇ私だけが悪いのかも知れないんだけど、一度恋愛の安心感を知っちゃうと、好きを伝える人物がいないことがもの凄くわびしくて、私は耐えられなかった。
二番目におつきあいした彼が、ほど良くあきらめが悪かったこともあって、何度目かの告白の前には、彼を気になっちゃう自分に気がついていて、我ながら節操がないと思うんだけど、ああ、第二章が始まるんだな、って思ったの。
同じ学年の彼は結構辛抱強い正確で、私が前彼のことでナーバスになっても、ヒステリックになっても、いつも、ごめんね、って謝ってくれた。
お陰で一年半は穏やかにすごせた。
けれどね、ライコンコスキの国防軍事務所から連絡があって、国防の機密だから家族にもいうな、という誓約書を書かされて、訳の分からぬ鎧を着せられて、あれ、軽くなったな、と思いながら走ったり飛んだりしたら、それだけで周りの大人達が騒ぎ出して、そうして私は徹攻兵という、とにかく謎のなにかに囚われてしまったの。
一度は、彼に、同じ大学にいけたら良いねといっていた私が、突然、高校卒業後のことはどうしてもお話しできない、なんの道に進むのかも伝えられない、おつきあいも続けられない。
本当にごめんなさい。
ってなんども謝ったわ。
前にもいったように彼はほど良くあきらめが悪く、なぜ、どうして、僕たちの関係がここで終わるのなら、せめてそのなぜを聞かせておくれ、と頼まれたんだけど、私は、どう説明していいかも分からず、ただ、駄目なものは駄目なの、と突き通すしかなかった。
彼は泣いたわ。
そりゃそうよね、今まで一生懸命つきあってきた彼女から、いきなりの別れの宣告なんだもの。
彼は最後まで優しかった。
最後には、ありがとう、っていって私の元を去っていったわ。
私は家に帰るまでぼーっとしてた。
けど自分の部屋に入った途端、前彼との別れと今彼との別れが両方同時に押し寄せてきて、パニックになって泣きわめいたわ。
だから私は決めたの、絶対に優秀な徹攻兵になるんだって。
それが、あの時彼に何も説明してあげられなかったことの、せめてもの償いになると思っている」
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