第054話 大戦
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手
ゼライヒの身内受けの凝り性文化は、いつの時代も新しい技術情報に飢えていた。
蒸気機関が発明されれば、それを取り寄せ、模倣し、大型化による大出力化や小型高出力化による機動機関への応用を果たしてみせた。
燃料による内燃機関が発明されれば、やはりそれを取り寄せ、数年間でものにするだけでなく、ギア比で回転速度を変える変速機を開発してみせたり、空冷の他、液冷への工夫を試みた。
鉄道の発展を見れば、
ライトフライヤー号が人類初の機械飛行を実現した一九〇三年からわずか十年後の一九一三年には、ゼライヒ国産航空機の初飛行を成功させていた。
新技術の習得と発展には事故もつきもので、人々の利便性向上の影には、何人もの勇敢な実験者の犠牲があった。
しかし、誰かが倒れると、その跡を継ぐかのようにまた新たな人材が現れる、この人材の層の厚さこそがゼライヒの財産だった。
第一次大戦ではドイツに武器素材を輸出しつつも静観の姿勢を貫いた。
第二次大戦では、隣国フィンランドと供に枢軸国側についた。
三千メートル超を誇る
もちろんそれをわかっていたゼライヒ側は、谷の出口に高射砲を複数構え、また、トーチカを多数構え対戦車ライフルによる攻撃で、襲い来る車両群を蜂の巣にしていった。
この谷は元々
迎え撃つゼライヒ側も、半ば機械的に反撃の手を休めず、結果として谷は、廃棄車両や撃墜機によるトーチカへの体当たり攻撃などが相次ぎ、
それでも、ソビエトが超高空を超えた航空機で爆撃してくると、ヨコセン重工業は排気タービン式過給機付き星形エンジンを擁した局地戦闘機ラ・イデーン号を開発、量産し、超高空での空中戦を制してみせた。
やがて一九四四年九月一九日、フィンランドがソビエトとの継続戦争に敗れると、ゼライヒを取り囲むように存在するフィンランドのカレリアの東半分がソビエトのものとなった。
一九四五年五月九日にドイツ国防軍が降伏すると欧州で唯一の枢軸国側国家となり、イギリス、アメリカ、フランス各国の航空機戦力による攻撃が加わった。
これに対して、ヨコセン重工業は、各地に偽装した工場でラ・イデーン航空機の生産を続けた。
さらに、ヨコセン重工業に比肩するミテュルギ製作所によるキィノヒ・ヤク号が五月一五日に登場すると、超高空での航空戦に強い力を発揮した。
ドイツ降伏後も「敗北したのは国家社会主義ドイツ労働者党であって、ドイツ国そのものが負けたわけではない」とその敗北を認められない敗残兵がいた。
「ゼライヒからドイツ」へ派兵していた男性兵士中心のゼライヒ義勇軍は、敗戦後の新しい国際関係を見通し、ゼライヒを防共の砦としたいアメリカ、イギリス、フランスの各国の判断で復員輸送艦が準備され「ゼライヒ義勇軍は最前線を担う戦闘兵のみで、部隊を率いる立場になかった」という建前のなか祖国に送り帰らされた。
ここに、ドイツの敗北を受け入れられないドイツ敗残兵が混じり混み、数千人規模でゼライヒに流れ込んだ。
彼らはゼライヒ国内で防衛の任務に就いていた王立女子狙撃隊に合流し、
この間、ゼライヒが伝統的に欧州に放った商人達によるネットワークや、ドイツの元諜報機関などが複雑に意見収集を務め、連合国側に王制の廃止の意志がないと踏んで、一九四五年七月六日にソビエト軍首脳との会談で休戦協定を結ぶと、翌一九四五年七月七日、暑い土曜日に「ソビエト軍及び連合国軍の進駐を認めず、唯英国軍のみの進駐を条件とする」という条件の下、連合国側への降伏を受け入れた。
ゼライヒ女王国は、英国軍の進駐に当たり一度は武装放棄を求められたものの、北部欧州での防共の砦として軽火器による武装から徐々に解除されていった。
時の女王、ゼライヒ女王国第十五代目略名ォカ・チマツィウェノー二世=ベツソタフゥゼ・ヨコセン女王は、その時五十七歳。
進駐してきた英国陸軍司令官に対して、「戦利品として、私の首が必用であればいつでも差し出します。
ただし王統を廃止させるようなことがあればゼライヒ国民四百万が全て兵士となって戦いましょうぞ」といってのけた。
事実、ゼライヒは戦費に困窮して負けたのではなかった。
国土のほとんどが組織的な空襲に曝されず、経済的にも安定した状態での停戦を受け入れた格好だった。
非公式な説話としてだが、この時の英国陸軍司令官は「陛下の尊厳は我が軍によって守られましょうぞ」と答えたという。
いずれにしても西側諸国にとっては、東からの赤化の干渉地域にしたい思惑があった。
逆にソビエトに取っては旧都レニングラード(サンクトペテルブルク)のすぐとなりに、自由主義陣営の橋頭堡が築かれるのは何とも避けたいことであった。
この点でゼライヒは、自由主義と共産主義のどちらの陣営にも頼らない国家運営を迫られた。
連合軍、中でも英国軍との協議の中で、納税額に頼らない自由選挙の必要性が求められた。
その結果、立法府は自由選挙に寄って選ばれた議員による下院と、その下院で採択に至らなかった法案を評価する上院に分かれることとなった。
九賢人協議は、国王の顧問機関として、立法、行政、司法に何ら権限を持たない補佐機関として扱われることになった。
