第044話 交渉
・リーエ:二十一歳、鬱病に苦しむ徹攻兵、一年生 チーヤの歴史語りの聞き手
・チーヤ:十九歳、リーエの案内役、二年生 ゼライヒ女王国の歴史の語り手
翌昼。
浜からは少しばかり奥に上がった、丘とも呼べぬ盛り上がった地形に、防砂林よろしく松の木が茂る中に設けられた道の真ん中に、テーブルがしつけられた。
テーブルの上には元は白かった生地が幾度も洗われ柔らかい茶色を帯びた掛布がかけられ、両側には椅子が七脚ずつ並べられた。
ムソツヴェファ率いるペーフェンの民は、戦隊長のムソツヴェファと副長、そして浜の上人、街の上人、村の上人、そして浜の顔役としてニュフゥヴェフェ、最後にドイツ語のわかる娘がかけた。
ドイツ北方十字軍騎士団は、今回の遠征隊の隊長と副長、老いてやせこけた上級宣教師と、中級の宣教師が二人、一番艦の艦長と、船団長が席に着く。
浜の女達が作った具沢山のシチューが木皿に盛られ、焼きたてのパンが大皿に用意される。
女達は、正装の代わりに、秋の祭りでしか着ないはずの晴れ着を着て給仕に立ち回る。
男達は、剣や斧こそ携えているものの、下は平服、上は、下着のシャツの上に、仕立屋が急ごしらえで丈を合わせた、揃いの縦襟の濃紺のジャケット。
対するドイツ北方十字軍騎士団は、甲こそ小脇に抱えているものの、フル装備の鎧に剣を帯び、宣教師達を囲むように歩んでくる。
テーブルを挟んで対峙した相手に、ムソツヴェファは両腕を下手に拡げて招き入れる。「昼餐です。
郷土料理ですが、食事をしながら話しをしましょう」
末席の、ドイツ語のわかる娘が通訳するが、騎士達の緊張は去らない。
それもそのはず、ムソツヴェファの遥か後ろ、ザキの丘の斜面には、郷土を南下するに従って集った、約千二百名からの軍団が整列しているのだ。
ムソツヴェファ側は七人揃いで椅子に座って着席を促す。
ドイツ北方十字軍騎士団側は、警戒の視線を閉ざさずに、中央に遠征隊隊長、その左手に副長、右手に上級司祭が座る。
すかさず、給仕の女達の手で、熱い湯で出したお茶が配られる。
ムソツヴェファは全員に飲み物が配られたことを確認して、コップを持ち上げる。「まずは我々の平和な話し合いに乾杯」
すると、ドイツ北方十字軍騎士団側も渋々コップを掲げてくる。
大胆なのは騎士の中では一番年かさの副長で、すっきり飲み干してしまうとおかわりを求めた。
毒が混ぜられていることを考慮して、騎士団側の次の動きが鈍い中、上級宣教師である司祭も、お茶でのどを潤す。
ドイツ語のわかる娘が通訳する。「良い香りですな、とのことです」
それを聞いてペーフェンの民側は、すこし、肩の力が抜ける。
そして、山に盛られたパンの更にめいめい手を伸ばし、パンをシチューにつけて口に運び、木のさじで具を掬って食べる。
食事に関してもドイツ北方十字軍騎士団側で最も剛胆だったのは年かさの副長で、同じようにパンの皿から一つ取り上げると、シチューを味見し、具を食べてひと言。「
そして他の団員達にも食事を勧める。
それを見てほっとした表情の女達、いや、男達も肩の力が和らぐ。
娘が、気を利かせて尋ねる。お気に召しましたか、と。
団長が、用意された真新しい白いナプキンで口元をぬぐいながら答える。おいしいね、お嬢さんもこんな料理、作れるのかい、と尋ねてくる。
娘は答える。「はい、海の幸から下味を出しているんですよ」
そしてそのやり取りをムソツヴェファに伝える。「お気に召したなら幸いです。
まずは食事を取って、お腹を膨らましてから話し合いましょう」
食事が終わると女達は、普段なら祭りの時期にしか焼かない、バタークリームを挟んだスポンジ生地に、アーモンドクリームをたっぷり重ねて焼いた、ヴィーウェンビュシッキというケーキを振る舞う。
が、ここからはくつろぎの時間ではなく交渉の時間となった。
ムソツヴェファは告げた。「今回、我々は千二百名程の兵力でお迎えしました。
そちらはいかほどか」
これに対して団長は、表情も変えず当たり前かのように、三百名ばかりである、と答えた。
ムソツヴェファはまず、「浜の聖堂に集められた人々を返して欲しい。
こちらも、留め置いている兵士全員をお返しする」と提案し、これは受け入れられた。
ニュフゥヴェフェが小声でムソツヴェファにひと言をいう。
それを受けて、ムソツヴェファが騎士団に尋ねる。「十数人の娘がいなくなっている。
貴艦隊の全ての船の臨検を要求する」
