第062話 災害派兵

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

 

 

 ゼライヒでは、三月といえば洪水、洪水といえば三月というのが習わしだった。

 ゼライヒの国土自体、小さくゆるやかな丘が入り組み合ってできている。

 丘と丘の間の、これまた緩やかな溝は、通常、農道として牛車が行き交うか、東西の山々からしみ出る泉の集まった小川になって、国土中央を東北から南西に連なるクツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ河に注ぎ込む。

 だいたいにして、一つないし三つ程度の丘が、居住地兼農場もしくは居住地兼工房として人々が営む。

 そしてそれぞれの丘の北端に、水を避ける避水壁を設ける。

 洪水はよい肥料と成る森林の腐葉土を全国に振り分けてくれる意味で有り難いものではあるのだが、緩い丘の上に立つ、既存の建物の土台や表柱といった木材の部分にかかると、相当熱心に洗い流さないと、建物の足下から木材が腐食していく。

 このため避水壁の修繕は、冬の農閑期の男手の一大仕事なのだが、ここにトヒダッフ悪戯の神のサイコロが入る。

 どうしても毎年、流れが激しいところと、ゆるゆると流れていくところがある。

 これが定まらない。

 大勢の科学者が取り組んだ謎だが、地形、気候、天候、流体、いずれの科学でも氾濫地域の特定はできず、まさにトヒダッフ悪戯の神がサイコロを振って出た目の地方を急流が襲う。

 

 避水壁の手入れは、厳冬の年末に、新しい春の神を迎え入れるための、男手が担う季節の家事の一つだった。

 避水壁を作る場合は、自分の丘と通りの境界線上に細く浅く、そして長い掘をほる。

 この時、となりの丘がまだ未開拓だったりすれば比較的適当に掘を設けられるが、向こうも避水壁を張っていたり、土地と道の境界線上に縁石をおいているようであれば、馬車が二台、すれ違えるだけの広さと余裕を持っていないと、がめついだけの貧乏根性として、先々まで集落で苦い思いをすることになる。

 掘をほりおえるとその底に基石を敷いていく。

 その上に昔だったら杉や翌檜あすなろの板、今時分はどこでも安価に手に入るコンクリートパネルと呼ばれる防水加工をしたベニヤ板を立てる。

 板は、奥から手前の舳先へさきに向かって、奥の板の上に、手前の板が少し被るようにして準々に立てられていく。

 板の足下は、ゼライヒの国土ではどこの丘でも大抵、一・五メートルも掘り下げると現れる粘土質の土で盛り固め、その上に両手で抱え上げられる程度の岩と石の中間の大きさの小岩をはめ込む。

 これは実際の洪水の時に粘土が流され切らないように守り岩として機能するとともに、自分たちの丘はここまでだという縁石の役目も果たす。

 舳先へさきと呼ばれる左右の壁の突き当たりは、土地土地に寄って角度の違いはあるものの、おおよそ直角か、それよりやや広い角度で合わせる。

 その裏から、角度を合わせた太めの柱を、板材として使われる塀の足下の三〇センチほど高めに立てる。そしてその柱の中間と最上部に内側から外側に角度をつけた筋交いとしての柱を入れる。また、一つ一つの板塀の内側からも、板材の中段から下に伸びる内筋交いと、板材の上端から下に伸びる外筋交いが設けられ、完成する。

 中には、塀の上に小さな屋根を掛ける家もあるが、これは家主の趣味とされる。

 

 さて洪水のための災害派兵となると、この、避水壁の補修が求められる。

 避水壁の崩壊の程度はそれぞれの家によって異なる。

 壁の一部が腐り、穴が開く場合もあれば、数枚の板が内側にめくれてしまい大量の水が入り込んでくる場合、本当に最悪の場合は避水壁が丸ごと崩れて流されてしまう場合もあるが、これは滅多に無いことでもある。

 避水壁が壊れる、崩壊することは、家主の責任であり、その家主を含む一族の責任ともみられる。

 そのため、冬の農閑期の間に、特に旧暦の新年祭こと当時の日を迎える行事の一つとして、避水壁の様子を確かめ、必要に応じて補修を行うのが嗜みではあるのだが、例年のゆったりとした流れなら保てても、トヒダッフ悪戯の神のサイコロに当てられた地域では、本来以上の力がかかり、どうしても壊れてしまう。

