第058話 誰もが気にするBMI値

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヴィセ:十九歳、リーエの同室、一年生



 それからというもの、毎晩、寝間着をリーエに着せつけるチーヤが「今夜も月は綺麗だったわ」という言葉を聞くたびにヴィセは二人の表情を盗むようにみてしまう。リーエは眠たそうな声で「そうですかぁ」と返事をするのがやっと。

 布団に潜るとチーヤが優しくかけて「お休みなさい」といってくる。

 リーエも「おやふみなはい」といって目をつぶるがチーヤが部屋をさり、足音が遠ざかると、がば、と布団をはね除けて上半身を起こす。

 ヴィセも同じ姿勢で「今日もだね」

 「そるらね」と答えるリーエは、薬のせいでろれつが回っていない。

 「今日は雨だったよね」とヴィセがいうと、リーエも「まれらっは」とうなずく。

 それ以上は、明らかに眠そうなリーエに、ヴィセが気を使い。「明日にしよっか」と声をかける。

 「んん、おまふうぃあはい」といって、二人、眠りにつく。

 

 翌朝、最初のルーティンとして気付けの精神薬二十錠余りを事務机の上にティッシュをかけて置いておいたコップの水でいっきに飲みほす。

 慌ただしく身だしなみを整え、制服に着替える。

 化粧は禁止されているのだが、日焼け止めを薄く塗るものが多い。

 生まれつき、白磁のように透き通った肌、といわれるゼライヒャリンゼライヒ婦女だが、それでもなお、日焼けを厭うゼライヒ乙女達は多い。

 制服に袖を通し、胸元のリボンをきっちり揃える。

 最近は、朝、動きを止めてヴィセを見つめるだけで伝わる。

 ヴィセがうなずくと、目線を落として肩を下げ、鼻で短くため息をつくまでが、リーエのルーティンになっている。

 

 ヴィセからみて、リーエは明らかに考え込むことが増えた。

 座ったまま、腕を組み、目を閉じる。

 居眠りしている時は首が前に傾くが、考え込んでいる時には、首がやや後ろにそる。

 そしてしばらくすると長嘆息。

 ヴィセは一回、お節介とは知りながら、言葉を選びつつリーエに伝えたことがある。「リーエ、ちょっといい」

 振り向いたリーエの顔は何時ものように張り詰めたリラックスの表情。「んーん? どうしたの」

 ヴィセはお腹の前で両手の指先を伸ばして合わせ合い、人差し指だけ回しながら、目線だけ、横に、上に移しながら話す。「あのーさ、お医者様でもない私が生意気をいえた話しじゃないんだけど、そのー、一つのことを考え詰めすぎて、体調崩さないといいなと思って、るんだ」

 ヴィセが、ゆっくりと、言葉を選び選び話してくれたことで、リーエの気持ちはほぐれる。「ありがとう、ヴィセ。

 でもこのことばかりは、ほんとによくよく考えないといけないことだと思うとね、どうしても頭から離れないんだ」

 ヴィセはリーエの瞳を見つめながらうなずく。「一つだけお願いがあるんだけど」

 「なーに?」

 ヴィセはやや慎重なおもむきで話す。「ホントーに辛い時は、私でよければ話して欲しい。

 話さなくても、横に座って手を握ることくらいはできるから」

 それを聞いて、リーエの顔に一瞬、ぱあっと花が咲く。「ありがとう。

 できる限りそうならない範囲で取り組んで見るよ。

 私、この課題に」

 

 一人ひとりが家をかまえ、例え親や祖父母から引き継いだ家でなくても、婚姻し、出産し、その子がまた出産すれば、一族を率いる立場になる。

 それが、ゼライヒの大人としての最低限の身だしなみで、同性愛や、なにかに執着するフェチズム、妊娠につながらない性行為などは公にするのも酷くはばかられるのがゼライヒの国風だった。

 年頃になっても結婚しないというのも、自分には見えないところで、世間から冷ややかな視線を送られるのが常であったし、その子の父や母の所には、時にはその友人や地域の人が、縁談の話しを持ち込むことも少なくなく、そして自由恋愛ばかりではなく、そういったお見合い結婚でも幸せに暮らす夫婦も大勢いた。

