第048話 懐石会席
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手
ワエファこと、ファンルシワエファ=ファンワツケ・トシセンに取ってその男は、愚直なだけが特徴の、冴えない男の一人に過ぎなかった。
自分が、特別美人に生まれついたという思いもないが、男の方から声をかけられた経験がなかったわけでもない。
まあ、家柄は悪く無いので、その辺りの噂でも聞きつけてきてのことだろうと適当にあしらっていた。
周りの女共がいうような、男性へのあこがれというものを知らずに年だけ重ねてきた。
ただ、国民国家という意識のない
この取り組みの中心にいる、九賢人や国王というのはどういう人物なのだろう、と気にはなっていたが、一介の弓兵の分際では遠巻きに眺めることがあるに過ぎなかった。
その男の作業着が汚れていないことにうさんくささを感じて追い払ったら、最も
しみこんだ汗と泥を洗いきれていない作業着は垢に汚れ、顔と、首の後ろは日焼けして茶色がかる。「こんど、昼飯を一緒に食べないか」
ワエファは人差し指を顎に当てて天井を眺め考える。「うーん、まあ、わかったよ」
するとすかさず厨房役が割り込んでくる。「ゆっくりできた方がいいからさ、今度の日曜日なんてどうかな」
ワエファは「日曜日、ね」と訳あり顔で頷いてくる。
七日間をひとまとまりにして一週間とする風習も、そのうちの日曜日を休日とする風習も、ペーフェンの民の伝統ではなく、国王が救世主教の洗礼を受けて以来、急速に広まった過ごし方だったからだ。
「あんた達も、洗礼を受けているのかい?」そう、ワエファが尋ねてくるのでムソツヴェファは「
「ふーん」と、うさんくさいものを見るようにワエファはムソゼルを名乗る男を眺めたが、「まあ、考え方は人それぞれだしね」と割り切った。
ワエファは、それだけのつもりだったから、週末の日曜日、知り合いの厨房役が一人で、昼にはずいぶん早い時間から迎えに来たことにいぶかしんだ。「ムソゼルはどうしたのさ」
厨房役が答える。「彼はお前さんが到着するのをとても心待ちにしてるよ。
案内するから、さあ、いこう」
ワエファは、まあ、いいか、と厨房役についていく。
すると知り合いは、丘の上へ、上へと歩いて行く。
丘の上は、この
王が即位すると同時に、役割ごとに階級が与えられ、財務管理や丘全体の建築計画を立てる「師」と呼ばれるもの達に身の程を整えるに足る俸給と人手が与えられ、
当然、官僚の使う食堂は、一般兵の使う食堂より、品のいいものが出されるとのことだった。
ワエファは案内をする厨房役に尋ねる。「一体どこまで連れていく気だい」
ずいぶんと歩かされ、工事中の足場を頼って進むと、天守楼と回廊で結ばれている大講堂に案内される。
さすがのワエファもいぶかしみ「あんた、一体」と呟くと、大講堂を囲むように幾つも用意されている一つの執務室に案内される。
厨房役は扉を示すと「中に女官がいるので、折角だから着替えて貰ってもいいかな」と尋ねる。
ワエファは感じている外連味を隠さずに少し声を荒げる。「たかが昼飯で何でそこまでするのさ、だいたい、ムソゼルは一体全体どこにいるんだい」
厨房役はなだめるように答える。「彼はもう、着替え終わって、ここの居室の一室を君が訪れるのを待っているよ。
「そもそも、この建物自体、一部の官僚しか出入りしていないはずだけど、彼は実は官僚だったの?」
厨房役は両手のひらをワエファに向けて、落ちついて欲しい気持を態度で示す。「ここまで来たんだ、それはムソゼルにあって直接聞いてもらいたいな」
ワエファは、釈然としないが、厨房役の男にうじうじしているところもみせたくなかった。「わかったわよ」と案内された部屋に入る。
中には、女性が二人おり、大型のハンガーにワンピースが掛かっていた。
若草色より青みの強い、品の良さと爽やかさを兼ね備えた色合い、要所要所のボタンには、
縫製もしっかりしていて、名のある仕立屋の手によるものであることがわかる。
ワエファは少し驚いてしまい、「私がこれを着るんですか?」と尋ねてしまう。
女性の上着には肩の所に黄色い糸でふさがつけられており、彼女らが、官位をもった官僚であることがわかる。
女性は押しつけがましいことなく、「ええ、折角の機会ですので、袖だけでも通してみて下さい」と答えてくる。
