第四章 心

第055話 んー、なんだっけ

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生

・ヴィセ:十九歳、リーエの同室、一年生



 年明けの休暇も過ぎ、王立女子士官学校の生徒にも日常が戻ってくる。

 着甲科の訓練は、何時ものように夜間になってから、飛んだり、走ったりのくり返しだ。

 誰しも、「少しでも上へ」「少しでも早く」と意識せざるを得なく、その結果、息を切らしてはクピューファ教官より指摘が入る。

 皆、そこで呼吸を整え、逸る気持ちを落ちつかせる。

 余り頻繁に息切れを起こすと、クピューファ教官の判断で、着甲訓練を休まされることになる。

 着甲科の生徒、というより顕現者にとっては、自分の出力が伸びることが喜びにつながり、自信にも誇りにもなる。

 だから誰しも訓練を休止されることには敏感になっており、慎重に息を整える。

 

 高緯度地方での、冬の日の入りは早い。

 その分、早くから着甲科の訓練は始められるが、日付が変わる前、二十三時をもって訓練が終わる。

 整列し、点呼し、全員が揃っていることを確認すると、全員で着甲室に向かう。

 いかな徹攻兵といえど、単独で装甲服を外すことはできない。

 ヘルメットを外し、肩から指先まで両腕の装甲を外し、上半身、及び腹部の装甲を外す頃には、着甲時強化現象の発現は収まり、下半身の装甲服の重量が、一気に腰にかかってくる。

 年若い女性徹攻兵は、ウエストがくびれている分、骨盤に一気に重量がのしかかることになる。

 特に第一世代型のAS-01は一見、過剰なほど装甲が分厚くその分重量の負担が大きい。

 自然、一年生は、四年生、三年生、二年生の脱衣を支えることになる。

 着甲室は唯一徹攻兵しか使わない離れなので、それほど広大な広さがあるわけではない。

 自然、装甲服を脱いで整頓したものから、退室した方が残りのものにスペースを与えることになる。

 そのため、四年生、三年生は、二年生、一年生の補助を受けて脱衣すると、速やかにアンダーアーマーも脱ぎ、制服を纏って、背の低いロッカーに引き出し状にあつらわれた自分の名前が書かれたコンテナに、装甲服のパーツを一つ一つ確かめながら、決められた方法で収める。

 それを終えると、一番上にアンダーアーマーを重ね、引き出しを奥に押し込む。

 そして退室。

 

 最後の三年生の退室を敬礼して見送ると、一、二年生の間に張り詰めた空気の緩む安堵が広がる。

 一年生が二年生の脱衣を補助する。

 二年生は、自分たちの装甲服を仕舞ったら、そのまま退室してもいいのだが、世代によって関わり方が違う。

 第二五〇期生は、チーヤがリーエのシュヴェスターということもあり、必ず装甲服の脱衣を手伝っていたので、自然、と、後輩達の脱衣を手伝うものが増えた。

 中には、しかかり中の課題が終わっていないことを理由に、申し訳なさそうに一足早く、着甲室を出て帰室するものもいたが、そういう事情もない限り、全員が一年生の脱衣を手伝い、最後の生徒が、引き出し型のコンテナを閉めると、二年生は出口側に整列し、一年生は向き合うように整列する。

 二年生の最優秀生徒、というとチーヤになるのだが、チーヤの号令で「気をつけぇ、敬礼」と敬礼を交わし合うと、二年生から隊列を揃えて退室していく。

 ここから、チーヤとリーエ、ヴィセの慌ただしい寝支度が始まる。

 リーエとチーヤの二人とも、自室に戻ると、相部屋のパートナーより先にシャワーを浴び、髪を乾かし、簡単なスキンケアを行うと、歯を磨く。

 リーエとチーヤが洗面所を使っている間に、それぞれのパートナーがシャワーを浴び始める。

 チーヤはパートナーがシャワーを浴び終わると、「行ってくるね」「オッケー」と言葉を交わし厚手のカーディガンを羽織る。

 ゴム製のサンダルを引っかけると、音を立てないように、でも、素早く二一六号室の扉をノックする。

 小声で「今晩はー」と声をかけると、中から、ヴィセの「どうぞー」という言葉が聞こえてくる。

 玄関のドアは開いていて、チーヤはそのまま静かに二一六号室に入る。ヴィセはもう、髪を乾かし終わって、いつもどおり袖口と裾に何段かのフリルが入った若草色のパジャマに着替えている。リーエはシャワーの前の最後の身支度、歯を磨いている。

