第050話 婚姻

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手



 二人の仲は順風満帆だったわけではない。

 むしろ一時期、これは無理かと思われるシーンもあった。

 それでも、二人でその時期を乗り越え、お互い、供に暮らそうということになった。

 それまで、ファンルシワエファは自分がきさき候補であることすら実家に話していなかったので、トシセン家では突然の王の来訪に何事かと緊張し、それが、末娘との婚姻の申し出とわかった途端、安堵し、歓喜した。

 ムソツヴェファが「ついては、トシセン家の皆々にも、救世主教の洗礼を受けていただきたい」と切り出すと、戸惑いをもって返された。

 ファンルシワエファの兄、トシセン家の若旦那が問う。「妹だけではなく、私達にも洗礼をさせる理由を知りたい」

 「過去、二度に渡って、ソー・ネ・ザキザキの入り江を襲ったのは、南国ドイツの救世主教徒騎士団だった。

 西のトゥルクの港も、東のソー・ネ・ネヴァネヴァの入り江(サンクトペテルブルク)も、我が国の周囲は悉く救世主教を民族の教えとしている。

 他国から『異教徒の土地』として狙われないためにも、救世主教の教えは必用なんです」

 トシセン家の若旦那は食い下がる。「我々には、いにしえの精霊の導きがある。

 それを台無しにするわけにはいかない」

 ムソツヴェファは言葉で押す。「それについてはご安心を。

 この国で、救世主教徒が古の精霊をまつることを止めるものはおりません。

 私自身、朝夕の精霊への祈りは欠かしません。

 ですから、皆様洗礼を受けてください」

 押し問答に終止符を打ったのは、隠居したトシセン家の先代だった。

 「当代よ、わしも洗礼を受ける。

 トシセン家は一族一党、全員洗礼を受けようぞ」

 こうして、話は決まっていった。

 先代は末娘を輿に乗せて王城入りさせようとしたが、ムソツヴェファは華美を嫌った。

 「そんな余裕があるのでしたら、是非、納税に回してください」と言ってのけた。

 トシセン家の当代は、それならばと、南部五州の名のある仕立屋八軒にドレスを特注してみせた。

 これは、これから外交をはじめようとする王に好感触をもって受け入れられた。

 婚礼は救世主教徒の式辞にならってそれを行い、引きつづき精霊にも報告を上げた。

 

 ファンルシワエファは子宝に恵まれ、男、女、男、男、女、女、女と、三男五女を授かった。

 このため、ムソツヴェファは特に側室を持たなかった。

 外交としてはまず、ニケアのローマ帝国亡命政権に使者を出し、ローマ帝国に組する王国の地位を目指したが、これは叶わずマルキシオス侯爵の爵位を打診された。

 これに対してムソツヴェファは、せめて一国の君主の意味も持つドゥーカス公爵の位を認めないならば、古典教会オーソドックスを離れ、公同教会カトリックを迎え入れることも辞さずと切り返す。

 これにはローマ帝国亡命政権も古典教会オーソドックスも驚き、ドゥーカス公爵の位を認めるに至った。

 こうしてザキスウェン辺境公国を名乗ると、九賢人の複数の案を統合させた国旗を制定した。

 上段が緑、中段が赤、下段が黒の三色旗に、王家の紋章として、ヨコセンの家に伝わる荒ぶる熊の伝統と、トシセンの家に伝わる気高き狼の伝統から、両動物を花びらの盾の中に配置した。

 西はノルウェー王国、東はノウドロゴ公国、南はリヴォニア騎士団領に国使を派遣し、国交の樹立を迫る。

 いずれの国家も領地領土の安定が整っておらず、お互いにお互いを攻めるやも知れぬ時勢のおりに、フィンランド湾の奥、ネヴァ川河口のすぐ西に拠点を持つ国が出来ることは想定の範囲外だった。

 どの国としても、征服を試みるにはやっかいな土地で、さりながら他国への遠征を試みる場合には背後を取られかねない危険な地理的条件にあり、敵対する姿勢より、和睦を試みる方が得策と考えられた。

 結果的に、ノルウェーがスウェーデンと分断し、更にスウェーデンがフィンランドと袂を分かっても、ノウドロゴがモスクワ大公国となりロシア帝国となっても、リヴォニア騎士団領との紛争地がポーランド=リトアニア=ザクセン同君連合をへてエストニアとなっても、ザキスウェン辺境公国はその独立以来一度として国境線を変えることなく、バルト海の動かざるくさびとして安定的にあった。

 

 ムソツヴェファは外交を固めると、内政にも力をかけた。

 ムソツヴェファの治世において、内政に関しては、九賢人が重要な役割を握った。

 立法とその運用である行政方針については、基本的に九賢人に決めさせて、ムソツヴェファはほぼ無条件にそれを承認する形を取った。

 九賢人も老いる。

 自ら歩けなくなった九賢人には引退を迫り、北部四州ヤーの丘または南部五州ゾウモンの丘から新たな上人を招いて九賢人とした。


 ヨツゾシューベツ北の丘の城下町としての機能と、城塞都市としての機能は、同じような急ピッチで進められた。

 その要である石工については、石切も、石運も、石積みも頭となるものを、その技量ではなく、周囲の和をとることに長けたものを組長として配置した。

 腕のいい職人には、腕の良い弟子を何人育てるかで評価することとした。

 石切も、石運も、石積みも、その全てをまとめるまとめ役が必用と考え、組長より一段上ながら、弟子のいない座長を置くこととした。

 初代の石座長には人の良さそうな風貌の大男が就いた。

 座組みの結果、石切と石積みは二の丸の石組みをやり直し、天守楼の石垣と同じように隙間のない石組みを目指すことにした。

 石運の男達はヨツゾシューベツ北の丘と隣の森を隔てる枯れ沢の、クツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ川とつながる枯れ沢の掘り割りを土方衆とともに進めていた。