ワエファの中には、心躍るというより、意地悪な気持が芽生えはじめていた。
きっとムソゼルは高級官僚なのだろう。
私の家柄を知って近づいてきたのだろう。
ならばおいしいものだけ食べて、こっぴどく振ってやればよい。
その方がいい気味だ。
割り切ったワエファは、大人しくワンピースに着替え、女官達に進められるまま薄く化粧もしてもらった。
支度が終わり、促されるまま部屋を出ると、厨房役の男が手際よく着替えて待っていた。
彼の肩にも黄糸のふさが三本ぶら下がっており、女官達より上の官位であることがうかがえる。
「改めまして、ファンルシワエファ=ファンワツケ・トシセン様、お食事処へとご案内しますので、ご遠慮の儀、ご無用です」
そういって白手袋の左手を差し出してくるので、ワエファは、心の中で半ばあきれたまま、右手をその上に乗せる。
厨房役はそのまま円形の大講堂を四分の一ほど歩き、白い扉の前で止まると手を下ろす。
そして、ノック。「ファンルシワエファ=ファンワツケ・トシセン様、ご到着です」
そういうと扉を開ける。
昼の光りが斜めに入る室内は、カーテンも調度品も白で揃えられていて、華美とは遠いが、清潔感を感じさせる。
中で待っていたのは、仕立ての良いズボンに白いシャツ、茶色のチェックでできたベストを着た男だった。
男が口を開く。「改めましてファンルシワエファ=ファンワツケ・トシセン嬢、私はムソツヴェファ=ヴェファヤツゾ・ヨコセンと申します。
本日は会食の席におつきあいいただきありがとうございます、さあ、こちらにお座り下さい」
と、部屋の奥、窓を背中にして白いテーブルをムソツヴェファと斜めに囲む位置に案内される。
ワエファは、ムソゼルのフルネームを聞いて、なにかで聞き覚えのある名前だと思ったが、うまく思い出せなかった。
「勝手に見立ててしまいましたが、ドレス、お似合いですね」とムソツヴェファは穏やかに微笑む。
「どうも」と答えたワエファの顔には、うすく紅が差し込んだかも知れない。
ムソツヴェファの斜め後ろ、やや離れた位置に、厨房役の男が立っている。
「なにか、苦手な食材はありますか?」
ワエファは、釈然としない顔で「特にありません」と少し冷たく答える。
「では、厨房長の見立てで昼食を用意させます。
それまで、お茶を楽しみませんか?
舶来品なので私も滅多に口にしませんが、ジャスミンティが好きなのですが」
ワエファは素っ気なく「舶来品なんて、よそで口にしたこともありません、勝手に出していただいて結構です」と答える。
ムソツヴェファが振り向いて頷くと、厨房役の男が用意していた皿とカップを並べ、保温のためにかけていたカバーを外したポットから、薫り高いお茶を注いでくる。
「あ、おいしい」ワエファがそう呟くと、ムソツヴェファが笑う。「それは良かった」
そして一息入れてからムソツヴェファが切り出す。「私が今これを聞くと、後ろの彼をあきれさせてしまうのですが、ファンルシワエファ嬢はいま、おつきあいされている方はいらっしゃるのですか?」
厨房役の男は、右手で両目を覆うと、口をへの字に結ぶ。
ワエファは少しけんか腰に「なんでそんなこと答えなければならないんですか?」
といいきり、一拍おいてから「まあ、いませんし、今までもいませんでしたけど」
ムソツヴェファは穏やかな笑顔を作る。「それでは、これから毎週、私とおつきあいすることを前提にここで、昼食を取り合うことにしませんか」
「え、突然おつきあいを前提に、ですって?
何をおっしゃっているのでしょう、私はまだあなたのことを何も知りません。
大体あなたは何の役職に就いているどこの人なんです」
ムソツヴェファは少し困ったように顔を作り「失礼しました。
そうですよね、ええと私は、ヤーの丘はヴァルツィリヤの鍛冶工房の出で、研ぎ師をしておりました。
二度の
先日は人々に先んじて救世主教の洗礼も受け、近く外交もはじめようと思っています」
ワエファは、ようやく事態を飲み込んだ。
驚きに、両手で口を覆ってしまう。
「それではその、陛、下?」
「はい、今の私の尊称はそうですが、ここではムソツヴェファという名の、一介のおじさんとしてお話しさせてください」
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