 右手が歯ブラシでふさがっているため、リーエはチーヤにあいている左手の手のひらをみせて、手をひらひらと振ってくる。

 本来は直立して、右中指を伸ばしてこめかみに当て、敬礼してみせるのが下級生の嗜みなのだが、この時間、部屋に入ってくるチーヤは完全にプライベートモードで、リーエとのやり取りをヴィセは、可愛いな、と思ってしまう。

 チーヤはリーエを待つ間、リーエのベッドに腰掛ける。

 以前は背筋をしっかり伸ばして腰掛けていたのだが、最近は枕の方、左側に倒れ込むと、そのまま布団に顔をうずめてしまう。

 ヴィセが気遣う。「チーヤさん、最近お疲れですか?」

 そのひとことに、チーヤはがばっと、音立てて起き上がる。「ううん、疲れてなんていないわ、ただ最近、色々と考え事が多くて」

 ヴィセが首を横に傾けて尋ねる。「どんなことです?」

 チーヤは目を細めてへらっと笑う。「内緒。

 まあたわいもないプライベートなことよ」

 「そうですか。

 もし、リーエのお世話に関することなら、なんでも相談してください」

 すると、チーヤは莞爾と微笑み「私は、リーエのような優秀な徹攻兵の、身の回りのお世話をできることに幸せな巡り合わせを感じているの。

 だから、リーエのことを支えることに悩みなんてしないわ」と答えた。そして「今日も、月が綺麗だったわね」と窓硝子を閉ざすカーテンに目を配る。

 ヴィセは心の中で、今日は曇りだったような、とチーヤの言葉に違和感を感じた。

 

 リーエの鬱の気配は、装甲服を脱衣してから、じわじわと忍び寄ってくる。

 なのでヴィセがシャワーから上がってくると同時に、夜の薬を飲むのだが、シャワーで体を温めると、一気に薬が回ってくる。

 ガチャリ、と音を立てて浴室の扉が開くと、チーヤがそっと立ちあがり、洗面室の扉をノックする。「リーエ、入るわよ」

 これにリーエが「ふぁひ」と返事をする。

 扉を開けたチーヤは、案の定右肩を壁に押しつけることで、なんとかバランスを保って立つリーエをみる。

 「さ、体拭いちゃうからそのままでいてね」

 そういうと、チーヤはリーエの後ろに回り、慣れた手つきでリーエの頭を簡単にタオルドライし、あくまで背中側から、左腕、右腕、胸、お腹、腰、太もも、すね、脚と拭いていく。

 そしてリーエのクローゼットから出してきた下着とブラジャーをつけさせると、「腕を上げて」といい、バスタオルで背中からお尻の下までを隠すように覆い、脇の下をとおして胸の上の方で重ねて挟み込む。

 リーエの前に回ると、両手を取ってリーエを支え、洗面台の前の椅子にリーエを座らせる。

 ドライヤーを取り上げて、スイッチを入れる頃には早くもリーエのまぶたが閉じている。

 出力を弱にして、それでも、同じ場所に長時間当てないよう、右に左に、上に下に、ドライヤーを小まめに動かしながら、手串で髪を乾かしていく。

 髪先まで乾いていることを確認したら、「リーエ、髪乾いたよ」と小声で声をかける。

 リーエが、はっ、としたように両目を開けるので、リーエの左腕を上げ、チーヤの首から左肩に腕を通し、肩で担ぐ姿勢をとると「立つよ」と声をかける。「さん、に、いち」で二人、立ちあがる。

 そのまま、リーエをベッドに連れて行くと、ヴィセが気を利かせて、洗面台周りを片付けてくれる。

 チーヤはリーエをベッドに座らせ、タオルを取ると、あらかじめ用意していたパジャマを着させる。

 そして掛け布団を上げると、リーエを中に潜り込ます。「お休み。

 今日も月が綺麗だったわ」

 そういって、そそくさと二一六号室を後にする。

 チーヤの小声の挨拶を耳にしたヴィセは、何かを思い出せそうで、思い出せないでいた。

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