 それを考えれば選択肢は一つ、ごめんなさい、それのみだった。

 ただ、リーエにはなんとも割り切れないなにかがあった。

 それがなにかは分からない。

 ただ、考えすぎるとやがて、何かぶよぶよと波打つ頭に、八本の髭の生えた、テイルコートの紳士が浮かんでくる気がして、そこでいつも考えを止めていた。

 その紳士は絶対に見つめてはいけない、そんな背筋も凍る戦慄が、リーエの背中を襲い、一つの考えにとりつかれる状態から、自分を解放してくれた。

 

 そして、そんなリーエの思いとは別に、季節は巡り社会は動く。

 二月ももうそろそろ終わりだな、と本当に厳しい寒さが、それでも和らぎをみせようとしてくるタイミングで、着甲訓練中にチーヤが見かねていいだした。「リーエ、失礼を承知で敢えて尋ねます。

 あなた、いまの装甲服がサイズに合ってないんじゃない?」

 リーエはとぼけて、体を捻ってお尻から脚のラインを確かめたり、腕を上げて脇の下のラインをみたりして、「そうですかね」といくらか喰い気味の勢いで、答えてくる。

 それに対して、チーヤの指摘は止まらない。「胸、ウェスト、ヒップ、太もも、ふくらはぎ、そして上腕、それぞれがきついでしょ」

 リーエはいささかふくれ気味の態度で、「そうですかねー? ていうかチーヤさん、なんでみんなの前でそんなこというんですか?」

 チーヤはクールに、さも当たり前として答えてくる。「jungere Schwesterユンガーレ・シュベスター=妹の体調管理はaltere Schwesterエルターレ・シュベスター=姉の務めですもの」

 リーエはあきらめ顔にため息をつく。「ダイエット、しなきゃですねー」

 それを聞いたチーヤが、逆に喰い気味に話す。「逆よ逆、あなたのBMI値はようやく正常に向かっているの。

 ぶっちゃけ、ここにいるみんなが入学時からずっと同じサイズの装甲服を着ているから、少女時代の低いBMI値のままで、みんなモデル並みにBMI値が低いけど、あなたは別。

 せめてBMI値が十七以上にならないと。

 だからええと、身長百七十三のリーエは、最低五十三キロが目標体重なの!」

 きっぱりと言い切るチーヤに押され気味のリーエが「は、はい」と答えると、セテーが一つ咳払いをする。「チーヤ、妹の健康をおもんぱかるのは素敵なことだわ、でも、みんなのプライベートまで口にする必用はなくってよ」

 指摘されてチーヤは気がつく。

 「皆さん、ごめんなさい。

 リーエの食事の時の論文で、ちょっとカフィソからデータを出してもらって」

 とチーヤが言い訳すると、すかさずカフィソが余裕の声で、「ちょっと、チーヤ、こっちにまで飛び火させないでくれる。

 みんな安心してね。

 私とチーヤがみたのは現役学内徹攻兵の平均値で、個人個人の身長体重スリーサイズなんて出してないから」

 そこに教官のクピューファが割り込んでくる。「あー、んほん。

 改めて伝えるが、三ヶ月に一回のメディカルチェックや月次の身長体重その他サイズの変更の有無は全て私が管理させてもらっている。

 二十代前半はまだまだ体型が変化しやすいものも多い。

 これまで、装甲服が緩くなったものはほとんどいないが、きつくなっても緩くなっても、一定期間それがつづく場合は諸君等に二つの選択肢が残されている。装甲服のサイズを変えるか、自分の体型を変えるかだ。

 なお、自分の体重を減らす方向を選んだものには、歩兵科の訓練への参加資格を認める。

 これは必ず効果があるぞ、ははは」とクピューファは割り込みの最後を笑い声で締めくくった。

 着甲科の生徒は、被着甲時の仕事量において歩兵科の学生達より大きく劣る。

 皆が心からの愛想笑いを力なく発すると、セテーが追い打ちをかけてきた。「冬場だったら私が寒中水泳につきあってあげるわ、これも効果があるわよ」

 いかなゼライヒャリンゼライヒ婦女といえど、氷点下の冬場に、水着一枚裸足のままで、氷の張るプールに上がり、ハンマーで一本の渡り道を空けてから水泳するセテーに付き合いたい者などいなく、こちらもまた、乾いた笑い声を招いた。

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