 当然、急流ということは水かさも増しており、大体大人の腹から胸辺りの高さになる。

 この水深の急流に立ち止まれる人間はいない。

 そもそも浮力で体が浮いてしまう。

 これに対しては主に陸軍を中心とした水陸両用の建設重機や、ヘリコプターによるつり下げ作業など、様々な支援がされてきた。

 その在り方が変わったのは二〇二二年の七月四日、超大国アメリカが、小銃弾の効かない新世代の兵士の姿として、ASー01と、機関銃弾も無効化する進化した兵士の姿としてASー02の姿を動画で公開した。

 次いで、イギリス、フランス、ドイツが、ASシリーズやAWシリーズを公開したことで在り方が変わった。

 二〇二二年末、ゼライヒ女王国の一九九五年より始まるEUとの加盟国間の友愛を示す意味で、フランスから「春の水害対策としての徹攻兵派兵」を打診され、ゼライヒ女王国はそれを快く受け入れた。

 これにはロシアからの反発を招いた。

 NATO拡大に神経質にならざるを得ないロシアにとって、サンクトペテルブルクのすぐとなりに徹攻兵が派兵されるのは面白くなかった。

 しかし、時の女王ミノヴァ三世は毅然とした態度を取った。「災害時に他国の協力を仰ぐことと軍事行動は全く異なる。

 それでもロシアが我が国をことさら取り上げ軍事均衡を乱すと評するのであれば、サンクトペテルブルクに向けて一戦交えることも辞さず」

 これに対してロシアは、一切の声明を上げないことで関与しないことを決め込んだ。

 

 仏軍からの支援というがその実体はとんでもない。

 王立女子士官学校の特装科、つまり内部名称で呼ぶところの着甲科の生徒達の実地訓練として行われるものだった。

 徹攻兵は足下方向に向かっての衝撃を中和する。

 しかし全く重量がかからないわけではなく、型式に見合った重量はかかる。

 そうでなければ水面を歩くことになり兼ねないが、流石にそこまで魔法じみた動きを取るわけではない。

 水の浮力は受けるが、そもそもが着甲時強化現象は、その超重量級の鎧の重さを感じさせない機敏な動きが取れることにまず最初の特徴があり、浮力を受けるくらいで何か感覚が変わるわけではない。

 ただし流水の力は受ける。

 浮力を受けていなければ大抵の生徒は動けるかも知れないが、浮力を受けた上に急流の圧力を受けると、そもそもAS-01の訓練中である一年、二年はおろか、三年生でも満足に歩けなくなり、あるいは流されそうになる。

 そのため、三年以上の毎日の訓練を受け、AS-02への世代更新を控えている四年生が主たる作業者として流水に身を投ずることになる。

 作業そのものは単純で、傷んだ避水壁の外側から、高さ一八〇センチメートル、長さ三六〇センチメートルの超広型のコンパネを当てる。

 流水側の作業者が抑えている間に、控えの徹攻兵がコンパネをプラスチックハンマーで下に打ち込み、元々の縁石と避水壁をなす壁板の間に割り込ませるように打ち込む。

 ある程度打ち込めたら、といってもほとんどが元の避水壁と同じ高さまで打ち込むが、流水側の作業者が防水仕様の電動ドライバーで上流側から、縦に四本ずつのビスを打ち込む。

 この時、防水用の一〇センチ画の防水シートを当てた上からビスを打ち込むことでビス穴からの水漏れを最小限に抑える。

 こうして、板が外れたり、穴が開いたりした部分を広く覆うと、水に入れない何人かの徹攻兵が斜めがけ上下二段の支柱を立て始める。

 支柱は五センチ角程度のいわゆる「垂木」を持って作るが、内側の土地の傾斜具合に合わせるとなると垂木の頭を斜めに切り落とすことが必要になる。

 これに関しても徹攻兵の鋭敏かつ正確な感覚意識が奏功する。

 内側の斜面と防水壁の中間点を見つめることで、このくらいの長さが必用だな、という事がわかり、その通り垂木をのこぎりで切断してみせる。

 当然、徹攻兵にとってのこぎりで垂木を切ることなど、紙工作をするより造作もないことではある。

 むしろ、普段の感覚で力んでしまうと、のこぎりの柄や、垂木そのものを握りつぶしてしまう。

 なので皆、少し慎重に斬り落としていくが、それがまた、作業を見守る住民達には、匠の技に見えてしまう。

 その上、垂木の頭を壁にコツン、と当てるだけで必用な傾斜を見積もってしまい、これもまたのこぎりで易々と最小限だけ切り落とす。

 普通ならハンマーを使って打ち込むところ、両手でかまえて斜めに地面に突き刺し、十分な深さまで入ったところで垂木を内側の避水壁に当てると、ぴたりと角度が一致して内側からビスで固定する。