ドイツ北方十字軍騎士団の団長は即座に、それは困る、と答える。
そして、となりの副官と小声で話し始める。
末席に座っていた通訳の娘が、話しを少しでも聞こうと、ムソツヴェファと副官の間に椅子を持ってくる。
それでも、団長と副長の会話は聞こえないが、しばらくして団長が、兵士がそちらの娘を十二人ほど、戦闘で怪我を負わないように匿っていた、その娘も全てお返しするので、臨検は遠慮願いたい、と答えてくる。
ムソツヴェファは少し前にかがんで末席のニュフゥヴェフェと目を合わせる。
ニュフゥヴェフェは首を横に振りテーブルの影で三本の指を立てる。
ムソツヴェファは首をかしげる。「すこし、こちらの考えている人数と違うようだ、やはり臨検を実施したい」
これに対して、ドイツ北方十字軍騎士団側は、かすれた小声で話し合っていたが、やがて団長から「そちらの戦死者を、男性三名、女性三名分預かっている。
遺体を傷つけるようなことはしていない。
こちらも、お返しする」
ニュフゥヴェフェはうなずいたが、ムソツヴェファは氷の微笑みで今一度たずねる。「どうしても、臨検は許してもらえないと?」
団長は加えて、拾得したそちら側の武器や防具も全てお返しする。
臨検は控えて頂きたい。と答えてくる。
ムソツヴェファはこれ以上押すこともない、と、「武器や防具は持ち帰って頂いて結構です。
こちらは売るほどありますし、最新鋭の防具もありますからね」
そういうとムソツヴェファは後ろを振り向き、大声を上げる。
呼ばれた男は、ヨコセン堂で鍛冶もつとめる一人で、ペーフェンの民が好んで使う毛皮の鎧「ブリガンダイン」ではなく、フルプレートアーマーを着込んでいるが、軽々しく歩いてくる。
ムソツヴェファは語る。「そちらの鎧は以前見させていただきました。
この男が着甲している鎧は、そちらの鎧の半分の厚さしかありません。しかし」
というとムソツヴェファは立ち上がり、身構えた男の腹を、かけていた椅子で思いっきり横殴りにする。
鎧はわずかにたわんで、そして押し返すように椅子をはじいた。
「この通り、この鎧を使えば、軽くて、しかも耐える。
何もない田舎と思われるかも知れませんが、こうみえても私達は、冶金と詩には長けておりまして。
私なぞはそもそも鍛冶職人の出です。
対価をお支払いいただければ、お譲りすることもやぶさかではありませんよ」
団長は、物静かに、ちなみにいかほどか、と尋ねてくる。
ムソツヴェファは何事もないかのように「今回は特別です、胴回りだけで金貨十枚でお譲りしましょう」
団長は、それは高い、金貨三枚でどうか、と切り返してくる。
ムソツヴェファは心の中で、興味は持つんだな、と思いつつ「罷りません。
最新鋭の装備ですので、単体売りで金貨十枚です」と答えた。
団長は、金貨五枚に奴隷五人をつけよう、と提案してくる。
ムソツヴェファは答える。「私達は広い意味で大きな家族として暮らしています。
奴隷というものは存在しないし、使ったこともありません。
私達には、奴隷は、貨幣のかわりにはならないのですよ」
結局、ヨコセン堂は、ヘルメットからつま先までの一式を用意し、団長は金貨十枚の支払いに応じた。
団長との会話が一区切りしたところで、上級司祭が尋ねてくる。風雪をしのげる小屋を、一軒お譲りいただけませんか、と。
聞けば、この地に止まり、救世主教の教えをこの地の皆さんにお伝えしたい、という。
風雪をしのげれば、それ以上は望みません、という。
これにたいするムソツヴェファの答えは、その気を挫くものだった。「十字軍の皆さんが、救世主教の
しかし、我々の土地はネヴァ川の港とも近い。
行商をする上で、ネヴァ川の港を導く、救世主教の
つまり同じ救世主教とはいえ、我々は
そんな中で
司祭は、それを聞いて残念に顔を曇らせる。
司祭は、こう続ける。同じ救世主を頂きながら、
しかして、
全世界、どこで祈ってもローマの教皇猊下の御許にまとまる点で、今後皆様方が南方に行商される時に寄与することと思われます。
そこまでいわれても、ムソツヴェファは肯んじなかった。「今回は皆様お引き取りください」
団長は、ドイツ北方十字軍騎士団による未開の地への布教を諦めておらず、次ぎに来たる時のお互いの振る舞い方、儀礼を確認し会談は終わった。
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