判事、検事、弁護士の三つの機能も、司法試験により能力本位で選抜されたものが担う職務となった。
二人制の州長のうち、納税高で選ばれていた州長は、これも州ごとの自由選挙によって任期制で選ばれたものがつくこととなった。
ただし、時の王、女王の
貴族達の持っていた関所や郵便事業運営といった古いしきたりは、廃止されあるいは自由化の名の下に民主化されていった。
そのため、没落貴族も多く出たが、大枠としての貴族体制は維持された。
没落貴族といえども、その血筋は初代国王ムソツヴェファの時代近くまで遡れる家系も多く、その確かな血統や、金髪碧眼陶器の肌が喜ばれ、海外の資産家や旧貴族に招かれて嫁いでゆくものもあった。
国内の改革が急速に進む中、一九四九年に略名ォカ・チマツィウェノー二世=ベツソタフゥゼ・ヨコセン女王が六十一歳の若さで病に倒れると、第十六代女王として、略名ヤーカシュミ=ヴェファソチフム・ヨコセンが即位した。
第十一代女王、略名センージウミノヴァ二世=ファンワツケ・ヨコセンの代から六代続いての女王のもとで、秘境として知る人ぞ知る国だったはずが、欧州の国際舞台でにわかに脚光を浴び、「女王国」としての認知を固めていった。
ヤーカシュミ女王は即位の時点で三十二歳と、世界の他の王室と比べても若く代替わりした。
その治世は、ラジオ、テレビといったマスコミに翻弄される人生だった。
ソビエトの赤化の波はマスコミから襲ってきた。
王室や、貴族制度は古くさく蒙昧な民の選ぶもので、新しく開明な民は民衆による平等化した社会を選ぶもの、というドラマがもてはやされた。
これには貴族よりも持たぬものとされた九賢人が憤り、責任者を陰に日向に締め上げる策が取られた。
九賢人を中心とした単純なレッド・パージともことなるペーフェンの伝統復古の働きは、流れるように時代のムーブメントとなり、敗戦後だからこそ叶う「古い価値観を持つものが駆逐され、新しい価値観こそが自由で開明的な思想である」という人々の気質を今風に変えることから遠ざけた。
結果、この時期に改めて、男は狩り、開墾をするもの、女は家事育児、家を守るもの、という古典的な価値観が再認識された。
そしてそれにそぐわない生き方、たとえば外国人との、特にドイツ民族以外との結婚や、女性の方が収入の多い世帯、夫婦別姓や同性婚が望ましくないものとして認識され、そのうねりに突き動かされた下院は、夫婦別姓や同性婚を禁じ、外国籍のものと婚姻したものは自動的にゼライヒ国籍を失うことを明記した家族法をとりまとめてみせた。
そのほかにヤーカシュミ女王の治世における特徴としては、技術によるナンバーワン、技術による独立が掲げられた。
結果、海外で実用化された技術は、その海外に学びに行き、学びを自国に持ち帰り、自国内で研鑽して国産化することが尊ばれた。
また、国産のジェット戦闘機は持たなかったが、国産のジェットエンジンの技術は確立し、このエンジンは議会に後押しされた内閣の判断で、ソビエトに提供された。
表向きはソビエトの国産化エンジンとされていたいくつかのエンジンは、実体はゼライヒの技術だった。
また、銃器の黎明期十四世紀には銃器製造メーカーであったヤギィカヤマタゥ堂は後年、炸薬、薬莢という比較的小型の火薬の扱いから、火薬取り扱いのノウハウを蓄え、花火の制作を得意とした。
ヤギィカヤマタゥ堂は二十世紀の今日、その卓越した火薬技術の確かさから、爆縮レンズの生産も担っていると噂された。
このように、関係国のみ知る、隠れた技術立国としての裏の顔が、ゼライヒ女王国にはあった。
ヤーカシュミ女王は頑健で知られたが、末女子の略名ゾゥモンカラメェテ=フェチーパヴェソ・ヨコセンは、三十二歳で第七子である末女子センジーウミノヴァ=モレフィノミヨ・ヨコセンに恵まれると、その後は巡り合わせに恵まれず、さばかりか五十二歳で膵臓癌を発症すると、長く辛い闘病生活の果てに、二〇〇七年、五十五歳の若さで母親であるヤーカシュミ女王より先に亡くなった。
ヤーカシュミ女王は悲しみに暮れたが、女王としてのわきまえは譲らず、二〇一〇年、老衰で亡くなる直前まで公務を果たしていた。
九十四歳の大往生だった。
その後は王孫女である略名センジーウミノヴァ三世=モレフィノミヨ・ヨコセンが若干二十二歳の若さで女王の座に着いた。
センジーウミノヴァ三世、略してミノヴァ陛下は、十代のほとんどを、英国、日本、サウジアラビアですごし、それぞれの王家、皇家と親交を深めた経歴の持ち主である。
チーヤの講義は滑るように進んだものの、ここまでゼライヒの歴史を語る間に日はとっくに暮れ、晩ご飯の終わりの時間ぎりぎりとなってしまう。
「最後に」とチーヤがいうと、リーエは少し疲れてしまった背筋を伸ばす。
「これだけの長い歴史を背負ったミノヴァ陛下は正式な全名を
これ、試験には出ないけど、良識として覚えておいてね」
リーエは、あわててノートに書き写す。
それを見とどけて、着甲したままのリーエの手をチーヤが取る。「さあ、遅くなってしまったけど、夕食にしましょう」そして続ける。「今日も、月が綺麗だわ」と。
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