第047話 修行

・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手

・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手



 就いてみてわかったことだが、人々の希望を背負うというのは何ともいえないうざったさがあった。

 自分の思うように事を進めることができず、時には脅し、時にはすかし、時にはなだめ、時には叱りと、様々な表現を場面場面で使い分ける技術が必用とされた。

 集落によっては反対の声を上げる向きもあったが、中央から派遣した州長を通じて、反対の声を続けるなら租税を二倍にすると告げることで押さえ込み、必要に応じて郡長こおりおさを納税石高で二番目、三番目の一族に差し替えることもした。

 幸い、無用な蜂起を武力で押さえつけることなく、ムソツヴェファの即位を認めさせることはできた。

 そうなると今度は、頼んでもいない贈り物を送ってくるものが出始めた。

 ムソツヴェファは、それらを全て軍役につけたり、軍の資産にすると、「あなたの心付けは国家に組み込まれました」という手紙を差し出して、つまりは断りをつけた。

 ただ、独身というのは何とも収まりが悪かった。

 郡長こおりおさの中には、娘を直接送りつけてくるものもいたし、九賢人の中にも、自分の州にちなんだ娘を薦めてくるものがいた。

 ムソツヴェファは、それらも全て断った。

 送られてきた娘と従者達には、軍役に就く意志の有無を確認し、その意志があるものはあくまで軍役に就くという形で留め置いた。

 その意志がないものについてはその悉くを送り返した。

 そもそもとして、ムソツヴェファは自分の婚姻を最大限に活用しなければならないと弁えていた。

 即ち、その娘を娶ることが、国家安定の礎になるような相手を選ばなくてはならない。

 自らがペーフェンの民の大地北部諸州「ヤーの丘」出身であるため、妻は南部五州「ゾウモンの丘」の出身者であるべきだった。

 その中でも最大の集落、いや、集落を越えて街と呼んで良いラウトヤルヴィの郡長こおりおさをつとめるトシセン家の血筋を受け入れれば閨閥を頼りに南部諸州の民を率いることも期待できる。

 

 そんな都合のいい娘がいるかといえば、いた。

 軍役に就き、普段は調理番をしながらも、弓の訓練では男勝りの距離と正確さを誇る女傑、それが、ファンルシワエファ=ファンワツケ・トシセンだった。

 ファンルシワエファことワエファは、トシセン家の末娘だった、すぐ上に姉がいて、その上に兄がいて、更にいくつかの兄姉を持っていたが、ペーフェンのしきたりにそって、その兄が世嗣として父の仕事を補佐していた。

 トシセン家はここ数世代、ラウトヤルヴィ周辺の、娘が世嗣となった家との婚姻を繰り返しており、他の一族とは明らかに異なる広大な耕作地を有していた。

 そしてその耕作地からもたらされる富を元手に南北と、東西の交通の要衝となるラウトヤルヴィの地の利を活かして、ザキ・ス・ウェンの市場会館に見劣りせぬ市場会館を運営していた。

 このことからトシセン家の家長は南部諸州の州長の覚えも良く、民間に属する最有力者の一人だった。

 

 ムソツヴェファは考えた。

 王である自分が呼び出せば、いつでも自分の元に呼び寄せられるし、先にトシセン家の主人を説き伏せれば、半ば命令的に婚姻を結ぶことも実にたやすいことだった。

 だが、思った。

 そこにっが愛はあるんか、と。

 

 最初は、ちょっとした気分転換のつもりだった。

 末端の兵士と同じ作業着に着替え、油で整えた髪も油を落としてぼさつかせ、顔見知りの厨房役一人だけをつけて、休憩時間に厨房の女詰め所を訪ねた。

 そして、顔見知りの厨房役にワエファを呼び出させた。

 呼び出されたワエファは警戒心を隠そうとしない、不審な顔つきでいた。

 ムソツヴェファはその気の強さを好感し、そしていった。

 「あの、厨房に別嬪べっぴんさんがいるって聞いてね、少し話してみたくなったもんだから、その、声をかけさせて貰ったよ」

 ムソツヴェファの遠慮がちな態度にワエファはにべもなかった。

 「あんたさ、作業服、汚れてないね」

 「ああ、うん」

 「何の役務に就いてるか知らないけど、石工なら石埃が、大工ならおがくずが、官吏なら墨の後が、織物関係なら糸くずが付いていておかしくないけれども、あんたのそのこぎれいな作業服を見ただけで、あんたがどれほど怠け者か、小ずるいかが透けてみえるよ。