 深さは必用だったが、取り急ぎの幅はさほど広くなくとも良かった。

 将来的にはザキスウェン城の大外堀として幅も取る必用があったが、取りあえずはヨツゾシューベツ北の丘の北西側に向けて、舟運のできる運河にする目的だった。

 

 クツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ河の河畔は、さらえばいくらでも砂鉄が取れた。

 そればかりか国土の中部に位置する鉱山から取れる特別な石に含まれる成分を混ぜると、固くしてよくしなり、錆びない鉄を作ることができた。

 錆びない武器を大量に作り、海外に輸出して回った。

 輸出した利益は国庫を潤わせた。


 軍役を希望するものが増えると、ヨツゾシューベツ北の丘周りでは人が余るようになった。

 ムソツヴェファは百名ほどを一団として、屯林兵を組んだ。

 人々は普通、当たり前の事としてクツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ河に近い丘から開拓していく。

 しかし、切り立ったピ・ニューゾフェムソチッシェ・南東のビュソッスラフォファー擁壁ザム・ヨツゾゲムソチッメム・ベヴィファベ北西の山脈の麓には、開拓に適し、果樹などの栽培が期待できる手つかずの丘があった。

 熊や狼といった害獣が出るため、市井による開拓は避けられていたが、それこそが国家事業として取り組むべき事柄と考えた。

 開拓した丘には二十名ほどを残し、王都ザキ・ス・ウェンからその分の人員を補充し、となりの丘を開拓させた。

 残った二十名には、果樹園の運営をはじめさせた。

 男女の混成集団だったため、自然と夫婦ができた。

 作農に才をみせ、家族を増やしたものには、土地を貸し出す形で、収益を任せることもした。


 それともう一つ、屯林兵には重要な仕事があった。

 毎年春になると襲い来る|ピ・ソテーヱン・ゼム・フェヴァッケンム・ゼム・ヲフィヤミョフィヱン《氷の神の目覚めの涙》で、壊れた流し塀を直す役割だ。

 流し塀とは、春の洪水の上流に当たる北東を頂点とした「へ」の字型の塀のことである。

 雪解けの洪水は、ブトーマー・ヴェツフ・フィル・ヨツゼン北の大山で醸成された腐葉土が流れ込んでくるために、決して頭からいやがられるものではない。

 とはいえ水の力は強く、生活を営む居宅に直接当たっては、場合によっては家屋が倒壊することもあり、そうでないとしても、石積みの基礎の上に構えた土台から、腐葉土の細菌によって腐り始めることもある。

 これを完全に防ぐのであれば、家屋の四方に高い塀を設ければいいが、それでは建築の手間も修繕の手間もかかるし、万一上流側が破れた時、下流側の角に腐葉土が蓄積することになる。

 そのため、下流側は開いてしまった方が良く、上流側だけに「へ」の字型の塀を設けていた。

 ただし、洪水というのは気まぐれで、年ごとに、とある集落は穏やかに流れても、別の集落では激しい流れとなることがある。

 塀が壊れれば家屋に直接洪水が当たる。

 一時はしのげても、来年の洪水に向けてそのままにするわけにはいかない。

 幸い、屯林兵達には、森を切り開いて余った木材や、石積み用の石を運ぶ人手があった。

 税と役務の公平な負担のために、修繕の規模に合わせて課税額を増やしたが、自ら手をかけるより、断然手頃な負担で利用することができた。

 

 春の洪水の源となるブトーマー・ヴェツフ・フィル・ヨツゼン北の大山 の麓には、地形の関係で雪解け水に当たらない土地があり、そこから良質の岩塩が取れた。

 浜らしい浜はソー・ネ・ザキザキの入り江の奥にしかなく、水質もクツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ河の汽水域に当たり塩は不足しがちだった。

 ムソツヴェファはここに屯林兵の一団を送り、計画的な採掘と、供給を管理させた。

 また、北の山奥から国土の南端ザキ・ス・ウェンに至までの街道を整備した。

 

 ムソツヴェファは国内のインフラ整備の基礎を築くと、晩年、防衛に力を注ぐこととなった。

 敵が入ってくるのは国土南端のソー・ネ・ザキザキの入り江からとなる。

 フィンランド湾から見た場合、崖で覆われた海岸線から唯一ソー・ネ・ザキザキの入り江に入り込めるクゥル・イ・ザキザキの水道の海峡を通過せざるを得ない。

 ここに自生する木々を一枚目として、二枚目に当たる位置に石造りの砦を、東端と西端に構えた。

 予告無しに戦闘船が入り込もうものなら、火矢を放ち、その出鼻を挫くことを目的とした。

 また、東の砦と西の砦それぞれに高い塔を築き、それぞれ狼煙櫓の機能も持たせた灯台とした。

 それを見やると、病に倒れ、跡継ぎに外交に励むように言い含め、帰らぬ人となった。

 彼の跡は、末娘である三十二歳の略名クトテンシーヤ=ゾトセーファ・ヨコセンが継いだ。

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