 これが始まると今度は外側、流水の中の徹攻兵は、コンパネから飛び出したビスの長さを整えるべく、一センチ程度の飛び出しを残してその先をニッパーで切り取ってしまう。

 こうして、洪水後の安全も確保すると、次の被災箇所に向かう。

 

 一年生はリーエをメインの作業者とし、ファラーを班長として、六名の一年生全員で一つの班を作る。

 二年生、三年生は四年生から選ばれた四人をサポートするように班を組む。

 他に、通信科と工兵科の三年生四年生も災害派兵の訓練の一環として参加している。

 通信科の機器類で、遠く王都ザキ・ス・ウェンに離れた王立女子士官学校の徹攻兵管制室と現場の徹攻兵達がつながる。

 また、丘の間を流れる急流を避けるため、六十年代に制式化された軽戦車をベースにした架橋車両を、工兵科が運用し、各部隊の丘から丘への展開を柔軟なものにしている。

 

 流水にあらがう安定力は、装甲服への対応度にもよる。

 当然、七十五パーセントぎりぎりで対応している四年生より、九十九パーセント出力のリーエの方が安定している。

 基本的には避水壁の端にあたる下流側から入水していく。

 腐葉土を中心とした汚泥の流れに身を投ずるのだから、決して気持がいいものではない。

 作業は作業、訓練は訓練と割り切って、豊かな土の臭いのする流水に入り込む。

 七十五パーセント出力のものがゆっくり、ゆっくりと一歩一歩踏みしめながら上流側の被害箇所へと向かう間に、リーエはもう、難なく自分の担当する避水壁の罹災箇所に到着してしまう。

 腹の上、みぞおちまで急流に浸かっているリーエだが、その急流を意に介しないかのように、避水壁の内側から差し出された超広型のコンパネを受け取ると、造作もなく水流と避水壁の間に押し込んみ、そのまま体重を掛けて固定し、肩の上に設けられた臨時の工具箱より水中用電動ドリルと防水シートを巻き付けた長めのビスを取り出すと、一本、二本、三本、とコンパネの中央部から流れに逆らって上流側へと、外側からのビス留めを始める。

 内側から作業を見守る子が、「頭出たよー」とリーエに伝えると「了解」と普段とは違って引き締まった声で、リーエが返事をしてくる。

 

 結局、リーエの班、一年生の班が真っ先に被害箇所を治め、避水壁の内側にいるリーダー役のヴィセが徹攻兵管制室と連絡を取る。

 「五班、最初に取りかかった被災者の対応を完了。

 多少の水漏れを認めるが、通常の避水壁の漏水と程度は変わらず、工事は完了したものと思われる。オクレ」

 ヴィセのカメラビジョンをみながらそれを聞いたカフィソは、管制室の十六K大画面に写したグーグルマップを見ながら、位置関係や損傷具合の事前報告から次の候補地を選び、クピューファ教官の合意を得て、新しい指示を出す。

 「こちら管制室。

 五班は丘を迂回して、現在位置の北東方向にある次の被災地へと向かってください。オクレ」

 ヴィセが返す。「了解、随伴する通信科、工兵科のチームと連携して移動を開始します。オクレ」

 そこにリーエが割り込む。「管制室、こちらリーエ。

 我、このまま流水の中を移動することを臨むが如何。オクレ」

 これに対してはクピューファが「リーエはそのほうが早かろう」と呟く。

 カフィソは「リーエの流水中の移動を許可する。全員、速やかに移動せよ。オクレ」

 最後にヴィセが「了解。

 ただいまより移動を開始する。オワリ」

 と宣言すると、それを聞いていた工兵班は、早くも架橋車両の移動を開始し、通信班、徹甲班がそれに続く。

 

 こうして作業が終わってみると、流れの強い難所の幾つもを一年生の班が対応し、さばかりか、工事に手間取る班を支援して、一日で全ての被災した避水壁を補修してみせた。

 従来、陸軍工兵科が主部隊として災害支援に当たっていたときは、一つの集落の被害を収めるのに一週間程度かかっていた。

 それがみるみるうちにふさがってゆき、どこもかしこも、敷地内に入り込んでしまった汚泥のかき出しを始められるようにまでなった。

 まだ日差しが傾きかけたばかりの頃には、全員がその市の市役所前広場に集合する。

 すると、誰彼ともなく自然と、感謝の拍手に包まれた。

 チーヤは、ここまで早く事が進んだのは、リーエの活躍によるものだ、と勝手に思い込むことにして、この拍手はリーエあっての拍手だと決めつけた。

 そして拍手の賑やかしの中で、小さく小さく呟いた。

 「私の月は、どこまで輝きを増すんでしょーねー」

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