 私は、そんな怠け者と利く口を持ってないんだ。

 悪いけどよそ当たってね」と、体よく追い払われた。

 顔見知りの厨房役は横でそれを聞いていて真っ青になったが、ムソツヴェファは穏やかな顔をしていた。

 そしていった。「しばらく、休みを取って石工見習いをやりたいな」と。

 それを聞いた厨房役は右手のひらで両目を覆うと、天を仰いだ。

 数ある労役の中で、一番嫌われているのが石工見習いだからだ。

 厨房役が口を開く。「陛下、あえていま陛下とお呼びしますが、いやしくも王位に立つお方が石工見習いのような下賤な作業に就いたことが知れ渡ったらどうなるでしょう」

 ムソツヴェファは笑いながらいった。「未来の妻へのプロポーズのために王自ら就いた役務と知れれば、石工の仕事にも人気がでようぞ」

 確かに、石工達も見習いが逃げていくさまにあきらめを感じ、見習いを粗末に扱う風潮があった。

 ムソツヴェファは一週間、九賢人とあれこれ調整をして、その次の一週間、王の責務を離れる事に成功した。

 

 石工見習いとしてムソツヴェファは初日、山奥の石切場に連れて行かれた。

 三十石船を皆で曳きながら移動すると、フィンランド湾を渡って武器や防具、農具を行商しに行った昔を思い出した。

 今日は、五つの班に分かれて、五隻の三十石船を曳いていった。

 石切場に着くと、すみれとのみ、袋に入った楔と金槌が渡された。

 ムソツヴェファがのんきに「手本を見せてもらえませんか」と手を挙げると、着いてきた親方の一人がつかつかとムソツヴェファに歩み寄り「ボケ」とひと言、頭を殴りつけてきた。

 どうやら、自分で考えろということらしい。

 周りの様子を暫し見る。

 石を切り出す大きさをイメージして、その端に当たる位置に釘を打ち付ける。

 その釘に墨入れの糸の端をくくりつけ、石の端まで線を入れる。

 線の上におおざっぱな等間隔でのみを入れ、縦長の穴を掘る。

 その穴に楔を入れ金槌で一箇所一箇所叩いていく。

 この石切場の石は、楔を入れた向きに素直にひび割れていくのが好感されて、石切場として選ばれていた。

 それにしても、となりの奴の切り出した石は大きい。

 石ではなくて岩であろう。

 あれでは、三十石船に岩一個乗せたら、人も乗れず、それだけで運ぶしかなくなる。

 そう思い、ムソツヴェファは小さめに石を切り出そうと墨を打った。

 すると親方が後ろからこづいてきた。「ちいせえ」

 ムソツヴェファは尋ねる。「いや、大きすぎたら舟運ができなくなりませんか」

 親方はむっとして答える。「そんなことは現場に運んでから考えればいいんだ」

 小さく砕くのは石垣組みの石工がやればよい、大は小を兼ねるということだろう。

 石工には石工の世界観があるのだろうが、ムソツヴェファも職人の出である。

 研ぎ師の彼は刀を打つことはしない。

 打ち上がった刀にこもった魂を引き出すのが彼の仕事だった。

 石切をしたものが石運もにない、そして石積みをするというのはぱっとみ一貫性があるようにも思えた。

 しかし、他人がくみ上げた石積みの上に自分が石積みをするというのはどうなのだろうとも思った。

 石運は石切にもまして過酷だった。

 水路がヨツゾシューベツ北の丘まで届いていないのだ。

 陸路を運ぶに当たって、いかだの上に岩を載せ、丸太をコロに運ぶのか、前後左右に張りを伸ばした木組みにぶら下げて、大勢で木組みを担いで運ぶのかの協議も見習達に任された。

 木組みは、頭数をより多く必用とした。

 それでも、いかだとコロに比べて、丘の微妙な盛り上がりを苦にせず運べた。

 これを見習達に協議させるものだから、お互いどんどん熱がこもり、最後は声の大きいものの意見を採用することとなった。

 時には胸ぐらをつかみ合う事態に発展することもあり、意見を通した方、意見を折った方、双方に遺恨を残した。

 石積みはこれまでの努力を全て台無しにしてくれた。。


 ムソツヴェファは改めてヨツゾシューベツ北の丘を目にしてみた。

 ヨツゾシューベツ北の丘はほぼ正方形に近い形で、1辺が五キロメートルあり、広さは二十五キロ平方メートル程ある。

 右回りに大きく回った形になり、上から見ると、ほぼ菱形に見える。

 東北東の角から、南南東の角をつなぐ辺は、ザキ・ウェンクツム・フィン・ゼファ・リッセ中つ川を東西に分ける西側の水流に面している。西南西の角から、南南東の角をつなぐ辺はザム・ヨツゾゲムソチッメム北西のベヴィファベ山脈に源流を持つ中級河川の流れとなっていた。

 それ以北のとなりの丘と区別する目安は、水が涸れ、腐葉土が底に溜まった古沢で、この国土特有の、春の洪水がこの地を通ったときに作られたものだと分かる。

 ヨツゾシューベツ北の丘自体は、あちこちに隆起した箇所を持ちながら、全体として一番高く隆起した天辺は、中央より北北西の端に大部とずれた位置にあった。

 その天辺に土塁と石垣を組み、狼煙櫓の機能を持つ天守楼と、天守楼の西側に賢人議事堂、南側には柱のない大講堂が組まれていた。

 しかし、その周囲のくるわの出来映えは散々で、しかも遅れに遅れていた。


 地形を有効に活かすべく、土を盛るところは盛り上げて平らかにし、掘りを割りほる所は掘り下げて掘りの形も整える。

 一番問題だったのはそれらを覆って守る石垣組みにあった。

 石垣は単なる石の積み重ねではない。

 敵の侵入を阻む崖であり、郭を維持する鎧であり、大雨の降ったときに城の郭ごとに水が溜まらないよう、排水機能も備えた、高度な土木技術の結晶である。

 角を見れば直方体の岩が左右交互に脚を伸ばすように、算木組みに組まれ、その間を隅石と同じ長さの角脇石すみわきいしで詰める。

 表を見れば隙間なく築石つきいしが組まれており、手足の差し込む隙がないことが求められている。

 裏を見れば裏込石うらごめいしの名の下に、栗ほどの大きさであることから「栗石」と呼ばれる小石が、土塁と築石つきいしとの間にびっしりと打ちこめられ、ここが大雨の降ったときの排水溝の役割をした。

 これが、天守楼をかまえる本丸の石垣と、現在築城中の二の丸の石垣では、明らかに大きく後者が劣っていた。

 天守楼の石垣が、角石、築石とも綺麗に加工され、切込接きりこみはぎの布積みの形で、高くとも安定感のある積み方であることに対して、二の丸の石垣は、築石つきいしの形が点でばらばらで隙があり、あいだに間詰石まづめいしを打ちこんでその隙間を詰めており、素人目にも二の丸に求められる高さを維持するのがせいぜいにみえた。

 ムソツヴェファは、それを見ながら呟いた。「なんでこんなにひどい作りなんだ」

 すると、すぐ隣にいた、人の良さそうな風貌の大男が答えた。「上が机の上で決めたんだよ」

 「というと?」

 「石組みは首都の整備の要、として、より早くより正確に作るため、石切も、舟運も、石積みも、それぞれを得意とした職人を上につけちまった。

 職人は手下の連中の下手くそさに我慢できず怒り出すようになり、手下の連中は怒られ続けてすっかりやる気をなくしちまってる。

 王様だ、九賢人だ、とぶんぞりかえっている奴らは、現場のことに疎いのに、現場に手を出してきやがる」

 この言葉にはムソツヴェファにも心当たりがあった。

 九賢人の「能力の高いものには、高い地位を与え賜えかし」の言葉は、実力主義の良い采配だとして、ムソツヴェファ自らサインしたことを覚えている。

 しかしなるほど、高い技量を持つものが、集団の和を構築し維持することができるとは限らない。

 ムソツヴェファはもう一度、隣の大男をちら、と眺めた。

 そういえばさっきの石運のごたごたも、この男が最後をまとめたんだよな、と。

 そして、ムソツヴェファの見習い期間の一週間も終わった。

 

 石工見習いの詰めるタコ部屋は、逃げ出すものが多いので出入り口に見張りが立っていた。

 しかし、ムソツヴェファは知り合いの厨房役が尋ねてきたという口実で外出が認められた。

 厨房役は、タコ部屋より出てきた国王が、無精髭のぼうぼう髪というだけでなく、泥と垢とでくたびれきった作業服に身を包んでいる姿を見て、天を仰いだ。「石工集団ときたら、なんてことをしてくれる」

 ムソツヴェファは年甲斐もなくいたずらっ子のように笑顔を作った。「これで、彼女に会いにいけるかい?」

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